宮本武蔵はそばを食べたか? (役に立たないそば屋の話3)
宮本武蔵は二刀流を生み出した、
江戸時代の初めの剣豪。
その生涯は吉川英治の書いた長編小説「宮本武蔵」で、
詳しく描かれている。
この小説は、過去に何度も映画やドラマになり、
広く知られている。
誰が主人公を演じるかによって、
印象が変わってしまったりするのだよね。
この小説の中で、
武蔵がそばを食べるシーンがある。
江戸の旅館で、そばを食べるのだが、
その時に、そばに集まってくるハエを、
箸でつまんで取り除いていたという。
えっ、動いているハエを!
ちょうど、武蔵に文句を付けようととしていた隣の部屋の男が、
その様子を見て、
黙って引き上げていったというのだ。
なるほど、
剣豪として研ぎすまされた動きが、
こういうところにも表れるのだ。
この吉川英治の小説が新聞に掲載されたのが、
昭和10年という。
長い物語なので、何年かにわたって連載されたそうだ。
ところがこの小説に噛み付いた、
江戸文化の研究家が居た。
その名を三田村鳶魚(えんぎょ)という。
この人は、
江戸時代を舞台にした、
様々な小説について、
時代考証をして意見を言っていた人なのだ。
三田村の言うことには、
武蔵が活躍したこの時代には、
今食べられているようなそばは、
まだなかったという。
だから、
この、武蔵がそばにたかるハエを箸で捕まえたという、
良く引用される有名なエピソードは、
あり得ない話なのだそうだ。
ソバの栽培は、
五世紀ぐらいから行われたらしい。
でも、それが粉になり、
さらに、長い麺に作られた、
つまり「そば切り」になって広まったのは、
江戸時代中期になってからといわれる。
年代でいうと1700年前後のお話。
今から約三百年前のこと。
ちょうどその頃、
関東でも醤油が造られるようになり、
さかんに出回るようになった。
そうして、その醤油の汁で食べる「そば切り」が、
江戸で人気になったわけだ。
さて、宮本武蔵が江戸でそばを食べたのは、
物語から推定すると1620年頃。
三田村が調べた文献では、
そばが初めて現われるのは、
それより半世紀も後のこと。
だから、
宮本武蔵が、そばを食べたというのは、
へそで茶を沸かすようなもんだ、、、というのだ。
そうか、宮本武蔵は、
そばを食べることはなかったのだ。
ところがどっこい、
これは小説「宮本武蔵」が発表され、
それに三田村が噛み付いたのは、昭和の初めのお話。
戦後になって、さらに、
そばの歴史の研究が進んだ。
そして、なんと、
宮本武蔵と同年代、
1620年頃に、「そば切り」を食べたという記録が、
ある僧侶の日記の中にあることが分かったのだ。
特に珍しいという感じではないので、
すでに、知られている食べ物だったようだ。
さらに、
長野県の木曽のお寺では、
1574年に「そば切り」を振る舞ったという記録が発見される。
ということは、
ひょっとしたら、宮本武蔵はそばを食べたかもしれないのだ。
少なくとも、
三田村のように頭から否定することは出来ないのだね。
さて、真実はともあれ、
小説には小説ならでの面白さがあって、
これは、宮本武蔵のすごさを描いたもの。
私も、箸でハエを捕まえる練習でも始めることにしよう。