「~られる」は尊敬か受け身か
「~られる」という言葉で迷ったことはありませんか。
何かの文章で
「たすきを掛けられてた」
というのを見ました。
はて?
これは、たすきを掛けた人に尊敬語を使って、「〇〇殿がかけていらっしゃった」という「掛けられた」か、「この人不本意にもたすきを掛けられちゃったよ」という受け身の「掛けられてた」のどちらかと思ったのです。
最近わたしはこの、「~された」で迷うことが多いです。
もっぱら書くときに迷うのですが、
では、
「来られる」
これはどうでしょう。
尊敬か可能か。
「先生が2時に来られる」
これは多分、尊敬の「~られる」でしょう。
「あなた、2時に来られる?」 は、可能の「~られる」ですね。
では、「先生は2時に来られる」で、2時に来ることができますよと可能の意味を表せないでしょうか。
「先生は2時に来ることができます」
ちょっと長いかな。
まあ、長くてもこっちが正確かと思いますが。
また、「食べられる」も迷います。
目上の人が何かをお食べになる、尊敬語の「食べられる」なのか、食べることができますよと言いたい「食べられる」なのか。
こんなことで迷っているのは私だけなのでしょうか。
もういっそのこと、「来れる」「食べれる」にしちゃえば、これは可能の「~れる」だから迷わないのに、と思ってしまいます。
「ら抜き言葉」は使いませんけれど、便利といえば便利なんですよね。