マラケシュ・フナ広場のクスクス爺さん・14番屋台−モロッコ食い倒れ紀行①
先月末、私は念願かなってモロッコに旅行してきた。学生の頃から行きたいと思い続けていたのだが、日本から北アフリカ行きの航空券はかなり高く、諦めるほかなかった。
しかし、最近はヨーロッパのLCCがモロッコにも就航するようになり、ひとたびヨーロッパにさえ到着できれば、往復で2〜3万円を払うだけでモロッコに行ける。
今回の旅行では、ライアンエアーというLCCを使ってイタリアからモロッコに入ることにした。訪れたのは、中世から続く文化都市マラケシュと、同じく有史以来続いている港町エッサウィラである。
これから数本の記事に分けて、モロッコ・イタリアの味を振り返ろうと思うが、今回はモロッコ・マラケシュのフナ広場での食事を綴る。
マラケシュという街
マラケシュはモロッコの中でも歴史的な街並みが残ると言われており、もう一つの古都フェズと並んで主要な観光地である。市内は旧市街と新市街の二つに大きく分かれており、城壁に囲まれた旧市街には無数の路地が入り組んでいるし、新市街には現代の都市らしく大通りが整備されていて、チェーンのカフェやら外国人向けの住居やらが綺麗に並んでいる。
マラケシュの街並みは単純に歴史的というわけではない。なぜなら、この街を形作る要素には、旧市街に残るイスラム王朝の文化と、新市街の現代都市的文化という対照的な二点のみならず、フランスによる植民地支配という第三の点が存在しているからである。こうした要素は、例えばイスラム教の神学校、スターバックス、広大な西洋式庭園を囲む五つ星ホテルによってそれぞれ象徴されている。
しかし、私にとって重要なのは、各要素を代表する個別の場所が存在していることではない。むしろ、その場所を結節点として展開するマラケシュという街全体に、その全てが分かち難く溶け込んでいることが大事なのである。
その理由は、様々な文化がごった煮になったこの街を散策するだけで、我々はただ歩くという営為がいかに豊かであるかを思い出すことができるからだ。
マラケシュにおいて、歩くことはすなわち発見することである。とりわけ旧市街においては、どの道を歩けばどこに行くのか、この角を曲がった先に何があるのかを発見する方法は、ただ歩くことの他にない。
一つの通りを歩くだけでも店々が意外な組み合わせで軒を連ねていて、赤茶色の砂壁に品物を干している絨毯屋、オレンジの生搾りジュースを売っている飲食店、伝統菓子やら野暮ったいケーキを常温のショーケースに並べたパティスリーに出くわす。この発見の連続において、我々は日常の生活の単調さが脱臼のように解体する心地良さを覚える。
世界遺産・フナ広場へ
フナ広場は旧市街の中心を成す場所である。古くは処刑場としても使われていたそうだが、現在はそのような陰惨な雰囲気は微塵もない。広場は大通りと繋がっているが、同時に無数の路地と接続していて、その中にも宿や食堂、土産屋などが所狭しと並んでいる。夜になると出し物やら屋台やらで大変な熱気を放つ場所になり、それが理由で世界遺産に登録されているそうだ。
だが、朝のフナ広場は白けたものである。私が最初に泊まった安宿はフナ広場のすぐ側だったので、午前8時すぎに向かってみたが、屋台はまだほとんど姿を現しておらず、スパイスや野菜を売る店のほかには、数軒の外国人向けカフェが開いているばかりである。旅行に一日だけ合流してもらうドイツ在住の旧友とカフェで落ち合って、私と妻は最初にミントティーを飲んだが、これがなかなか美味かった。
これは中国産の緑茶にお湯を注いで軽く煮出したものにたくさんのミントを加えたもので、モロッコの食文化には欠かせない飲料である。飲んでみると、ミント特有の強い清涼感はお茶の熱によって柔らかい香りに押しとどめられており、煮出した濃い緑茶の味を上手に受け止めている。
モロッコ人はこれに狂った量の砂糖を入れて飲むそうで、私も試しにスティックシュガーを全部入れて飲んだらたしかによく合った。味がより円くなるからである。
それから、何かしら朝食を出している屋台がないか探し廻ったものの、果たして古いヤマハのバイクに鍋をくくりつけた爺さんしか見つけることができなかった。興味本位で一つ頼んでみたところ、鍋からクスクスを掬って小さなボウルに移し、その上にとろみのある乳製品をかけた。一口含むと、無糖のヨーグルトだと分かった。当たり前だが、淡白なクスクスに酸っぱいヨーグルトを組み合わせても、大して美味しくはない。
クスクス爺さんに「砂糖はないのか」と拙いフランス語で尋ねるが、どうやらアラビア語しか分からないらしく、困惑した微笑を浮かべている。後客であるモロッコ人のおばさんに助けを求めると、「ここには砂糖はないみたいよ。でも、これは砂糖をかけないから健康にいいの。フレッシュなところがいいんだから」と教えてくれた。
しかし、よくよく考えればモロッコ人は朝から甘い甘いミントティーを飲んでいるわけで、なぜヨーグルトクスクスだけは無糖で食べる苦行を好むのかが分からない。若干の食べ残しが入ったボウルをクスクス爺さんに返し、広場を少しだけ歩き回って戻ったところ、彼は忽然と姿を消していた。
夜の祝祭
その日は遅くまで市内を散策し、夕食もきちんとしたレストランで済ませたが、夜食をつまむ目的でフナ広場に行くことにした。そこで我々を圧倒したのは、強烈な祝祭の感覚である。大通りから広場に向かって歩く時点で、すでに人通りが激しい。しかも、よくある観光地と違って、現地の人が大半を占めている。
広場に入ると、あちらこちらを行き交う人々の会話、様々な出し物の賑わい、立ち並ぶ屋台の明かり、食べ物のにおいが渾然一体となって全身を刺激する。屋台街の手前では、蛇使いが笛を吹いていたり、大の大人が釣竿で2リットルのジュースを釣り上げる馬鹿馬鹿しいゲームに熱中していたり、中年のバンドが民族音楽を演奏していたりする。
我々は様々な馬鹿げた出し物を眺めたのち、伝統音楽を演奏しているバンドを立ち見することにした。一人はシタールに似たアコースティックの弦楽器をアンプに繋ぎ、原音が分からないほどに歪んだ爆音をかき鳴らす。
その向かい側では、また別の一人がスネアのような打楽器をひたすら強打し続けている。彼を囲んで二人がタンバリンを叩き、最後の一人は野太い声で歌いながら、観客の輪の中で鼓のような小さな打楽器を打ち鳴らして歩き回る。この鈍重で真っ直ぐなグルーヴが、最大限の音量で文字通り観客の身体を揺さぶる。素晴らしい音楽だ。
宵闇に煌々と輝くフナ広場は、初めて目にするもので満ちている。訪れた者は、全身がソワソワするほどの高揚感に襲われて、これが生の肯定でなければ何であろうという確信を得る。それはまさに強烈な祝祭の感覚で、旅を終えた後にもその余韻は残り続ける。演奏が終わった時、最初はまばらだった人だかりは、いつの間にか大きな輪と化していた。
14番屋台でお夜食を
それから我々はお目当ての14番屋台に向かった。フナ広場の屋台にはそれぞれ番号が付いており、その質は玉石混交だとされているので、我々は定評があるうちの一つを選んだわけである。しかし、屋台は番号通りに整然と並んでいるわけではなく、なおかつ客引きの勢いも凄いので、そう簡単に目的の店辿り着くことはできない。
客引きは「宮迫でーす!」「魚!魚!芦田愛奈!」「車輪眼!車輪眼!」「(書くのも憚られるが)センズリ!マンズリ!」と様々な日本語を駆使して我々の気を引こうとする。
とうに芸能界から放逐された宮迫もこのモロッコでは依然として現役で、きっとコロナ禍以前に日本人観光客が悪ふざけで教えたであろう言葉が、過日の日本の姿をアルバムのように留めているのが興味深い。
ようやく辿り着くと、屋台を囲う長椅子に現地の人がたくさん腰掛けて食事しており、我々も彼らと相席することになった。カウンターにはイカやら白身魚やら様々な海鮮の揚げ物が置いてあって、注文が入るごとに揚げ直しているらしい。我々は揚げ茄子のペースト、トマトソース、白身魚のフライを注文した。いずれも小皿料理である。
最初の二皿は同時に出てきて、勝手にパンも付いてきたので一緒に食べたが、いずれも美味しかった。揚げ茄子のペーストは人肌の暖かさで、味付けは塩、レモン、オイルだけとごくシンプルだが、よく揚げて水分を飛ばした茄子特有の甘さとコクがしっかりと出ている。トマトソースはよく冷えており、水気のある粗ごしトマトの柔らかい酸味と、控えめに効かせたニンニクの風味が上手く合っていた。どちらの料理も、細かくちぎったパンでたっぷり掬って食べると、お互いの存在が引き立ってなおさら美味しい。
さらに美味しかったのは白身魚のフライである。縦長の魚を輪切りにして揚げているようで、フライの中心に背骨があり、そこから細い小骨が広がっている。屋台は魚の名前をBoukakouchと紹介しているが、検索しても一向にヒットしないので、正体は分からずじまいである。
確実に言えるのは、この料理の味わいがフグにかなり似ていることである。山代温泉で初めてフグの竜田揚げを食べた時、噛んだ瞬間に肉汁が炸裂し、弾力のある身から次第に旨味が出てくるので夢中になって貪った記憶があるが、それと同じ快楽がモロッコで味わえるとは想像だにしなかった。
しかも、モロッコのフグもどきは格安で、一皿で300円を割っている。私と妻はこの屋台を気に入って、滞在中に二度足を運んだ。