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正義と信じて存在しない標的を作りあげる、SNSの悪意ある拡散について

SNSでの誹謗中傷、罵詈雑言、批判、煽りとトラブルの絶えない昨今。
その発信は受け手の解釈を経て実態と異なる拡散をされ、増幅し、事実無根の存在しない敵を作り上げて拡散していく。
レッテル張り、切り取り、誇張とその発信は留まるところを知らず広がり続ける。

今回はそんなSNS上での誹謗中傷の被害にあった話である。
これは情報の確実性、正確性、ネット上での発信についての警鐘である。


▶第一の拡散

私はSNSである人とトラブルになってしまった。それは個人間で解決したが第三者により拡散される。

叩ける見世物として拡散されたのだ。

最初は喧嘩していると拡散された。くだらない喧嘩と笑い者にされた。
拡散が容易であるSNS上での発言は簡単に広まる。そこでトラブルを起こした私のミスである。

▶切り取り・レッテル張り

ここから更なる広がりを見せる。
口論での発言を切り取って拡散されたのである。前提が異なれば発言の意図も意味も変わってしまう。

例えば飲食店で支払いの時にお金がなかったとしよう。
最初から無銭飲食するために来てお金がない人と
食事中にお店で財布を盗まれてお金がない人では、
お金がないというに事実にしても、事情は大きく違うだろう。
これで後者を無銭飲食しに来た犯罪者と罵り広める人は普通いないだろう。常識的に考えれば警察に通報の上で立替たり後払いとなるはずで、犯罪者とはならない。

ところがSNS上ではこれが起こる。私はこの例でいうところの無銭飲食の犯罪者らしい。
財布を持ってきたという事実は削除され、金銭がないという事実だけを切り取られる。
確かに支払い時に金銭がないという状況だけ切り取れば無銭飲食とも取れるだろう。だがそれは私の意志ではないし、私の意図した行動でもない。
しかし現実では無銭飲食の犯罪者のレッテルを張られ、嘲笑と共に拡散されていった。
実際にはもっと小さい話なのだが、私はやってもいないことをやった悪人のように広められたのだ。

▶時系列の操作・誤認識

時間が経つごとに拡散され人目に触れる機会も増える。それに伴って後から知った人は時系列を追う人もいるでしょう。
しかしここで問題が起きる。悪意ある拡散から知った人は私が悪だという先入観を植え付けられている。
更にSNS上では発言の削除も容易である。
これによって更に誤解が広まるのである。

例えば撮影禁止の場所があったとする。

  1. 第三者が私に撮影禁止であることを秘密にして写真を撮るように促す。

  2. 私は撮影禁止の場所で写真を撮る。

  3. 第三者がその行為を悪意を持って拡散する

ということがあったとしよう。
この時系列で見れば私が騙されているとわかる。
しかし第三者の行動を消すと

  1. 私は撮影禁止の場所で写真を撮る

  2. 第三者がそれを悪意を持って拡散する

私が自分から撮影禁止の場所で撮影している違反者に見えるのだ。
第三者が糾弾するために拡散しているようにも取れる。
SNSで特定の発信を削除することで時系列が乱れ、加害者は攻撃を簡単に隠すことができる。

そして後追いの受け手は先入観と消えた発信から事実誤認を起こしてしまう。いや起こすように誘導されていると言うべきか。
SNS上で他人のトラブルを隅々まで精査する人は少なく、調べるにしてもさっとあらましを確認する程度で、完璧に理解する人は少ない。
こうして私はどんどん悪者に仕立て上げられていく。

▶誇張・無いもの読み取る

膨れ上がった悪評は加速する。
受け手の認識によって事実が歪むのは前述の通りである。ここから更に悪評は誇張され拡散されていくのだ。
無知による誤解はまだマシだが、悪意をもった拡散は留まるところを知らない。私が言っていないことを言ったことにし、書いていないことを読み取って広がっていく。

財布を持たずに店に来たことになっている私は、無銭飲食のために店に来たことになっている。無銭飲食の常習犯で、罪の意識はない、ろくでもない人物だ。警察には何度も厄介になっていて、刑務所を往復して税金を食いつぶしてる社会の敵だ。それを指摘され糾弾されても一切反省の色を見せず言い訳をしている救いようのない屑である。

都合の悪い部分は切り取り、悪い部分だけ誇張され、誤情報の拡散を繰り返して膨れ上がる。
パーツの欠けた伝言ゲームは歪さを増して、存在しない標的を作り上げていく。

さて、これは一体誰の事だろう?

もはや私の原型を留めない私の悪評は広がるばかり。そこに私という実像の有無は重要ではない。受け手に悪と認識されれば即座に正義感から拡散されていく。
まるで汚職を捏造された政治家のようだ。
あることないこと付け足されて拡散されている。

自分たちが正義と信じて、存在しない標的を作りあげているのだ。

▶加害者の攻撃性

義憤に駆られているのか個人的恨みか愉快犯なのか。
加害者の攻撃性は異常な執着が見られる。

同調者を見つけては同じ文言をコピペして回りヘイトを拡散する者
私の件とは関係なく火種を見つけては野次を飛ばして回る者
常日頃から暴言を吐いて回り憂さ晴らしのように絡む者
何日にも渡り、こちらの動向を遡り粗探しをする者
知人に丁寧に悪評を説明して回る者

今日まで全くSNSが稼働していないのにこの件にだけ急に反応する者

いくつか推論は建てられるが、どれも推論の域をでないので今は事実だけを羅列しよう。
これらの悪意ある行動は行き過ぎたものである。仮にこちらに非があっても過剰防衛にあたると考える。
この場合に関してトラブルを起こした本人とは話がついており、やっているのは無関係の第三者である。

一部を除いて彼らはSNSに貼り付けて拡散を続けているし、日頃から似た言動が見て取れる。まるでSNSそのものに住み着いているようだ。
起きている時間常にSNSを見ているのではないだろうか?
少なくとも毎日、一日も欠かさずSNS上での活動が見られるのは確かだ。
何故こんなに加害者を調べたかと言えば、弁護士に相談するためだ。

▶誹謗中傷への抵抗

誹謗中傷の嵐に晒されてからというもの、気分も悪ければ心休まる時間もない。
不安とストレスで心臓は過剰に脈打ち、脳は余計な思考ばかり巡らせて体に負担をかけ続ける。忘れようにも恐怖は脳に焼き付き、就寝時の静寂は不安を増幅させるだけだ。ふとした瞬間に怒りと不安が押し寄せ、正常な判断力は奪われる。
心身ともに摩耗し、正常な状態を保てなくなった体は、眠ることも出来ず、味もわからず、常に異臭を感じとる状態になってしまった。

相手は名指しで晒し上げてるので別に報復で同じことをしても構わないと思っているが、時間の無駄なのでやめておこう。
SNS上のスクショを貼る行為は著作権に触れる可能性があるのでここでは控える。
もっと現実的な策を取りたい。

悪評が広まると真実も現実も嘘とみなされる。
言葉の通じない相手に言葉で戦うことはあまりに無力だ。
煮えたぎる溶岩に水を注いだところで冷めるわけがない。
もうこうなってくると法のもとで裁くしかない。

この記事を書くにあたって文筆家の友人に相談したところ、友人も似たような被害にあっていた。その友人の言葉を借りるなら正義を振りかざせる理想的な敵を作り上げていると怒っていた。
彼は問答無用で弁護士に相談して民事訴訟を進めていた。金はどうせ取れないだろうから刑事告訴まで持っていって前科をつけてやると言っていたが、私にはそんなお金はない。

誹謗中傷、この場合刑法で言うなら名誉毀損と侮辱罪というのだろうか?
これらを弁護士に相談するにしても、多額の費用が掛かる。
相談が30分無料のところもあれば、5000円のところもある。もっとするところも多い。
着手金5万のところがあれば、20万円のところもある。もしくは成功報酬からの歩合制などもあるが、いくらになるか予想もできない。
仮に相談や着手金が安いとしても、成功報酬などがその分高額な場合や、そもそも料金が書かれていないところもある。
準備だけでも大きな金額が必要になる。

訴訟を起こすなら更に訴訟費用として20万円前後。
刑事告訴するなら告訴状のために更にかかるらしい。
成功報酬まで含めたら50万円近くは用意しなければならない。
しかもこれは1人あたりにだ。相手が複数いるなら、これは2倍3倍と膨れ上がる。
とてもそんなお金は用意できません。

開示請求や削除要請をしたところで失った名誉は戻らない。
こちらが金銭を失うだけで相手には大した痛手にはならない。
しっかり訴訟、出来れば刑事告訴まで行かなければただのやり得でしかない。
争いは好まみませんが、ここで止めなければ相手は同じことを繰り返すでしょう。
なんとかして戦うしかないのです。

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