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年が近いと愛情不足になる

2歳差で産もうと思っていた。


「年が近いと愛情不足になる」
という母の言葉が気になり、

欲しいような
欲しくないような

複雑な心境のまま
2年はあっという間に過ぎた。


その影響もあるし、
とにかく1人目の育児で
精一杯だったのだと思う。
なかなか妊娠できなかった。


初めての妊娠は
入籍直後でした。
結婚式などの多忙も重なり流産。

すぐに妊娠。出産。
だから、2人目不妊になるなんて
思いもしなかった。


2人目不妊。
1人産めたのだから
満足すべきかもしれないが、
なかなかつらいものだ。

近所のママ友が続々と妊娠していく。
うちだけひとりっ子。

「なんでサユちゃんのおうちには
赤ちゃんがいないの?」と聞かれると、
胸が痛んだ。


「2人目欲しいんだけど全然できないの」
と素直に言える人もいたが、
私は言えなかった。


母から
「できないの?作らないの?どっち?」
と、突然すごい勢いで聞かれた。
母も聞くタイミングを
うかがっていたのだろう。


世の中には幸せそうなひとりっ子さんも
たくさんいるのに、
私自身がひとりっ子ということが
一番のコンプレックスだった。


コンプレックスは、
自分が勝手に産み出した劣等感。


今ある幸せを噛みしめれば良いだけなのに。


私は、
生理がある限り、
娘にきょうだいを作るためだけに
生きようと決めた。



娘が年中の時、長崎旅行へ。

その時が一番つらかった。

バスに乗っても
レストランに入っても
子ども2人連れた人ばかり目に入る。

結局、長崎旅行に行った時には
妊娠していたことが後になって分かった。

夫と娘と3人の
貴重な時間の終わりを
もっともっと楽しめばよかった。



最初に行った不妊クリニックでは、
卵管通水を行い、

横柄な医者が
ふんぞり返りながら

「つまっちゃってるんだもん、
体外受精しかないよ」
と、言い放った。

すぐに通院をやめた。
こんな医者の元で
妊娠したくない。


仕事を始めた。
いい気晴らしになった。


仕事に慣れると、
違う不妊クリニックに通い始めた。

初診で経過を話すと医師は、

「自然にやってみないかい?」と、
優しく問いかけてくれた。

だーっと泣いた。

ホルモン自己注射しながら
タイミング法3クールで妊娠。

「見てみて。
くまのぬいぐるみみたいでしょ。」
と先生がエコー画像を見せてくれた。



こんなにかわいい子が
またお腹に来てくれた。


最初の妊娠中は、
総合病院の助産師をしていたので、

「流産するなら流産するし、
産まれる子なら産まれる。」
と妊婦さんを励ます立場だったこともあり、
なにしろ若くて命に対して軽率でもあった。

妊婦なのに力仕事もしたし、
熱があっても夜勤した。

でも、2人目の妊娠中は、
大事に大事にした。

総合病院で働いている時に、
妊婦さんにもっと優しい言葉をかけてあげれば良かったと悔やんだ。

命と出会う度に、
私は大人になり、
やさしくなった。

そんな未熟な助産師がたくさんいる。

なんなら、今も私は成長過程である。


成長する度に、
今まで関わったママに
ごめんね、と思う。

助産師と出会って感じたことは
助産師を成長させるために
どんどん発信してよいのです。


「こんなもんだろう」
「我慢したほうがよいのだろう」
そんな忖度はいらないのです。

現代の女性の発信が
未来の女性が大切にされることに
つながります。



結局、「年が近いと愛情不足になる」
という説に関しては、
よくわからないが
愛情不足って嫌な表現だなと思う。

下の子が生まれると
上の子は甘えたい気持ちを
思いきり表現したり、
抑圧したりする。


「問題行動」が起きたりする。

それは、すぐに起きるか、
5年後に起きるか、
大人になってから起きるか、
分からない。

その時に、気付いて、
振り向いてあげられるか。
そこなのだと思う。

赤ちゃんのやり直し。

私は一人っ子だったけど、

泣くこと
甘えること
抱きしめてもらうこと

を許されなかった。

自分自身が許さなかったのかもしれない。

出産してからは、
何歳になっても
時々赤ちゃんになることを
子どもに許すことで、
自分自身も許されているように感じた。

人は、一生をかけて、
赤ちゃん期を取り戻す。

だから、何歳差で産むとか、
赤ちゃんの頃、
余裕を持って接してあげられなかったとか、
そこを気にするのではなく。

とにかく
自分を許し、
子どもを許し、
周りの人を許すこと。

赤ちゃん期を取り戻している人を見たら、
温かく見守ってあげること。

今、目の前にいる人を
温かく包み、包まれ、
感謝できれば、
それでよいのだと思う。






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