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なぜ僕が株や仮想通貨ではなくFXを選ぶのか。

日本でFXが登場した当初、そのイメージは正直言って悪かった。
ちょうどパチンコやスロットが全盛期だった時代。FXは、そうしたギャンブル市場に自然と溶け込んでいった。
当時のレバレッジは今よりもはるかに高く、スプレッドも広かった。
適当にやれば証拠金が一瞬でゼロになる。
FXの爆発力と破滅力はとてもエキサイティングだ。
その過激さは、あの時代にとてもウケたんだと思う。
今となっては随分業界は改善した。
極悪な設定は無くなり、他と比べてもとても良心的な業界だと思う。

だけれども、当時、そんな時代に負けた人たちはFXに悪い印象を持ってる。
それが日本中に広まり、業界全体のイメージは完全に固まったんだと思う。


「仕事は何してるの?」
そう聞かれて、「プロトレーダーです」と答えると、たいてい相手は「株かな?」と思う。
でも実際はFXだ。でもあえて訂正はしない。

だって、「プロトレーダー」っていう肩書き自体が胡散臭いのに、
そこで「FXです」なんて言ったら、
「あ、この人、もしかして詐欺師的な?」
と思われるのがオチだからだ。

そんな業界のイメージの悪さは、自分たちトレーダーを少し後ろめたくさせることもある。
みんな同じだろう。

今日は、そんな僕らにとってのFXの素晴らしさを一つ、話したいと思う。
この話を聞いたら、もし誰かにFXについて語る機会があったとき、ぜひこの言葉をみんななりに伝えてほしい。
自信を持って言える話だから。

FXが優れている理由。

僕は株や仮想通貨よりも、FXが1番優れていると思っている。
特に、初心者にとってFXは明らかに向いている。

理由はいくつかあるけど、
その中でも僕がFXが好きな一番の理由は、
「FXはピュア」だからだ。
あえてここはピュアだと表現したい。
ドス黒いイメージを切り裂く単語をチョイスしたい。

株や仮想通貨には、
自分のポジションに「粘性」がある。

その銘柄や企業、コインにポジションを持つと、どこか愛着が湧いてしまう。
きっと心当たりがある人も多いんじゃないだろうか。

「自分のポジションへの愛着」
あの感覚を言葉にするなら、あれは偏った愛だ。
キャバ嬢に恋をした男のような、
元カノに未練を持つ男のような、
それはそれは盲目的な愛。

周りから見れば、その恋が無謀だってことは明らかだけど、
本人だけが「自分にだけはわかる」と信じてしまう。

そうなると、客観的にデータを見つめることができなくなる。
もうそれは、トレードではなくただのギャンブルだ。

その企業が上手くいくと過信したり、
そのコインが世界を変えると信じ込んだりしてしまう。
それがトレーダーにとって、
どれだけ致命的かは、初心者でも想像がつくと思う。

株や仮想通貨における「ポジションへの愛」は、恋愛の未練にも似た粘り気だ。
ネバネバしてなかなか切れない。

「あの女はやめとけ。」
周りからの悲痛な叫びは、当人には届かない。

でも、FXにはそれがない。
ドル、円、ユーロ、ポンド――
通貨に対して愛を持っている人なんて、ほぼいない。
チャートが上に行こうが下に行こうが、
「どっちでもいい」というスタンスでいられる。

これが、FXのすごく「ピュア」なところだ。

ドル円のチャートをただただ見つめ、冷静沈着に偏りを探す。
ただフラットにただただピュアに。
本当に誰を愛すべきなのか。
客観性の集大成が、FXで僕らが取るポジションだ。

あとは、情報格差の少なさだな。
FXが優れている理由は、情報の格差が他に比べてほとんどないことだ。

FX以外の世界。
株や仮想通貨なんかは、言うならばどこまでも「インサイダーの世界」だと思う。
内部の人間と機関と個人の間にある情報格差が、とにかく大きいと感じる。
その差が、個人トレーダーにとっては大きなハンデになる。

凄いシステムを組んだ機関も、
田舎に住む僕みたいな個人トレーダーも、
わりと平等な環境でチャートに向き合ってる。
それがFX。

非常にテクニカル理論な世界。
チャートだけで勝負できる世界だ。

だから僕たちFXトレーダーは、
インサイダー的な、コネクション的な能力を追求せずここまで辿り着いてる。
純粋なチャートのプロフェッショナル。
トレーダーとして非常にピュアなんだと、胸を張って言える。

小難しい話は要らない。
これが僕が思う、FXの素晴らしさだ。

もしこの話が気に入ったら、
いい女を口説く時にでも使ってくれ。
俺らがいかにピュアなのか。
この逆説的な表現は、非常にオシャレだと思うよ。


*写真はハワイ
空と海が見分けられ無い程の青。
それをハワイでは「purity」ピュアティと表現する。

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