優しい人ほど、実は短気かもしれないという話
普段から仲良くしてもらっている人の中に、誰もが認める「優しい」人がいる。
その人は一見クールでマイペースに見えるけれど、とにかく他人の心の機微に敏感で、本当によく周りを見ている。
そして、困っている人を見ると放っておけないらしい。
それも取ってつけたような親切ではなくて、ちょっとした言葉がけの中に、真面目で温かい人間性が滲み出ている。
決して目立つタイプじゃないし、声も大きくはないが、そんなことは全く関係ない。
いつも静かに、かつ本気で他人の苦しみを取り除いてあげようとしていて、そこが素敵なのだ。
繊細で、控えめで、押し付けがましくない手助けができる人。
もしかしたら状況によっては、神様みたいに思えてしまうかもしれない。
もちろん私はその人のことが大好きだし、多分出会う人の大抵から好かれていると思う。
でもこの前、その人が言っていた。
「自分の短所は、短気なところだよ」と。
そんなバカな、と最初は思った。
その人が声を荒げているのなんて一度も見たことはないし、イライラした顔も記憶になかったから。
わたしが「そんなことないでしょう」と言うと、「いやぁ短気なんだよ」ときっぱり断定された。
どうしても信じられず、色々と考えてみた。
あんなに優しくて大人しい人が、短気…つまりキレやすいなんてことがあるだろうか。
そして、一つの答えが分かった。
もしかしたら人に優しいということは、短気さと表裏一体なのかもしれない、と。
なぜなら、洞察力のある優しい人ほど、他人の無神経な態度が目についてしまうから。
優しい人がなぜ優しいのかといえば、「他人の気持ちを推し量る才能」があるからだ。
もちろん実際には、他人の気持ちを100%正しく知ることなんてできない。
でも、表情や言動からある程度は察することができる。そしてその程度は、人によってかなりの差があるように思う。
誰かと向かい合ったときに、相手の感情を感じ取るセンサーが敏感だと、より深くその人の気持ちを理解することができる。
嬉しさ、悲しみ、怒りなどの感情は、個人差こそあれ、その人の表情や声の中に必ず現れるから。
それを鋭くキャッチするセンサーが敏感で、「察する力」が強い人が、いわゆる「優しい」人と呼ばれるのだ。
人の気持ちが分からなければ、優しくすることなんて出来ないのだから。
でもきっと、この才能は、いつもいいように作用するとは限らない。
人の気持ちが分かることには、デメリットもある。
その中の一つが、「人の気持ちが分からない無神経な人に苛立ちが募る」ということじゃないかと思う。
周りのことを慮れる優しい人ほど、傍若無人な態度を取る人のことが理解できないし、許せないのだ。
そしてこの世の中には、そういう無神経な人というのが少なからずいる。
例えば、
・ラッシュ時の改札の前でじっと立ち止まって定期券を探す人。(探すのに時間がかかるなら場所を変えてほしい)
・傘をブンブン振り回しながら歩く人。
・店員さんに偉そうな態度を取る人。
・相手が言われたくないことをわざわざ口に出す人。
・「わたしは怒ってますよ」と言わんばかりに、トゲのある言い方をする人。
もう少し抽象的に言うと、
・人の迷惑を考えない人。
・人を平気で傷つける人。
こういう人を見たときに、優しい人ほど、「なぜそんなことを平気でできてしまうのか」と苛立つんじゃないだろうか。
わたし自身も、これまで大嫌いだと感じた人は、上のどれかに当てはまっている。
自分が見ている世界と、他人が見ている世界は違う。
それは当たり前のこととして頭では分かっているのに、どうしても、他人も自分と同じように振る舞ってくれるのではないかと「期待」してしまうことがある。
結果それが裏切られ、自分は到底しないであろうモラルのない行為を目の当たりにしたとしたら。
驚きを通り越して、ふつふつと怒りが湧いてくるのも仕方がないかもしれない。
最初に書いた、自他ともに優しい人はこう言っていた。
「例えば電車で乗り合わせた赤の他人の態度が悪かったら、すごく嫌な気持ちになる。なんで分からないの?と思ってしまって…きっと、他人に自分と同じくらいの優しさを期待するのがいけないんだね」
つらいな、と思う一方で、たしかに、とも思った。
家族とか恋人とか、自分の好きな人に対して優しくできる人は沢山いるだろうけど、確かにこの人の言うとおり、パブリックな場での優しさが十分にある人はさほど多くはないんだと思う。
正直、わたしだって自信がない。
全く関係のない他人だからこそ、トラブルにならないように、嫌な気持ちにさせないようにできるだけ気を使っているけど、ムシャクシャしてるときはそうもいかなかったりするから。
自分でも気づかないうちに、傍若無人な態度を取ってしまっているかもしれない。
それでもやっぱり、こんな世の中では優しい人が間違っているだなんて思いたくないから。
優しい人が、その優しさゆえに苛立たないように、幻滅しないように、わたしも優しさについて考える時間を増やしていこうと思う。
そして優しい人自身も、他人に期待しすぎないようにすることがきっと大切なんだろう。
「人間なんてみんな自分勝手で、赤の他人に優しくできるのは、よっぽど余裕のあるときだけだ」くらいに思っておくのが、ちょうどいいのかもしれない。
普通に生きていれば、知り合いと会うよりも、赤の他人とすれ違うことの方が圧倒的に多い。
だからこそ、そこで起こるストレスや戸惑い、苛立ちは、自分自身の振る舞いと捉え方によって減らしていければいいな。
そんなことを思った休日でした。
読んでくださり、ありがとうございました。