殿様の召し上がる御前そば。(役に立たないそば屋の話7)
「そば屋の出前」といえば、
催促されたことに、
その場で適当な言い訳をすることの
代名詞となってしまった。
そば屋に出前の注文を入れたのに、
なかなか来ない。
催促の電話を入れると、
「今、でました。」と返事をされる。
実際は、忙しくて、まだ作っていなかったりするのにね。
「そば屋の出前」状態で、
言い訳をしいしい、仕事をこなしている、
忙しい方もいらっしゃることだろう。
お得意さまからは、
「そば屋の出前じゃないんだぞ。」
と釘を刺されたりして。
似たような言葉で、
「紺屋のあさって、そば屋のただ今」
という言葉がある。
紺屋の仕事というのは、天候に左右されるので、
つい、遅れがちになる。
だから、「あさって」「あさって」といって、
仕事を先送りするのだそうだ。
つまり、当てにならないことの、たとえなのだ。
どうも、そば屋はよくいわれていない。
さて、時代は江戸時代。
お殿さまが、そばの出前を頼んだら、
どんなことになるのだろうか。
地方から参勤交代で、江戸屋敷に落ち着いた、あるお殿さま、
家来を呼んでこう言う。
「これ、三太夫。江戸の町では、『そば』というものが流行っているそうだ。
余も、所望したいぞよ。」
「恐れ入ります。しかし、上様。
『そば』というものは、町民平民の食べ物。
とても上様が、お口にされるようなものではございません。」
しかし、このお殿さま、なかなか強情。
一度言い出したら引かないところがある。
かくして三太夫、配下のものに言い付けて、
屋敷近くのそば屋に、
そばを出前させるように手配したのだ。
さて、言い付かった家来のもの、
くだんのそば屋に出向き、用向きを伝える。
「よいか、上様が召し上がるそばだぞ。
特別に計らうように。」
ははっ、、、とひれ伏したそば屋の主人。
「お任せ下さい。
あちらの殿様も、こちらの殿様も、
私どものそばを召し上がっております。」
と、したたかな様子。
さて、家来の見張る中、
職人たちは身を浄め、
そばを茹で、取りザルにあける。
団扇であおぎ、時間が経っても、そばがばらけるように、
そばの水分をしっかり飛ばす。
盛るのは金蒔絵(まきえ)の、蓋付きの重箱。
ここにスダレを置いて、そばを盛る。
小しきりの中に、唐津の徳利にそば汁を入れ、
伊万里のそば猪口を置く。
蓋をして、紫の二越ちりめんの風呂敷で包み、
いざ、お屋敷に。
家来を先頭に、そば屋の小僧が出前のそばを持っていく。
お殿さまの食べるもの故、ぶらぶらとぶら下げる訳にはいかない。
肩に担ぐわけにもいかない。
しっかりと胸の前に押し抱いていくのだ。
さて、裏門から殿様の江戸屋敷に入ったそばは、
台所に回される。
ここで、そば屋の小僧は返され、
そばは、台所を管理する侍に引き継がれる。
まずは、ここで、お毒味役の出番。
映画「武士の一分」で木村拓哉が演じた役だね。
ひと口食べて、異常がなければOK。
係の侍が、入り組んだ長い廊下を、
頭の前に、そばの入った重箱を戴(いただ)き進む。
ここで、転(こ)けようものなら、切腹間違いなし。
「あっ、落としちゃった、わっははははは。」
で済まされる、現代とは大違い。
かくして、そばは、殿様の御前に運ばれ、
めでたくお腹に収まることが出来るわけだ。
茹でられてから、もう、小一時間も経っているよ。
「これ、三太夫、なかなか美味である。
おかわりを持て。」
「ははぁ。しかしながら、松茸のご飯もあります。
雲丹(うに)をたっぷりと載せたご飯もございます。
そちらをお召し上がりになったほうが、よろしいのでは。」
「いや、松茸も雲丹も食い飽きた。(一度言ってみたい)
このそばを、もう一つ持て。」
ということで、再び家来が、そのそば屋に出向いた、、、
ということが、あったかどうか、
まったく、確かなことではない。
お屋敷町に店を構えたそば屋は、
それなりに、出前の方法を考えたようだ。
お屋敷に出前するには、どうしても時間がかかる。
そこで伸びないようなそばを使うことにした。
そばの、中心の部分を使った粉だ。
今で言う更級粉。
これは、普通のそばに比べてでんぷん質が多く、
よく水を切れば伸びにくい。
お殿さまも召し上がったので、
「御前そば」と呼ばれ、重宝された。
当時としては、細心の製粉技術が必要なことだったろう。
そして、器や、しつらいにも、
気を利かせたのだね。
昔から、そば屋の出前というのも、
いろいろな工夫があったもの。
今では、出前をする店も少なくなったが、
都会では、逆に出前専門のそば屋さんがあるという。
「そば屋の出前」というと、どうも響きが悪い。
かっこ良く「デリバリー」とか、「ケータリング」なんて、
名をつけたらどうだろうか。
ちなみにピザ屋さんは「出前」とは呼ばない。
おいしいそばは、やはり店で召し上がって頂きたい。
茹でたてのそばが、一番おいしいと思う。
でもね、昔からある出前、
これも捨てがたいところがある。
あえて伸びていることを承知で手繰るそば、
う〜ん、何か人生の深みに立っているような気がする。