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私は「何者でもない」という感覚が時に私たちを軽くする


何者かになろうと焦ることも無く
他者の課題に介入することも無い

これは決して
消極的な考えではなく
むしろ生きやすくしてくれる思考法

誰かになろうとしなくても
そのままでもう既に「私」だし、「あなた」

他者の課題に口を出すほど私は大袈裟な存在でもない
多くの人が他人の人生に口を出すけれど、
なぜ、自分の意見が相手にとっても
絶対的な正解だと言い切れるのか

何者でもない私を受け入れると
同じく他者にも寛容になれる

必要以上に他者に多くを求めなくなり
期待もしなくなる
もちろん自分自身にも


何かを付け足す必要はなく
こうであるべきという思考を一旦おいて
「何物でもない自分」を許そう
許すことは  ゆるますこと
がんじがらめの自分をゆるまして
ありのままの自分でも受け入れられたら
きっと楽に生きられる

アメリカの神話学者
ジョセフ・キャンベルは
「人生最大の特権は、ありのままの自分になること」
と言った。
他人の目や世間の常識に生きず
他者と自分を縛らずに自由に生きていい

何者かになろうとしなくていいんじゃないか
そのままの私、あなたで
もう充分に私で、あなただから
自分自身を捨てて「何者か」になる必要が
本当にありますか?



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