『こだわるから、とらわれない―温泉が教えてくれた心地いい生き方―(ICE新書)』序章まで無料全文公開!
2023年7月31日に発売された書籍『こだわるから、とらわれない―温泉が教えてくれた心地いい生き方―』(著:高橋 一喜)の序章までを無料全文公開いたします!
はじめに――「とらわれない力」が人生を愉しくする
私には他人に誇れるような才能がない。
温泉ライターや本の編集の仕事をしているので、温泉にくわしかったり、それほど苦もなく文章を書けたりするが、実際は劣等感に苛まれることが多い。
私よりも温泉について広く深い見識をもっている専門家は少なくないし、SNSやメディアなどには「温泉の魅力を伝えるのが上手だなあ」と感心させられる温泉ファンの投稿も山ほどある。
文章に関しても、もっとしびれるような原稿を書けたら……、もっと伝わる文章を書けたら……と、自分の能力にがっかりさせられる。
そのうえ、人間関係を築くのが不得意だし、物覚えが悪く忘れっぽいし、話下手だし、英語はあきらめたし、体力もないし、細かい作業も苦手だ……自分がイヤになる。人には得手不得手があるのは百も承知だが、理想の自分には一生かけてもなれそうもない。
だが、そんな私でも他の人よりも秀でているのではないか、とかろうじて思える能力がある。
とらわれないこと。
何かに縛られていても、その紐をするりと抜けて生きている。そして、そのときの自分が望む選択をできている。
はっきりと意識してそういう行動をとっているわけではないが、何かにとらわれること、縛られることに居心地の悪さを感じるのかもしれない。
社会で生きる以上、人はさまざまなことにとらわれている。
「〇〇であるべきだ」という常識。
「○○にちがいない」という思い込み。
「〇〇がふさわしい」という価値観。
仕事や人間関係、時間、住居など、私たちを制約するものは数多い。
もちろん、私自身もさまざまなものにとらわれて生きている自覚はあるし、とらわれること自体が「悪」というわけでもないだろう。さまざまな縛りがあるから、まっとうな生活が送れている面もある。
一方で、自分の人生を振り返ってみると、要所要所でわりと自由に生きているような気がしなくもない。少なくともまわりの人にはそう見えているようだ。
「また、おもしろいこと始めたね」
「フットワーク軽いよね」
「好きなように生きているね」
そんな印象をもたれることが多い。
おそらく、次のような行動がそのイメージに影響していると思われる。
・温泉好きが高じて、会社を辞めて日本一周3016湯をまわる旅を敢行
・15年前からフリーランスとしてノマドライフを実践
・子どもと過ごすために1年間の自主育休
・ソロ温泉や温泉ワーケーションなど温泉を取り入れた生活
・東京を離れて縁もゆかりもない札幌に移住
たしかに、こうして挙げてみると、世の中の常識や仕事、働き方、人間関係にとらわれていたら躊躇してしまうようなことばかりしてきたのではないか……。思い返すと、自分の好きなように生きているような気もする。でも、ひとつも後悔していないし、結果として愉快な人生になっている。死に際には「なかなかいい人生だった」と納得できそうだ。
「とらわれない」ことは、どうやら人生にワクワクをもたらすらしい。そう気づくに至ったのは、わりと最近のことだ。
そこで、本書では「とらわれない生き方」をテーマに、自らの半生を振り返ってみたい。
これまでの自分の思考プロセスや行動から、とらわれないことのプラスの側面が見えてきたらいいと思っている。
「とらわれず、自由に生きる」というと、意識が高い人や行動力にあふれている人しかできないというイメージが強いが、私のような平凡な人間でもとらわれない生き方はできるということをお伝えしたい。
いまの生活に息苦しさや行き詰まりを感じていたり、理由もなくもやもやとした感情にとらわれたりしている人には、何かしらのヒントを提供できるかもしれない。
とはいえ、偉そうに人生訓を垂れるつもりはないし、そんな資格もないと自覚している。先に白状しておくと、そもそも波瀾万丈の人生というわけではないし、人がびっくりするような偉業を成し遂げたわけでもない。まわりの人に「ちょっと変わったことしているよね」と言われる程度だ。過度の期待は禁物であることを先に断っておく。
ただ、私がとらわれないように見えるとしたら、「温泉」という存在と関係があるのは間違いない。温泉にハマらなかったら、まったく違う人生を送っていたのは想像に難くないからだ。
「とらわれずに生きる」ためのヒントがあるとすれば、私にとっての「温泉」だろう。一見矛盾するようだが、何かひとつのことにこだわることが、「とらわれない」ための有効な手段となり得るのかもしれない。
そこで、温泉と私の関わりを中心に、「とらわれない生き方」というテーマを紐解いていきたい。
そのプロセスにみなさんの琴線に触れるものがひとつでもあれば、本書を書き下ろした意味があるかもしれない。「こういう道もあるかな」「もう少し自由に発想してみてもいいかも」などと、ちょっとでも人生の選択肢が広がる感覚をもってもらえたらうれしい。
温泉にでもつかるように、肩肘張らずリラックスして読んでほしい。
高橋 一喜
序章 「既成概念」にとらわれない――自分らしい生き方はぜんぶ温泉が教えてくれた
∟温泉は「とらわれない生き方」の象徴
温泉の魅力を挙げればきりがないが、根本的にはひとつに集約される。
裸のまま、家のものより大きな湯船や開放感のある露天風呂につかっているときの幸福感だ。
温泉入浴では、誰もが裸になる。若い人もお年寄りも、老若男女関係ない。生まれたままの姿で湯につかる。
裸になって自然の恵みである温泉に身を預ける。湯のぬくもりに包まれ、その天にも昇るかのような心地よさに、日常の悩みやイヤなことなどしばし忘れてしまう。脳もリラックスした状態になって、幸せな気持ちになる。
温泉入浴の気持ちよさについて「母親の羊水の中に浮かんでいたときの記憶を思い出す」と表現する人もいるが、あながち大げさだとは思わない。それほどに安心感がある。
そんな幸福感に包まれているからだろうか、湯船の中では、さまざまなものから解放された気分になる。少しぬるめの湯にずっとつかっていると、魂でも抜かれたような放心状態に至る。
都会のスーパー銭湯などでは実感しにくいかもしれないが、たとえば大自然に囲まれた露天風呂だと、非日常的な開放感から、細々とした余計なことを考えなくなる。思考や発想ものびやかに、自由になる。
また、湯船の中では、社会的な立場や役割も関係ない。役職、収入、資格……そんなものは関係なく、無防備な姿でいられるのである。みんな裸だから、フラットで、なにごとにもとらわれない。
湯船の中ではたまたまいっしょになった、見ず知らずの人と会話が弾むことも少なくない。日常生活の中でまったくの他人と自然に会話が始まるようなシーンはめったにないが、温泉では不思議とオープンな気持ちになり、コミュニケーションが始まる。
社会的立場や地位が気にならないフラットな精神状態もまた、温泉の気持ちよさにつながっているのではないだろうか。
温泉は、社会や日常生活から一時的に切り離された特異な空間ともいえる。だから、湯船の中では、なにごとにもとらわれない。
ずっと湯めぐりをしてきた自分にとって、温泉は人生そのものである。
個人的な思い込みにすぎないかもしれないが、温泉に入浴したときのフラットで解放的な精神状態を何度も経験してきたことが、人生における「とらわれない」思考につながっている気がしないでもない。私にとって温泉は、「とらわれない生き方」の象徴なのである。
∟東京から北海道へ移住を決意
2021年1月、東京から札幌に移住した。
きっかけは、妻の問いかけだった。
「幼稚園、どうしようか? 通い始めたら引っ越しをしにくくなるよね」
ひとり娘が3歳になってまもなく、翌年から通い始める幼稚園のことをそろそろ考える必要に迫られていた。
当時、私たち家族は東京・新宿区に住んでいた。どこへ行くにもアクセスがよく、お店などがひと通り揃い、買い物に不便しない。好奇心をくすぐるような都会ならではの刺激も多かった。学生時代から住んでいたエリアで、都会生活を気に入ってはいたが、これからも娘といっしょに生活していくとなると話は別だ。
「公園が少なくて狭い」「交通量が多い」「自然と触れる環境が少ない」など、子育てをするには少々都会すぎるのではないか、という危惧があったからだ。
娘を通わせる幼稚園にも不安があった。土地が限られる都会の幼稚園の宿命かもしれないが、家から通える幼稚園はビルの谷間にあって、どこも敷地が狭く、窮屈に感じられた。通園ルートも交通量が多く、事故に遭わないか心配だった。
もちろん、すべての幼稚園を把握していたわけではないが、見学に訪れた幼稚園は園庭も小さかった。猫の額とまでは言わないが、千葉の田舎の広々とした幼稚園で過ごした自分にとっては、一抹の不安を覚えるものだった。見学するたびに、「なんだかなあ」という違和感が膨らんでいった。
「本当にここで子育てしていくのか?」
すると、妻も同じようなことを考えていたようで、突然「もっと落ち着いた場所に引っ越したい」と言い始めた。田舎生活がしたいわけではないが、もう少し自然のある場所で子育てをしたいという思いは、夫婦ともに共有していたのだ。
それにくわえて、私自身も都会の生活に疲れを感じていた。田舎が嫌いで東京に出てきたこともあり、若い頃は都会での生活以外考えられなかった。だが、年齢を重ねるとともに、人口密度の濃さや過度に感じられる刺激に居心地の悪さを覚えるようになっていた。当時はコロナ禍の最中で、人が密集する東京に生きづらさを感じてもいた。
妻と出した答えは、「子どもがのびのび過ごせるところに引っ越そう」だった。もちろん、都会だからのびのびと育てられないというわけではないし、都会で子育てをするメリットもある。だが、肌感覚として夫婦ともに「ここではない」という結論に至ったのだ。
では、引っ越し先はどうするか?
「軽井沢?」「ハイソすぎるよね」
「鎌倉?」「観光客が多いし、都心からアクセスもちょっと悪いよね」
「千葉?」「う~ん、悪くはないけど」
「埼玉?」「う~ん、積極的な理由もあまりないよね」
ふつうに考えたら、東京の郊外や関東近県が候補となる。だが、どこもピンとこなかった。なによりワクワクしない。せっかく住み慣れた町から引っ越すのだから、少しはテンションの上がるような場所がいい。そうでないと、「やっぱりこのままでいいか」という展開になりそうな予感もしていた。
そこで、いろいろな問題やしがらみはとりあえずわきに置き、純粋に引っ越したい場所はどこか。自由な発想からアプローチした。
まず思いついたのが温泉地だ。毎日温泉に入りながら暮らせたら最高だ。子どものためと言いながら、自分の趣味を優先しているのだからダメな親である……。
それはともかく、最初に思い浮かんだのは大分県の別府だ。日本を代表する温泉都市で、犬も歩けば〝源泉〟に当たるくらい温泉だらけ。一方で、ある程度、都市機能も備わっていて、温泉が暮らしに溶けこんでいるような環境も理想的だ。昔から「温泉地に住むなら別府」と考えてもいた。
ところが、特別温泉が好きというわけではない妻は乗り気ではなかった。はっきりした理由は覚えていないが、とにかくイメージがわかなかったのだろう。
私自身も、アクセス面で少し不安があった。大分空港からわりと近いとはいえ、実際に全国に移動するにはあまり便利とはいえなかったからだ。
当時はまだ、仕事で頻繁に東京と行き来することを想定していた(実際はそうならなかったが)。また、温泉ライターとして全国の温泉地を取材する生活をしていた。
別府は大分空港から車で50分ほどの距離で、許容範囲ではあるが、いかんせんフライトが限られる。東京便は心配ないが、地方の温泉地に出向くには不便だ。たとえば北海道や東北の温泉地に行くには乗り換えが必要になる。
湯量も泉質も豊富な別府は温泉入浴に困ることはないが、仕事柄、全国の温泉地をまわる必要がある。地方に移住するなら、日本各地にアクセスしやすい環境も譲れない条件だ。
そうなると、地方の温泉地は難しいのではないか……しばらく引っ越しの話は停滞することとなった。
∟フツーの人が「地方移住」を実現
幼稚園の入園が半年後に迫っていた。引っ越すならそろそろタイムリミットだ。このまま決まらなければ、なんとなくそのまま住み続けることになる。そんな雰囲気が漂い始めた頃、突如として「札幌はどう?」と妻に訊いている自分がいた。
今考えても不思議だが、本当に思いつきとしか言えないアイデアだった。寒いのは嫌いだし、それまで候補として考えたこともなかったのだから。
しかも、札幌は夫婦ともにさほどゆかりがなかった。私は温泉めぐりや仕事で10回ほど訪ねたことはあるが、親戚や友人が住んでいるわけでもない。妻にいたっては、一度も北海道に足を踏み入れたことがなかった。
それにもかかわらず、妻は「札幌はいいかも。花粉症もないし」と一言。訪れたことのない街に住むのは、私の感覚では理解できなかったが、ほかのどの候補地よりも前向きだったから、良しとしよう。こうして、いきなり札幌が第一候補地に躍り出た。
よく考えてみると、札幌は全国レベルでも大きな都市だし、生活に困ることはなさそうだ。ドラマ『北の国から』の世界のような人里離れた地に住むのは現実的ではないが、札幌なら暮らしも便利なはず……。
意外とアクセスがよいのも発見だった。
札幌駅から電車で40分弱の新千歳空港は、羽田空港行きが1時間に2~5便もあるし、便数は限られるが地方の空港も広くカバーしていた。急に東京で仕事が入ってもすぐに駆け付けられる。フライト時間は1時間35~40分なので、東京の郊外から都心に向かうのと、時間的に大きな差はない。
子育てをする環境としても悪くなさそうだ。なにより自然が多い。札幌は大きな都市だが、中心部を離れれば山や海もある。広大な公園も多い。のびのびと暮らすには十分な環境だろう。自然の豊かなところで子育てをするという目的にはかなっている。
そして、温泉も豊富だ。自然環境に恵まれた北海道は温泉地数が日本一で、温泉好きも納得の名湯が各地にある。
「じゃあ、札幌を第一候補にしようか」
多少の紆余曲折はあったが、意外とあっさり札幌移住が決まったのだった。熟慮の末の決断というものでは全然なくて、「明日仕事が休みだから日帰り温泉でも行こうか」くらいの〝思いつき〟レベルだった。
自分でも予想外な札幌移住を果たしてから、2年以上の月日が経過した。
移住前は、まさか自分が札幌に住むとは、つゆほども考えたことがなかったから、一面白銀の雪景色を眺めていると、いまも不思議な感覚にとらわれる。
札幌移住については第6章でくわしく述べるが、移住した感想をひと言で表現すると「最善の選択」だった。公園で走り回ったり、時間を忘れて雪遊びに興じたりしている娘を見ていると、そう実感する。
同時に、ふと考える。
どうして札幌移住という自分でさえも想像できなかった選択ができたのか、と。常識で考えれば躊躇するはずである。
その答えは、シンプルに言うと、これまでの人生のさまざまな局面で「とらわれない」で生きてきた結果だと思う。
会社や働き方などのメインストリームにとらわれず、ときに逸脱する。その延長線上に札幌移住が実現したのだと、自分を納得させている。
∟オトナだってワクワクしたい
私たちは社会で生活していくうえで、さまざまなものにとらわれている。仕事、働き方、家、人間関係、家族、時間、場所など挙げればきりがない。
・今の生活は変えられない
・仕事があるから無理だ
・家族がいるからできない
というように、さまざまなものに縛られている。
だから、本当はしたいことがあるのに行動を起こせない。いやだと思いながらも身動きがとれない。あるいは感覚が麻痺してしまい、何かにとらわれていることさえ意識するのが難しいケースもある。
とらわれることは、ワクワクを奪う。子どものとき、誰もが「こんなことができたら楽しいだろうなあ」と想像を膨らませたことがあるかもしれないが、ワクワクするのは子どもだけの特権ではない。大人だってワクワクしながら生きていたい。
子どもの頃は、大人と違って自由である。幼稚園に通う娘を見ていると、とらわれないことの尊さを実感させられる。
クリスマスプレゼントでレゴブロックのお城を手に入れた娘は、そのお城の中にシルバニアファミリーのうさぎや、ガチャガチャ(カプセルトイ)で出てきたアンパンマンの人形を住まわせて自由に遊ぶ。
大人の私たちは「レゴの世界観とアンパンマンの世界観は全然違うだろう」と違和感を覚えるが、娘は意に介さず、楽しそうに想像を膨らませている。娘の中では、お城のお姫様とアンパンマンはすっかりお友達である。
だが、大人になるにつれ、人は自由な発想が失われていき、特定のものや考え方に固執するようになる。それは人間が社会で生きていくために必要な進化といえるが、デメリットもあるのではないだろうか。
たとえば、自分の働いている職場が「自分の世界のすべて」と思い込んでしまう人は少なくない。
だから、仕事がうまくいかないと落ち込むし、上司や同僚との人間関係で悩む。メンタル不調になってしまうことさえある。たしかに、生活の糧を得るいまの仕事や職場は大事だ。だが、仕事や職場はほかにもたくさんある。
程度の差こそあれ、人は「これが当たり前だ」「こうに違いない」というフィルターを通して物事を見ている。それは、ときに常識や通念、習慣と呼ばれるものだったりする。それらのフィルターによって極端に視野が狭くなって、自由を奪われてしまうことがあるのではないだろうか。
∟「思い込み」を取っ払う
私自身も固定観念にとらわれ、視野が狭くなっていたことに気づかされた経験がある。
私が温泉にハマり始めた20年前、温泉は誰かといっしょに行くほうが楽しいと信じていた。
そのときは、今ほどひとり旅は市民権を得ていなかったし、「ひとり旅なんてさびしいだけ」と思い込んでいた。
実際、ひとりで温泉に来ている人を「友達がいないさびしい人だな。かわいそう」と憐れんでいたほどだ(昔の自分に「バカ!」と言いたい)。
だから、最初は当時付き合っていた彼女や友人を誘って温泉に行っていた。だが、毎週のように温泉めぐりに出かけていたら、誰も付き合ってくれなくなった。温泉はたまに入るから気持ちいい、というのが一般的な感覚だから仕方ない。しばらく温泉から足が遠ざかった。
だが、仕事で激務が続き、どうしても温泉に入りたいという欲求のほうが勝り、不本意だが、ひとりで温泉に出かけた。
すると、どうだろう。
ひとりのほうがずっと気楽で、温泉を堪能できた。予定を合わせる必要はないし、誰かに気を遣う必要もない。
なにより好きな温泉に、好きなだけ入れる。「ひとり旅、サイコー」と気づくのに、それほど時間はかからなかった。
いまでは温泉旅の99%はひとりきりだ。『ソロ温泉』(ICE新書)という本を出版し、ひとり旅の楽しさを各メディアで発信するほどソロ旅を愛している。
あのとき、「ひとり旅はさびしい」という固定観念にとらわれていたままだったら……と考えるとゾッとする。温泉の魅力にどっぷりハマることもなく、別の人生を歩んでいたかもしれない。
あなたは、何かにとらわれてはいないだろうか。
もし、いまの環境になんらかの窮屈さやモヤモヤを感じているなら、これまでとは視点を変えてみる。枠から一歩踏み出してみる。その先にワクワクした人生が待っているかもしれない。
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