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ナミダ

オレはアセだ。
現在目元付近を通過しているが、決してナミダではない。


アセは、全身を黒い布に包まれた、少女のおでこから生まれた。
アセの体に乱反射してその表情が目に入ると、アセは少女が苦しんでいることを理解した。
目を固くつむり、眉間に皺を寄せ、口をぐっと縛るこの表情が苦しさを表すのだと、アセはわかっていた。
「なにかを我慢しているのか」と気になったアセは、乱反射をうまく使って周りを見渡してみた。そこには少女同様、黒い布を身につけた大人たちが、花まみれの老人に手を合わせていた。
アセは興味なさそうに「新手の宗教だろうな」と一人ぼやくだけで、今度は乱反射をうまく使ってメジリの方に目線を移した。


「久しいなアセよ」
そう言いながらメジリは、アセの方に手を差し出している。
「ナミダの真似事かな、アセよ」
「ちげえよ。だれが自分の孫の真似なんてするか」

パチんっ。

メジリとのハイタッチをすませると、アセはすぐさまほっぺたを駆け降りる準備にとりかかる。メジリはアセのあまりの出立準備の速さにあっけにとられた様子だ。

「アセよ。もう行くのか。お前を恋しがっていたお前の孫も、もうじきに来るというものを。もう少しだけ、こっちでゆっくりしていけばいいのに」

「すまんがそいつはできねえな。こっちにもアセとしてのプライドがあるし、うちの孫みたいにしみじみしてんのはどうも苦手でよ。早いとこずらからせてもらうぜ」

ほっぺたの崖を見下すアセは、背中だけをメジリに見せて、そう言った。アセの腰にはこの断崖絶壁を駆け降りるための装備がじゃらじゃらとぶら下げてある。

「それに孫と会うのはまだまだ先の話だ。メジリ、ナミダにそう言って聞かせてくれ」

アセは特注の「アセ印の塩のピッケル」を左手に一本、そして「アセ印の特大ローション」を右手に一本取り出すと、すぐにほっぺた向けて飛び込んだ。アセが飛び降りたあと、メジリはひとり、「そうか、行くのか」とだけ呟き、ほっぺたを駆け降りるアセを見送った。



少女の目尻から頬にかけて、ひとすじの水滴がこぼれていく。

それは涙のようで、涙でないもの。

涙でないものは、自分を呼ぶ、聞き覚えのある泣き声を耳で捉えたが、それにかまわず進んだ。

少女の目からは、堰を切ったようにたくさんの涙がこぼれていく。

少女の頬からこぼれ落ち、キラキラと乱反射する視界の隅で、涙でないものは少女が泣いている様を捉えた。

「元気だせよな人間の子。笑えや」

そう言うと涙でないものは、儚くも地面に散った。

残したナミダたちに追いつかれぬように、寂しさが残らぬように。

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