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最初で決まる。
今年から月曜を休みにしたおかげで、生活に少し余裕が出てきた。
その空いた時間をただ寝て過ごしても意味がないと思い、バイクの免許を取ったり、パン教室に通ったりしていたんだけど、
最近新たにDTM(デスクトップミュージック)を学び始めた。
僕は作曲が得意で、これまでアナログなバンド活動をメインにやってきたけど、パソコンを使った音楽制作は未経験。
今はDAWソフトの使い方から勉強しているところだ。
正直、新しいソフトを覚えるのとかは苦手なので、すでに挫折しかけてるけど、何とか踏ん張らないとな、と対策を考えてるところだ。
今日の本題なんだけど、
この「最初のつらさ」って、何かを始めるときには必ずあるよな。
その話をしたい。
僕は物事を始める最初の段階を、本当に舐めちゃいけないと思っていて。
そここそ、めちゃくちゃ丁寧に支えないとダメなんだよな、と常々考えてきた。
たとえば、スノーボードの話がいい例で。
思い当たる人多いんじゃないかなと思うんだけど、
面倒見の悪い友達に誘われて、初心者なのにいきなり山の頂上から滑らされたり、
適当に放置されたりして、結局1日でスノボが嫌になったって話。本当によく聞くよな。
もう、本当に何してくれてんねん!
と、僕はその話を聞くたび思うんだよな。
せっかくその人がスノボをやろうと思ったのに。マジでもったいない。
連れてくなら、一日中手を繋いでてやってくれよ、とめっちゃ思う。
面倒を見れないなら連れてくな、とさえ思ってしまう。
僕のスノボの最初は18の時。子どもの頃からスキー経験者だったから、
「ゲレンデでの初心者のつらさ」がどれほどキツいものか熟知してたから、
自分がスノボを始めるときは、
ゲレンデデビューの前に、室内スキー場のスクールに通ってみっちり練習したんだ。
スキーが達者に滑れるから、ゲレンデで滑れないスノボをやるのって、本当に苦痛なのは予想がついてた。
あの惨めな気持ちで挫折したくなかったから、そうしたわけ。
おかげでゲレンデではいきなりリフトに乗って、いきなり楽しむことができた。
同じように、僕はフライフィッシングにも憧れてたんだよな。
あれは釣りの中でもダントツで参入障壁が高いジャンル。
フライフィッシングってのは、ただフライを投げるだけのことが、釣り経験者でも最初はできないんだよな。
投げるだけでめちゃくちゃ難しい釣りなんだ。
だからこればっかりはどうしたものか真剣に悩んで、初心者向けのレクチャーをしっかり受けたくて、北海道でプロのガイドを頼むことにした。
これも作戦は大成功で、今では無事に一人で湖に釣りに行ける。
しかし、プロのガイドさんに手取り足取り指導をされてても、ラインをたった3メートル投げるだけで最初に1時間以上かかった記憶がある。
もし我流で始めていたら、フライフィッシングは間違いなく途中で心が折れていただろうと思うよ。良かった。
僕が思うのは、
「何かをやりたい」という衝動って、
人生の中でそう何度も訪れるものじゃないってことだ。
それを挫折させるのは本当に惜しい。
本当にもったいないことってことだ。
だからこそ、その衝動は丁寧に大事に守らなければいけないと思っている。
ハックだよな。
多少お金をかけても、優先すべきは何なのかを間違えたらダメだよなと思う。
これは自分だけの経験に限らずで、
誰かに何かを教えるときにも同じことが言えると思う。
特に子どもや初心者に何かを教える場面では、
最初のアテンドが失敗すると、その人は二度と挑戦しなくなるかもしれない。
そんな可哀想なことをしちゃダメだ。
だからこそ、何かを始める人の初期のモチベーションを大事に考え、それを支える責任感を持つべきだと思う。
僕は多くの人にスキーもスノボも釣りも投資も教えたけど、初心者の最初のツラさは、できるだけ支えてきたと思ってる。
子どもに勉強を教えるのは僕は苦手だったりするんだけど、だからこそ僕はやらず、奥さんに任せたりもしながら、子どもの初期衝動を必死で守ろうとしてる。
僕自身、今回またDTMの勉強を通して、
「最初の一歩」の重みを再確認しているところだ。
どれだけ高い参入障壁でも、
その最初の一歩を丁寧に支えることで、新しい世界が広がるはずだから。
*写真は北海道
フライフィッシングの休憩でコーヒー沸かして休憩。魚が跳ねた波紋。