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そば湯をかき混ぜて飲むのは、、、、。(役に立たないそば屋の話15)


 そばを食べた後に出てくるそば湯。
 その入れ物のことを「湯桶」と言いう。

 その読み方は「ゆとう」。
 訓読みと音読みが混ざったこのような読み方を
 湯桶読みというのだ。
 と言う話を、遠い昔に習ったような、気がする。
 いったい湯桶って何だろうって、不思議に思ったのを覚えている。

 さて、あなたは、親しい友人からこう言われました。
 「みんな、あなたのことを『そば屋の湯桶』だって言っているよ。」

 あなたは褒められているの、それとも批判されたの?

 私が育ったのは、東京は目黒区の一角。
 柿の木坂とか、自由が丘などと言うお屋敷街ではなく、
 戦後に下町から移り住んだ人たちの多い、雑然とした一角だった。
 昭和三十年代には、まだ砂利道や、草の生い茂った空き地などがあった。
 そこで、ガキどもが、群れ遊んでいた。
 なにか漫画の「三丁目の夕日」の世界。

 誰かが大人に聞いたのだろう。
 そのガキどもの中で言われていた言葉がこれ。
 また、親戚の集まりの席でも諭された。
 子供の時に覚えた言葉って、忘れないものだね。
 今なんか、聞いたばかりの注文だって忘れてしまうのに。

 「そば湯をかき混ぜて飲むのと
 シジミの実を食うのは、乞食のすることだ。」

 えっ、聞いたことないって。
 そうだろうか。東京の一角で言われただけの言葉なのかな。

 でも、大人になってから入ったそば屋で、
 他のお客さんが、そう言っていたを聞いたので、
 まんざら、私の周りだけではないのでろう。

 シジミの名誉のために言っておくけれど、
 当時のシジミと、今のシジミとは、月とスッポン、
 ゴジラと畑のモグラほどの違いがある。
 
 この前もスーパーで見た、パック入りのシジミ。
 値段を見れば、ずいぶん出世したものだと思ったが、
 驚いたのはその大きさ。
 きっと、南の島で突然変異で生まれた、
 モスラの親戚、「シジラ」と言うものに違いない。

 私の子供の頃売られていたシジミは、本当に小さいものだった。
 殻の大きさと来たら、5ミリから1センチほどのもの。
 そんな小さなシジミの実を、ほじくり出して食べるのは、
 よほど意地汚い奴だと言うことだ。
 当時のシジミは安かった。
 どうせ貧乏なのに、江戸っ子は
 こんなことで見栄を張っていたのだね。

 そういえば、太宰治の、なんとかって小説の中にも、
 シジミの実を食べて、訪問先の細君にバカにされたって話があったっけ。
 太宰は青森県は津軽の出身。
 近くには、シジミで有名な十三湖があるから、
 実を食べる習慣があったのかもしれない。

 そんな、安価で小さなシジミがなくなったのは、
 やはり環境の変化に依るものか。
 今の巨大なシジミじゃ、値もはるし、
 こんな見栄を張るわけにはいかないな。

 さて、そば湯の話。
 出されたそば湯をかき混ぜて、
 底の方に残ったカスまで混ぜて飲もうっていうのだから、
 これも見栄っ張りの江戸っ子の非難の的になったのだろう。

 そば湯は,そばを茹でた釜湯の上澄みを出すのが、昔からの決まり。
 底の方の、打ち粉などが沈んでいるところを飲むと、
 口の中が粉っぽくなるからだ。
 だから、かき混ぜたからといって、決して濃くなるわけでもない。
 下に沈んだオリが舞い上がるだけのことだ。
 
 そのために、そば湯の湯桶は、
 底に溜まったオリを注がないように、
 注ぎ口が、中程から突き出している。
 細かいところにこだわった、
 昔の人の知恵なのだね。

 ちなみに、とろっとしたようなそば湯を出すのは、
 昔だったら職人の恥、と言われていた。
 そんな釜湯ではそばはうまく茹でられない。
 適時に湯替えをしていない、職人の手抜きと見られたのだ。
 「こんな濃いそば湯で茹でやがって、、、。」
 と、文句を言っているご老人を、
 見かけたこともあった。

 もっとも最近は、別にそば粉を溶いて、
 ドロッとした濃いそば湯を出すところもある。
 これはこれで味わい深いものだ。

 店のお客様を見ていると、湯桶を持ち上げて、
 二度三度と揺さぶってから注ぐ方が結構いらっしゃる。
 中には、ふたをとって、箸でかき回している方もいる。
 ん〜、
 まあ、ご自由ですけれど。
 かき混ぜれば、少しは濃くなるような気がする。
 気持ちはよく分かる。
 が、、、、、。
 私は、どうしてもあの言葉を思い出してしまう。

 いえいえ、そば湯の飲み方は、かき混ぜようと
 ストローで吸おうと、かまわないのだけれど。
 
 でも、、、、、、。

 「そば屋の湯桶」とは、人が話をしている最中に、
 横から口出しをする人のことを指して言う。

 また、そういう行為をする人のこと。
 もちろん、褒められているわけではない。

 湯桶は、注ぎ口が横の方に突き出しているからだ。
 「この、出しゃばりが、、、、!」
 と怒るより、粋な言い回しだと思いませんか。

 ちなみに「湯桶(ゆとう)」を「湯桶(ゆおけ)」と読むと、
 全く別の意味になる。
 そう、銭湯や温泉に置かれたオケのことだ。
 同じ漢字を書いているのにね。

 まったく日本語は難しい。
 そして、たかがそば湯でも、
 頂く人の感性が違うという難しさが、、、。

 せめて「そば屋の湯桶」と呼ばれないように、
 人の話をよく聞くように努めようか。

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