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そばののし板は、何年かかって作られる。(役に立たないそば屋の話5)

 強烈だった暑さも、
 やっと緩んできたかと感じられる季節。

 「かんだた」のある長野市の中心部、
 善光寺に続く表参道の街路樹も、
 濃い緑の中に、少し焼けた葉が混ざっていたりする。
 その緑のざわめきの向こうに、
 仁王門の屋根が踊っているのが見通せる。

 このあたりの街路樹は、
 ちょっと珍しい桂(かつら)の木。
 少し浅めのハートの形の、小さな葉っぱが特徴的だ。
 二十数年前に植えられ、地元の商店街の方々が、
 大切に世話をして育てたと聞いている。

 どうしてこの木が植えられたかと言うと、
 この桂という木は、善光寺とゆかりがあるというからだ。
 日本で三番目の大きさの木造建築として、
 国宝となっている善光寺本堂。
 その柱の一部に、この木が使われているからだ。

 それではついでに善光寺まで行ってみよう。
 
 間口が約24メートル。高さは約20メートル。
 いつもながら荘厳な建物だ。

 さて、本堂に登ろうと思って、横の柱を見たら、
 あれっ、土台とずれているぞ。
 ちょうど柱がねじれたようになっている。
 大丈夫なのかな。

 この「ねじれ」は江戸時代後半に起こった、
 善光寺地震の影響と思われていた。
 このあたりは、大きな被害を受けたのだけれど、
 善光寺は大丈夫だったのだね。
 だからこの柱は「地震柱」なんて呼ばれていたんだ。

 でも、その後の調べで、もっとすごい事が分かったのだ。

 ぺんぺんぺんぺん、ぺ〜ん。
(ここより浪曲調でお読み下さい)

 時は元禄13年、西暦にすれば1700年、7月21日。
 善光寺門前の街に半鐘の音が鳴り渡った。
 「火事だーぁ。」
 火は瞬く間に燃え広がった。

 「ああっ、材木に火が回ったぞー。」
 庶民の信仰の厚い善光寺。
 立派な本堂を建てるために、
 七年にわたって二万両もの資金を集め、
 やっとそろえた材木が、
 ああ、この日の火事で、
 ほとんどが灰となってしまったのであった。
 ぺんぺん。

 気落ちした人々の前に現れたのが、
 新しい責任者、慶雲。
 何と、当時の幕府の実力者、柳沢吉保の「おい」。
 厳しい管理と行動力で、
 再び庶民の浄財を集めて諸国を巡る。

 そのかいあって、再び二万両を都合し、
 ついにあっぱれ、善光寺本堂の着工となる。
 木材は、千曲川の上流で集められ、
 川を下って長野にどどんと運ばれた。

 早急に本堂を建てるように命ぜられた
 幕府の棟梁、甲良宗賀(こうらそうが)は、
 浮かぬ顔。
 何しろ、急ぎ集められた用材の数々。
 まだ、十分に乾ききっていない。
 こういう材料を使えば、やがて狂いが生じる。
 ましてや「ねじれ」が出たらどうなろう。
 下手をすれば、軒が傾いてしまうかもしれない。
 
 棟梁は考えた。

 棟梁はまだ考えた。

 棟梁はもっと考えた。

 「おお、そうだ。
 ねじれが出るのなら、その方向を見極め、
 一本おきに違う向きにねじれるように柱を並べれば、
 軒が傾く事はあるまい。」

 見事そうして建てられた善光寺本堂。
 300年経った今も、きりりとその姿を、
 長野の青空に映している。
 考え抜かれた職人の技。
 もの言わぬ柱は、その技術の高さを誇っている。

 そう、入り口の柱のねじれは、
 棟梁の「想定の範囲内」だったのだ。

 ぺんぺんぺんぺ〜ん。(浪曲調おわり)

 さて、桂(かつら)の木は、
 質が均一で加工がしやすいので、
 様々な用途に使われている

 特に仏像や、欄間(らんま)の彫り物、
 鎌倉彫りの材料などとして使われているそうだ。
 そう、身近なものでは、将棋盤かな。
 でも、厚手のものは、近頃は材料がなくて作れないそうだ。

 そして、手打ちをするそば屋の、
 「のし台」にも使われている。
 
 「のし台」には、檜(ひのき)や桜など、
 いろいろな木が使われるが、
 桂の木に勝るものはない、と言われている。
 適当な弾力があり、生地が滑らかに仕上がる。
 打ち傷に強い事も、この桂の木の特色だ。

 もちろん「かんだた」でも、使っている。
 知り合いの大工さんが、よく乾いた厚板を持っていたので、
 それで作ってもらったのだ。
 私のような、細打ちのそばを作るには、
 なくてはならないものだ。

 街路樹の桂の木は、まだ直径10センチぐらい。
 そばの「のし台」に使えるように育つまで、
 あと、50年、60年、
 ひょっとすると百年ぐらいかかるのかもしれない。

 それから丸太のまま十年、
 板にして十年、
 そうして充分乾燥させて、やっとそばの「のし台」になるんだ。
 
 三百年経っても、その偉容を誇る善光寺本堂。
 そのお膝もとに流れる時間も大きなものだ。
 「おおい、早く育てよ。」
 と桂の木に声をかけている、
 私たち人間の時間の、なんと小さなことよ。

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