そば好きだった稲荷大明神(役に立たないそば屋の話14)
古い時代から、人々の信仰を集める善光寺。
この善光寺には、
人間ばかりではなく、
動物にも、篤い信心を持つものもいたそうだ。
本堂の西側にある経蔵の横に、
古びた簡素な灯籠が立っている。
よく見ると、四角い石の角が、
細かく削られている。
これは、ご利益に預かろうとする参拝の人たちが、
何か固いもので、削り取った跡らしい。
この灯籠は、
「むじな灯籠」と呼ばれている。
なんでも、下総の国(今の千葉県)から、
はるばるとやってきたムジナが、
人間に姿を変え、この灯籠を寄進したのだそうだ。
ところが、このムジナ、
かねがねの念願だった、
善光寺へのお参りを済ませてほっとしたのだろう、
泊まった宿坊の風呂で、つい、シッポをだしてしまった。
つまり、ムジナの姿を現してしまったのだ。
それが、他の参拝客に見つかり、
大騒ぎとなってしまったので、
そのまま、姿をくらましてしまったとか。
これと似たような話が、
東京のお寺に伝わっている。
キツネが僧の姿となって仏法を学んでいたのだが、
あるとき、寝ている時についシッポを見せてしまい、
本性がばれてしまったという。
このキツネが大のそば好きだった、、
というから、話がややっこしい。
さてさて、今から時代をさかのぼること四百年近く、
江戸時代は初めの頃のお話。
江戸は、小石川というところに、
傳通院(でんづういん)という、徳川家ゆかりのお寺がある。
家康のお母様の墓があるところ。
このお寺は、仏教学問所となり、
多い時には、1000人を超える若い僧たちが
ここで修行していたという。
その中で、抜きん出て優秀な学僧が居た。
その名を澤蔵司(たくぞうす)といい、
僅か三年余りで、浄土宗の奥義を修得するまでになった。
ところが、ある日、寝ている時に、
シッポを出してしまったのだ。
キツネの姿を同僚に見つけられ、
逃げ出した澤蔵司。
その夜、寺の和尚の夢枕に立ち、
「余は稲荷大明神であるぞよ。」
と正体をあかすのだ。
学業を授かったお礼に、
稲荷として寺を守護するとのことで、
和尚は社を建立した。
それが、澤蔵司(たくぞうす)稲荷として
今でも広く信仰を集めているとのこと。
稲荷大明神が化けていたという、この澤蔵司は、
大のそば好きであったそうだ。
毎日のように傳通院の門前にあるそば屋に通っては、
そばを手繰っていたという。
ところが、ところが、
さすがにキツネの化けたもの。
そば屋のお勘定が、
いつの間にか、木の葉に変わっているのだ。
不思議に思ったそば屋が、
澤蔵司の後をつけると、
境内の椋(むく)の木のあたりで姿を消してしまった。
あとで、その澤蔵司が稲荷大明神の仮の姿と気づいて、
それから毎日必ず、初そばを稲荷に供えるようにしたのだと。
そのそば屋は稲荷のご利益があったのか、
今でも続いていて、
「稲荷蕎麦」を名乗っている。
果たして400年前に、
今のようなそばが食べられていたかどうか、、、
などと言う野暮な突っ込みは無しとして、
そば好きだった澤蔵司を祀る稲荷をお参りし、
そばを手繰ってみるのも面白いかもしれない。
かんだたの店も、本堂からは少し遠いが、
善光寺の表参道の近くにある。
ひょっとしたら、
人間に姿を変えた、
信心深いムジナやキツネが、
善光寺の阿弥陀様をお参りして、
帰りにそばを食べに寄っているかもしれない。
いまのところ、
お金が葉っぱに変わるようなことは、
起こったことはないけれどね。