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「渡部昇一」の言葉
私は勝手に渡部昇一氏を師として尊敬しています。
その渡部氏の言葉を少しご紹介。
「読書は最高の平等論者」というものなので、
ちょっと紹介させていただきます。
「読書は、最高の平等論者ということができます。
慶應義塾を創設した福澤諭吉は、
『学問のすゝめ』の中で
【天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず】
と言ったあと、
【しかし差はある。それは学問があるかないかだ】
ということを述べています。
その差を埋めるものが本であり、
どんなに貧乏な家に生まれ、僻地で育とうと、
読書の質が変わらなければ、
一向に引け目を感じることはない、
ということを実感しました」
さらに次の言葉が自分の人生の指針の一つになっています。
私の教え子が学長になった時、
「何か指針となる言葉はないか」って言うので、
『言志四録』の中から一つ選んだんですよ。
「少にして学べば、則ち壮にして為す有り。
壮にして学べば、則ち老にして衰えず。
老にして学べば、則ち死して朽ちず」
(少年の時学んでいれば、
壮年になってそれが役に立ち、
何事か為すことができる。
壮年の時学んでいれば、
老年になって気力の衰えることがない。
老年になっても学んでいれば、見識も高くなり、
より多く社会に貢献できるから
死んでもその名の朽ちることはない)
ここで一番重要なのは、
真ん中の「壮にして学べば、則ち老にして衰えず」
という言葉です。
壮というのはだいたい
30代から60代くらいでしょう。
その頃は働き盛りですから、
みんな学んでいると思っているんですよ。
しかし、実際には学んでいなくて、
その証拠に定年を迎えた途端
ポカンとしてしまう人が多いじゃないですか。
結局、毎日仕事はしていたわけですけど、
言われたことや決められたことの繰り返しで、
真に学んでいない。
壮というのは学んだという錯覚を
起こしやすい危ない時期なんですね。
だから、壮の時は仕事をちゃんとやった上に、
プラスアルファの学びを続けていくことが重要です。
どういう学びかといえば、それは人間学に他なりません。
私は「壮」の終盤となり、「老」が見えてきました。
しっかり学びを深めて、一番重要な時期を終えたいと思います。
そして「老」となっても社会に多く貢献できる人生を目指していきたいです。人生まだまだ、これからです。