ほんのひび 5

 3時間から5時間ぐらいの出張販売を続けてきて、直感的に気づくようになったことがある。
 「あ、今日は、この人が最後のお客さんだろうな」と。

 毎回、出張先での準備と撤収に驚くほど時間がかかるので、遅くても終了時間の30分前から片づけを始める。
 もちろん、その時点で本を眺めているお客さんがいたとしたら、並べてある本を端からしまい込んでいくようなことはしない。でも今のところ、撤収に取りかかってから本を眺めにきた人は、ほとんどいない。
 どうしてか分からないけど、感覚的に、「今日はこれで終わり」という見通しがついてきた。
 出張先の本屋に訪れるお客さんとの呼吸が、合ってきたのかもしれない。

 出張販売の場所は、スペースを借りる本屋さんによってさまざま。
 お店の中にある階段を上った中二階にいることも、外階段を上がった先の部屋にいることも、店頭に置かれた机と椅子でぼんやりしていることもある。
 場所によっては、存在そのものに気づかれず、(もともとの)本屋を出ていってしまうお客さんも多い。特に最初の頃は、「本屋のスペースを借りて本を読んでいる人」みたいに思われていた可能性も高い。そもそも話しかけづらさが全開で、眼が合うと、「あ、なんだかすみません…」という雰囲気で離れていくお客さんもいた。
 こっちもこっちで、静かな雰囲気の中で本棚と向き合っているお客さんの姿を見ると、尚のこと声をかけづらくなり、結果的に「こんにちは」という一言すら呑み込んでしまう。
 それじゃ駄目だと気づいたのは、出張販売を何度か重ねてからのことだった。

 思い返してみたら、ものは試しと一箱古本市に出店していた2年前、自分が読み終えた本だけを並べているはずなのに、眼の前のお客さんにどんな本かをはっきりと伝えられなかった。
 正直に、ずいぶん前に読んで内容を忘れてしまっていたし(そもそもそういう本を並べてはいけない)、本の中身を伝える自分の言葉に自信がもてなかった。
 それが2年経った今、何回かの出張販売を挟むと、当たり前のようにお客さんに話しかける自分がいた。
「その本は、こういう本屋さんが刊行しているんですよ」
「本を出版した背景には、こんな理由があって」
「その著者の方は、この出版社でこうした本も書いていますね」
 今では不思議なくらい、滔々と言葉が溢れ出してくる。

 仕入れた「本屋の本」が三十数店舗の七十タイトル以上に増えてきて、全部が読んでから仕入れたものではないし、仕入れたあとにも隅から隅まで読み通せているわけじゃない。
 でも、頭の中にインプットされたデータと記憶が自然と接続して、きっとこんなふうに伝えられるはずだと、ゆるやかな感情が身体の奥から湧き上がってくる感じで。

 事業として本屋をやっているので、本を売らなければいけない。
 出版元の本屋と刊行された本を周知して、業界を盛り上げるためにも、本を届けないといけない。
 本を売るために、今、手元にある自分の〈資源〉は、その眼でたくさんの本屋を「見てきた」こと。
 出版社の(勝手に)営業担当として、TwitterとFacebookとInstagramと検索を駆使して全国の本屋を調べ続け、フォローし、できる範囲で実際に足を運んで接してきたこと。
 売れる本の企画は立てられない、営業の仕方も分からない。
 でも、とにかく、一度眼にしたものは憶える。
 どの本屋がどんな発信をしているのか、どういった本を取り扱っているのか、そして自分たちのお店から本を出版しているのか。一瞬でも視界に入った投稿は、ちゃんと自分の頭の引き出しにしまい込んで、何かをしようと思ったときに、さっと手間に引いて取り出す。
 そこに関してだけは、一応、生半可な出版業界の遊軍である「私」を信じている。