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山頭火俳句集

自由律俳句に興味が湧いたので、岩波文庫の『山頭火俳句集』を買ってみた。始めのほうの句(1911年から始まる)は五七五の形を保っているものが多いが、年を経るごとに五七五から解放されて自由になっていく。読んだのはまだまだ一部だが、気に入った句とその印象を記録しておきたい。

山頭火の句は孤独について詠んだ悲しい句が多い。ただただ悲しい句もあれば、悲しさとともに人の温かみや自然の美しさを同時に詠んだものがあり、悲しさの濃淡が句によって様々。読んでいてうまく情景が浮かばず、意味がよくわからないものも多いが、自分の心に何か残る句をひとつでも多く見つけていければと思う。

「光と影ともつれて蝶々死んでをり」

 木々が風に揺られて道端の木漏れ日が激しく揺らめくなか、蝶が静かに死んでいる姿が目に浮かぶ。

「けふもよく働いて人のなつかしさや」

 わかる。一日汗をかいてよく働いた日は、誰でもいいから人に会いたくなる。しかしおそらく気軽に会える友もおらず、ひとり家路につくのだろうな。

「ま夜なかひとり飯あたためつ涙をこぼす」

 こんなに悲しいことがあるのか。暗い部屋で飯を暖めている最中、ふと自らの孤独に気付き、涙をこぼす。真夜中にどうすることもできない孤独感を抱えたまま、ひとり飯を食わなくてはならない。

「日記焼き捨てる火であたたまる」

 日記が音もなく燃える。日記を燃やすということはこれ以上日々を記録しておく必要がないということなのか。人生の終わりを見通している感じがして悲しい。

「犬が尾をふる木の葉がおちるおべんたうをひらく」

 尾をふる無邪気な犬と、おそらくひとりであろう作者。秋が終わり冬が始まる寒々とした日なのだろうが、犬と人の食事の風景がどこか温かみを感じさせる。