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#2 もう一人の自分の存在

2025年の一本目には今年の目標やらテーマのようなものを書くつもりであったけれど、書いて文章化したいことができたからそれについて書くことにした。

自分の中にはもう一人の別の自分自身のようなものがいる。そいつには自我があるわけではないし、そいつに自分が乗っ取られるわけでもない。要は、多重人格というわけではなく、元サッカー日本代表の本田圭佑が言っていた”リトルホンダ”のようなものをイメージしてもらえればわかりやすいかと思う。そいつは、自分の中にふと現れて何か助言であったり忠告をしてくる。
この記事を書くきっかけになったのはまさにさっき「今日はもう自分だけの殻の中に閉じこもれ、自分以外への外部センサーを使うな」と言われたからだ。これまで、何度もそういったことがあったが、いつまで続くかわからないかうえ、自分でもよく理解していないから今回記録してみようと思った。

自分がそのもう一人の自分と何をするのか深堀してみたい。

まずそいつとはよく会話をする。といっても、ぶつぶつつぶやくわけではなく心の中で自問自答している感じだ。「この決断をするんだけど大丈夫かな?」「いやそれだと、キャパオーバーだからプランBじゃないとお前がつらいだけだ」
「この人にこれ言ってみてもいいかな」「やめとけ誤解されるだけでその人には伝えたいことの本質は伝わらない」といった具合だ。お気づきかもしれないが基本的にそいつは自分の問いにネガティブな返答をする。これは、自分自身の消極的なそして後ろ向きな性格を形成する要因にもなっていると思う。(これは直していくというか変えていきたいところではある)
思うに、これは自分の中の理性と本能みたいな関係なのかもしれない。大怪我しないように、癒えない傷を負わないように自分を守ってくれているのだろう。これもあって、自分はほかの人よりも自分自身と会話している機会が格段に多いはずだ。それもあって、会話するきっかけとなる外的要因が多すぎると疲れてしまう特性がある。なるべくそれは見せたくないし見せないようにしているけど、見せても大丈夫だなって思える相手と出会えたからどうしてもだめになったときは助けてもらおうかな。

次に冒頭でも触れたがそいつは自分に忠告してくる。「その人とはかかわらないほうがいい、かかわる必要はない」「その人お前なら手を差し伸べられるのかもしれないぞ」この忠告には従うこともあればもちろん無視することもある。だが、したがって忠告自体が間違えていたことはなかったはずだ。自分が忠告に従って行動をする勇気というか1歩が踏み出せないことがほとんど。嫌になる。


本当なら一気に書ききりたかったけど、体力的に無理だった。
不完全なものだし消すつもりもあったが、昨日の自分の考えていたことの記録として残すのがnoteをはじめた目的だから残してみる。

新年最初は明るい話題で勢い付けてくのが相場だと思うけどこういうテーマで始めるのも自分らしいかななんて思ったり

これからも長い付き合いでよろしくもう一人の自分。






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