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「そば前」も「中割り」も「箸洗いも」。(役に立たないそば屋の話8)

 私の知り合いの中には、
 こんなことを言う方がいる。

 「おおい、酒の後にそばを喰いたいねえ。」

 エエイ、駄目駄目、
 「酒の後にそば」なんて言う人には、
 酒もそばも出してあげない。

 「ええと、そばの前に酒をもらおうか。」
 
 おっ、うれしいね。
 こういうことを言う人には、
 どどんと、酒もそばもお出ししたい。

 いつの頃からか、そばには、酒がつきものになっている。
 
 「そば前」といえば、
 そばを食べる前に飲む酒のこと。
 
 「中割り」といえば、
 そばを一枚食べて、
 次のそばが出てくる間に飲む酒のこと。

 さらに、そばを食べた後に飲む納めの酒を、
 「箸洗い」という。

 なんだかんだいって、
 結局はずっと飲んでいるのだ。

 昔の店のお客さまで、
 池波正太郎さんの「鬼平犯科帳」をお好きな方がいた。

 江戸時代を描いたその小説の中で、
 よくそば屋が出てくるらしい。
 そして、そのそば屋には、必ず酒が出て来るのだという。
 だから、その方は、
 そば屋の酒が好きなのだそうだ。

 主人公の「長谷川平蔵」は、
 よくそば屋に入っては、酒を頼むらしい。
 また、盗賊を見張る同心が、
 そば屋の二階で、
 酒をなめながら、外をうかがっている、、、
 というシーンも多いと言う。

 盗賊が、そば屋の二階で、
 酒を飲みながら、盗みの手配をする話もあるらしい。

 なるほど、池波正太郎さんも、
 ずいぶんそば好きと聞いているし、
 当時のことをずいぶんと調べて書かれたことだろう。
 そば屋と酒は、江戸の時代から繋がりがあったようだ。

 江戸時代には、すでに、
 料理屋や寿司屋をはじめとして、
 酒を出す店はけっこうあった。

 でも、そば屋の酒は、
 他のところとちょっと違っていた。

 よく吟味された、
 上等な酒を用意していたのだ。

 江戸時代末のころの、
 あるそば屋の「お品書き」をみてみると、
 盛りそばが十六文とある。
 これは、二八そばの「いわれ」とも言われる、
 標準的な値段だ。
 天ぷら三十二文、しっぽく二十四文というのも、
 妥当な値段だろう。
 でも、上酒四十文とある。

 つまり、酒は、盛りそば二枚半分、
 天ぷらよりも高いのだ。
 これは、それだけ、
 いい酒を用意してあったということか。
 それとも、巨大な徳利ででたのか、
 豪華なつまみが付いたのか。

 いずれにしても、そば屋の酒は、
 ある格式を持っていたようだ。

 江戸風俗研究家の故杉浦日向子さんも、
 いいそば屋の条件として、
 質のよい酒が置いてあることをあげていた。

 そして、酒とともに寛げる、憩える場所こそ、
 そば屋なのだと言っている。

 だいたい、そば屋なら、昼酒をしても、
 あまり違和感はない。
 忙しそうなサラリーマンの多い店では、
 うらやましそうな視線が気になるが、
 そば屋で、昼間から酒を飲むのは、
 何となく、洒落ていて、風雅な感じがする。

 これが、どこかの定食屋で、
 昼間から酒でも頼もうものなら、
 店のおばちゃんから、
 「まったく昼間から、、。」
 なんて目で見られて、
 何となく、社会からのはみ出しもののような、
 そんな、うら寂しい気分を感じてしまう。

 やっぱり、昼酒はそば屋に限る。

 東京の老舗のそば屋で酒を頼むと、
 花番さんが、よく通る声で
 「御酒(ごしゅ)でます」と声をかけてくれる。

 この響きはなかなかいい。

 酒(さけ)は「裂け」とか「避け」に通ずるので、
 使わないそうだ。
 さて、そば屋は、お客さまの出入りの多い店。
 いくら酒を飲んでいるからといって、長居は野暮だ。
 また、あくまでもそばの前の酒。
 酔っぱらってしまうのもみっともない。

 ほら、ある老舗の店の壁には、
 こう書かれた板が下げられている。
 「お酒はお一人二本まで」
 なるほど、ここは飲み屋ではない。
 ちゃんとそば屋としての、
 けじめを示しているんだね。

 でも、どういうわけか、「二本」の「二」は、
 板の上に、紙を当てて直してある。
 さて、紙の下には、なんてあったのだろう。

 「一本」だったのが、
 少な過ぎると言われて「二本」になったのか。
 はたまた「三本」だったのが、
 これでは多すぎると「二本」にしたのか。

 なんてことを考えながら、
 そば屋で酒を味わうのだ。
 

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