混迷の時代を超えて
この年は境内の草木がいつになく鮮やかで、はっとするような輝きを見せていた。
ある日の夕方であった、ふと、見上げると、真っ青な空に二羽の鳳凰が互いに向かい合って舞を舞っている。そのツガイの鳳凰のちょうど真ん中には光り輝くものが不思議な光を放つかの様であった。
この光景を見て、思わず息を呑む。
だが、しかし、これは高層の筋雲が上空の風になびき、刻々と変化するものにすぎないのだが、まさに極楽浄土に舞う鳳凰と光り輝くものの威光が輝いていて、いかに自然のなせる業とはいえ、神々しく不思議な思いにかられる。
ちょうど、北西の方角にある萬歳楽山の方から刻々と湧き上がり、こちらに流れてくる雲の流れであった。
秋の夕陽はつるべ落としのように速い。西の空は千変万化し、たちまち暗くなってくる。
明日は、萬歳楽山に登り、禅定瞑想する予定だが、萬歳楽山は、古くからこの辺りでは「地震除けの山」として伝承が残り、また、「天女が舞う山」、「鳳凰が舞う山」として漢詩にも詠まれたりする桂山である。
この夕暮れの景色に触れて、なるほど、むべなるかなとしみじみ思うものがある。そして、この神々しい雲の光り輝くものの出現と鳳凰の舞を見て、40数年前に、初めてこの萬歳楽山の山頂に登ったときの不可思議なる経験が蘇ってくる。
あのとき、山登りの経験は全く無かったのだが、萬歳楽山の不思議な響きに惹かれて、この山の頂を目指し、数年探しまわったのだが、容易に、当の萬歳楽山の山頂に至れないでいた。何度も挑戦していたが、それは、まるで、山自体に魂があるかのように、容易に受け入れないというか、入山するには、行者で言う「前行」を強いているようであった。鶯・神鹿・龍王・弁財天女・・・折りに触れて現れ、何事かを伝えてくる。総じていえば六根清浄ならしめる事であったようだ。
このときこの山から授かった多くの不可思議な現象や体験については、別の機会に譲るが、こうした不可思議さによって、この山の神聖さをより深く理解するように、感受性が研ぎ澄まされるべく導かれていたのであろう。事それほどに小生は凡庸で愚鈍であった。
なかなか、山頂には至れなかったが、受け入れの準備は整えられたのであろう。ある不可思議なる啓示のもとに、この日、ようやく初めて山頂に到り三角点を見つけことができて、山頂に五鈷金剛杵を埋めて、しばし、ゆったりしながら上空を見上げていた。午後2時頃であったが、真っ青な空に月がかかり、大鷹が悠然と渡っていくのを目撃して非常に驚いた。
というのも、この日、早朝、いつものように本堂で修法をしていたのであるが、ふと、(何度も挑戦して、萬歳楽山の頂上に至れないのはなぜだろうか?。いったい、この山は何を示そうとしているのだろうか?)という素朴な疑問を抱えながら修法していたのであるが、ふと、手元に置いておいてあったルディアによるルーンの石に問いを発してみたのである。
ルーンの石を25個用いて、問いを発し、それを別々に5回くり返してみた。そこで、普通ではあり得ないことが起きたのである。ルーンが示すものは、五回とも全く同じ内容が示されたからであった。
その紐解かれた内容はとは、こうであった。
「月」と「鷲」と「自由」という象徴的主題が五回とも示されたのである。まるでこの萬歳楽山は「人類の意識の変容をうながしている。」というものであった。
さらに、いつ登るべきかを問うと、「いまをおいてほかにない!」であった。
急遽、取るものも取りあえず、すぐに、萬歳楽山の道なき道を登りつめて、ついに、この日、山頂の三角点を見つけた次第である。
そして、山頂に立って目にした光景が、まさに、「真っ青な空に月がかかり、大鷹が悠然と渡り、深い瞑想」が自然に起きていて、そこで響くものを享受したのである。
それは、こうであった。
『朝まだき影が先ず目覚め、微風に乗って朝の香りが運ばれてくる。そのとき、一羽の鷲が山の頂 から飛び立つのを見る。
鷲は羽ばたき一つせず谷へと舞い降り、黒々と した山影の中に消えていく。
その日の終わりに、私はその鷲が世間の闘争、苦労、葛藤を遠く離れて、山 頂にある自分の住処へと再び戻っていくのを見た。』
『真理は道なき領域にあり、あなたはいかなる道、いかなる宗教宗派によってもそれに至ることはない。真理は無制限であり無条件のものである。それゆえ、いかなる道によろうとも、それを組織化することはできないのだ。
みてみたまえ、組織化された者達の行うありのままを。それは、ある特定の道に洽って人々を導いたり強制したりするためのいかなる組織も作られるべきではないことを如実に示している。
もし諸君がそのことを理解すれば、信念を組織化することがいかに不可能かがおわかりになるであろう。信念は純粋に個人的なことがらであって、それを組織化することはできないし、またそうすべきではないのだ。もしそうすれば、そのとき、それはすでに死物となり、硬化して、他人に押し付けられるべき信条、宗派、宗教にとってかわる。
これこそは世界中のあらゆる人がしていることである。そして、真理は狭められ、弱い人々、ごく一時的に不満をくゆらす人々のための単なるなぐさみものにされてしまうのである。
しかし、真理を引きずり降ろすことはできない。否、むしろ、各人がそれに上がらなければならない。
あの山の頂を谷へ引き降ろすことはできない。もし山頂に至りたければ、峡谷を通過し、危険な断崖を恐れず、急坂を登らなければならないのと同じように、真理に向かってあなたが登らなければならないのであって、あなたの方へそれを「引き下げ」たり、あなたのためにそれを組織化することはできないのである。』
特に心に響いてきたのは次の言葉であった。
『早朝、山の頂から悠然と峡谷を渡り、夕べに再び山の頂に帰り来たるあの天かける鷲のように、人は独り、崇高な精神と何ものにも影響を受けない自由なる精神をもち、自分自身の光であらねばならない。』
(これが心に響いてくるには、小生には、次の背景がある。それは、他でもない、昭和46年、仏教系の大学に在学中、ある教授の「宗教教育」で配布された資料にあったジッドウ・クリシュナムルティのテキストの一文に、それまで、自分のが探究してきたの宗教や信仰を根こそぎ倒してしまうような衝撃を受け、以來、『ブッダ親説』と空海が展開する『阿字本不生』とクリシュナムルティの『人類に対する問い』に対する探究を不肖ながら続けているからであるが・・・・)
山頂において禅定をしつつ、さて、この山(萬歳楽山)が促している「人類の意識を変容」とはいったいどういうことなのだろうかと究ねていると、
突然、漆黒の宇宙に三角四面体があらわれ、それがやがて青い地球となり、その中心から黄金の光が放射され、この山が潜象と現象の天地宇宙を繋いでいることをまのあたりにした。
心の中では次のように『ブッダ親説』が響いてくる。
『人は自分自身のなかに光りを見いださねばならない。自分自身が光り輝くものとならねばならない。この光りこそ、光り輝くものの法である。他に法などない。他の法と言われるものはすべて、思考によってつくられたものだ。だから分裂的で、撞着を免れない。自己にとって光りであるとは、他人の光りがどんなに筋が通っていようが、論理的であろうが、歴史の裏づけをもっていようが、自信に満ちていようが、「けっして追従しない」ということだ。もしあなたが、権威、教義、結論といったものの暗い陰の下にあれば、自分自身の光りであることはできない。
まことの自由とは、あなたが自分自身にとって光りになることだ。その時、自由は抽象ではない。思考によって組み立てられたものでもない。
まことの自由とは、依存関係や執着から、あるいは経験を渇望することから、いっさい自由になることである。思考の構造から自由になることは、自身にとって光りとなることにほかならない。そして、この光りのなかで、すべての行為が起こる。そこには矛盾撞着は決してない。法や光りが行為から分離しているときに、あるいは、行為する者が行為そのものから分離しているときに矛盾撞着が起こるのである。理念とか原理とかはいうまでもなく思考の不毛な動きであり、それらはこの「光り」と共存することはできない。
方法とか、体系、修練といったものなど、なにもないのである。
見ることだけがあり、そこに行為が起こる。あなたは見なければならない。ただし他人の目を通してではなく、あなた自身の目で見ることだ。
この光り、この法は、あなたのものでも他人のものでもない。ただ、「光り輝くもの」、遍照金剛といわれた「光り」があるだけだ。これが慈悲である。』と・・・・
そして、この現象世界は光り輝くものである(それはブッダ親説に示される)「個々の生命は、先験なる空の本不生である神泉より、刻々といまに経過し、消失する新生創造(たえず新たなるいのちとして生み出されている)の本不生の実相」であり、自然も宇宙もこの現象界の生き物も魂も天使も菩薩も如来もすべてこの源泉からくる入れ子状態にあるなかで生かされている尊いいのちであり、一切のものはこの源泉を観照(内観)すること生きている。
虚妄なる我見のみがこれを見失い、いたずらに実体視した物質界にひたすら執着し、その物質の生滅の恐怖に乗じて飽くなき戦争を繰り返す。
このあるがままの厳しい現実に目を向けることができない限り、絶えず、おそれ、慄き、おびえる虚妄なる戦いからはまことの自由は生まれないのだろう。
それゆえ われわれひとりびとりが現実を直視することによってのみしか、人類が意識を変容を遂げることはできないのかもしれない。