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江戸でそばが広まったのは、水道が普及していたから?(役に立たないそば屋の話22)
スペインの中央部にあるセゴビアという町は、
ローマ時代に造られたという、
石造りの水道橋で有名だ。
造られた時には、セメントも使わず、
石を積み上げただけの二段のアーチを重ねた建造物で、
見上げて見るとかなりの高さ。
一番高いところで、30メートル近くあるそうだ。
岩壁の上に立つセゴビアの町に水を送るため、
十五キロも先にある水源から水を引いた。
そして、最後の谷を渡すべく、この水道橋を造ったのだね。
人々の暮らしに水は必要なもの。
その水の心配をしなくてもいいように、
これだけの大工事をしたのだ。
世界遺産になった今では、
セメントで補強され、
アーチの下を観光バスがすり抜けていく。
ここを私が訪れたのは、
ずいぶん前のことではあるけれど、
実際にこの巨大な建造物を見てみると、
二千年近く前に、どうやって造ったのか、
ひたすら、驚かされたものだった。
で、
日本にだって、
水道について驚くべきことがある。
江戸時代の江戸の町には、
水道があったのだ。
なにしろ、江戸っ子と言うのは見栄っ張りで、
虚勢を張りたがったそうだが、
「水道の水で産湯を使った江戸っ子」
なんて、威張り方があったそうだ。
水道なんてものは、
江戸の町にしかなかったから、
その生まれを誇りたかったのだろう。
水道と言っても、
今のような蛇口からでる水ではなく、
一定の間隔に置かれた井戸に水を送るシステムを、
作っていたそうだ。
井戸に水を送るには、
川から取り入れた水、
つまり上水を絶え間なく流さなくてはならない。
そこで、江戸には、
何本かの上水があったという。
その中で有名なのが玉川上水。
江戸の南を流れる多摩川の上流から取り入れた水を、
江戸の町中に導こうというもの。
取り入れ口の羽村から、
江戸水道の入り口の四谷まで、
長さ43キロの水路を掘ったのだ。
その間の標高差は92メートル。
多摩の丘陵地帯を、自然の落差で流れるように、
きちんと測量して作られたのだ。
それも、実際の工事は、
僅か八ヶ月だったとか。
とにかく、そうして、
江戸の町のは、人々が暮らしていくに十分な水が供給されていたという。
さて、
そばの話。
江戸時代中頃からそばは江戸に広まり、
後期には、ほぼ今にも伝わる製法が確立したという。
人口100万人の江戸の町に、
一時は4,000軒近くのそば屋があったというから、
その人気ぶりがうかがえる。
その江戸でのそばの広まりに、
豊富な水の供給があったことと、
関係があったような気がしてならない。
茹でてそのままドンブリに移せるうどんと違って、
そばの場合は、
流水で洗わなければならない。
それには、大量の清潔な水が必要。
その水が確保で来たからこそ、
今のようなそばが、
江戸で広まっていったのではないか、、、
、、などというのは、
根拠のない私の推測に過ぎないが、、。
例えば、スペインでそば屋を開こうとしたら、
そばを、洗う水に困ることだろう。
スペインの多くの都市では、
水道水をそのまま飲むことができるが、
必ずしも、安全が確保できるわけではない。
まして、水事情の悪い、
他のヨーロッパの都市だったら、
口に入れる食べ物を、
水道の水で洗うなどとは考えられないだろうなあ。
メキシコへ行った時に、
友人の家でほうれん草を茹でたら、
水に晒した最後に、
消毒液を入れた水に浸けなければならなかった。
生野菜のサラダなどとんでもない。
店で豊富に売られているトマトは、
潰して煮込んでソースを作るためのもの。
生で齧ってはならないのだ。
こんな国でそば屋を始めるには、
まず、大規模な浄水装置を、
作るところから始めなくてはならないだろう。
日本では、
蛇口をひねれば水が出るのが、
しかも、飲むことのできる清潔な水が出てくるのが、
当たり前になっている。
だから、
茹でたばかりのそばを、
たっぷりの水を使って洗えるのだ。
これは、世界から見ると、
とっても珍しいことなのかもしれない。
この現実に感謝しつつ、
その水を保つ努力を、
私たちは、もっとしてもいいのではないか、、
などと思ったりしている。