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知らない人は無視される社会だ。
20年前かもう少し前か、
「これからは情報化社会になる」と盛んに言われてた。
でも、当時の僕はその言葉の本質をまだ理解していなかったな、と思う。
情報化社会のど真ん中を生きている今、
「情報化社会とは何か?」と問われたら、
「知っている人が得をする時代」だと表現する人も多いだろう。
実際、僕も当時は漠然とそう思っていた。
でも、今この時代を生きてみると、現実はもっと冷酷だと感じる。
正確に言うなら、今の社会は「知っている人が得をする時代」ではなく、
「知らない人が無視される時代」
なんじゃないかと思うんだ。
かつては、「知らないこと」はある意味で普通のことだった。
情報が限られた範囲でしか手に入らない時代では、世間の共通認識がそこにあるから、
様々なシステムがとても丁寧だったんだよな。
でも今は違う。インターネットをはじめとする情報インフラが発達し、
「知っていること」が普通であり、
「いやいや、知っとけよ。お前が勉強不足なんだよ。そんな奴は知らん。」みたいな空気が多々あるんだと思う。
「知らない人から脱落していく」
そんな世界観を感じるんだ。
僕の専門である投資の世界は、
「知っていること」と「知らないこと」の差が非常に大きい。
そもそもお金って難しいからな、
すごく金融の話に、苦手意識を持ってる人は多い。
でも、この社会そのものがそもそも巨大なマネーゲームだとも表現できるから、
金融リテラシーをある程度まで上げないと、非常に危険だし、いろいろ損してる可能性がある。
分別のつくレベルの金融知識は、
本当は義務教育みたいにすべきなんだけどな。
助成金や補助金とかもそう。
あれって、知ってる人だけがもらってるんだよな。コロナの時とかそうだったのを覚えてる。
助成金で上手いことやってる人達がいたよな。
「あなたにその権利がありますよ。」
ってのは、意外と誰からも言われないもので、
「知らんかったー、教えてよー。」
みたいに僕らは思うけど、
知らない人ってのは、無視の社会なんだろうと思うよ。
「必要な情報はネットに載せました」と言えば、それで責任を果たしたことになる。
国も企業も、顧客一人一人に情報を届ける責務を、それで済ませてる。
対象者に直接知らせる努力が必要だった頃とは、社会の体質が変わっていったんだよな。
「知る努力をしない人が悪い」という構図が生まれてしまってるんだよな。
でも、僕らの意識だって、正直そうなんじゃないかと思うんだ。
例えば「SNSとかスマホとか苦手なんです。」
って、数年前は本当よく聞いたよな。
僕たちの意識ですら、
そういう人達を許せなくなってきてないか?
数年前まで許せてたのに、
「いや、さすがにそれは勉強不足でしょ。」
の範囲は増えていく。
これからも僕らの後ろから、
それが迫ってくるわけだ。
「知らないことに危機感を持つべき」 で、
僕たちは、このそもそもの意識のニュートラルのポジションを、少しずらす必要がある。
「知らないことが1つでもあるのは、大きなリスクである。せめて基本的なことはなんでも知っておくべき」
というスタンスへとシフトさせるべきなんだろうな。
全てを知る必要はないが、「無知の領域」を減らす意識を持ちたい。
社会で成功するためには、なにかの分野でスペシャリストになるよりも前に、全てを学ぶことが基本になる。
どんな話を聞いてもせめて「分別がつく」レベルの知識を持つ。
そんな努力が重要な時代だ。
*写真はどこかわからんけど正月のポスト。
下手したらだよ。下手したら、そんな遠くない未来に、年賀状を出すと嫌がられる時代になってくるよ。
この社会の変化ベクトルは、そっちを向いてる感じが垣間見れる。
進化の角度がそれだけ鋭利になると、マジで怖い時代になるかもって思うよな。
これを決して極論とは言えない。
そんな感じの危機感を伝えたかった。
僕も苦手なことがあるからさ、
もう少し、優しい社会を希望してるわ。