幸せのハードルが下がったいま、考えること
いま私たちが暮らしている世界は、インターネットが発達して、スマホ一つで簡潔してしまうことが増えて、先進国の中でも世界一安全と言われる日本に生まれ落ちた私たちは、本当に恵まれていた。
2019年までは。
コロナウイルスの恐怖と常に対峙して、いつ感染するか分からない・無症状でウイルス媒介者になってしまうかもしれない・最悪の場合は死んでしまう、という見えない恐怖に怯えながら暮らすことになるなんて、想像できるはずもなかった。
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私たちの世代(20~30代)に、やりたい仕事が見つからない、仕事にやりがいを感じないという人が多いのは、『生まれたころから何もかもが揃っているから、お金や地位のために頑張れない』と言われている。
確かにその通りだと思っていて、かの有名な“ALWAYS 3丁目の夕日”の舞台である高度経済成長期のように、どんどん国が良くなる!みんなで日本を成長させよう!という高揚感を感じたことは人生で一度もない。
それが、コロナウイルスによって私たちが今まで過ごしてきた当たり前の世界は崩れ去った。
時間があれば街へ繰り出し、カフェやレストランで友人や恋人と食事をしながら話す。休日は時間を消費するかのように映画を見たりショッピングモールに繰り出していた。
“すでに作られたサービス”に対して時間とお金を消費しながら、なんとなく過ごしていた日常が、ウイルス感染拡大を防止するための外出自粛によって当たり前が変わり始めている。
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カナダでワーホリを始めて、部屋探しや仕事探しを通して『全てはタイミング』と思うことが増えた。
会社を辞めてから、自分で自分に与えていたプレッシャーから解放されたと同時に、変なプライドにしがみつくこともなくなった。
オーストラリアのロードトリップやフィリピン留学を通して、自分が当たり前だと思っていた生き方や価値観も、いい意味で壊されつつあった。
そんな経験をしたからか、ワーホリ開始早々にコロナウイルスのせいで仕事が先延ばしになり、カナダで無収入生活になってしまっても、動揺したり深く落ち込むこともなかった。
最近は家で楽しめるアイデアを探したり、表現ツールを駆使してnoteを書いたり動画を撮ってみたりして、不便な暮らしながらも楽しく過ごせている。
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ただ、日本を離れてカナダで暮らすというイレギュラーな状況に、コロナウイルスによって当たり前がガラリと変わってしまった環境で生活していると、いろいろ感情に変化が表れてくるもの。
カナダでは、スーパーや薬局以外の必要不可欠な業態は営業停止、人との距離を保たなかったり15人以上の集会をした場合は罰金など、当たり前だったことが当たり前ではなくなっています。
日本という平和で安全な国に生まれ、飢餓で命を落とすこともなく恵まれた暮らしが保証されていたのに、突然いつ感染するか・いつ死んでしまうか分からないという世界に放り出されてしまった。
そんな恵まれた環境にも満足できず、次々と新しいサービスに飛びついて消費したり、仕事においては“やりがい”や“お金”を求めていた気がするけど、実はその日を普通に暮らせることが一番幸せなんじゃない?と思うようになった。
一言で表せられるほど感情はまとまってないけど、お金だけじゃない幸せについて考えている途中、という感じ。
こんな状況になった直後は、クラウドソージングサービスのプロフィールを編集し直したり仕事に応募してみたりもしたけど、しっくりくるものがなくて、早々に活動をやめてしまった。
確かに生活費を稼ぐ手段は必要だけど、給料が良いわけではない業務に時間を費やすなら、出費をしなければいいのでは?という発想になった。
それなら、働く代わりに宿や食事を提供してもらえるWWOOF(ウーフ、農業と交流のNGO)をやってみるのもアリかなと思い始めているところ。
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恵まれた環境にどっぷり浸かりきって、幸せのハードルが高くなっていたけど、この体験を通してハードルがどんどん下がってきているのを感じる。
寝る場所と、お腹いっぱいご飯を食べれて、健康な身体があることのありがたさをひしひし感じる。
毎日世界中のどこかで命を落としている人がいるこの状況を変えるには、一人ひとりがウイルス媒介者にならないように家で過ごすことが一番の近道。
暗いニュースばかりで、最悪のことを想定すると気が滅入ってしまうけど、こんな状況だからこそ当たり前に感謝して、前向きに過ごす工夫をしていきましょう。
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カナダの田舎暮らしVlogはじめました*
こんな機会だからこそ丁寧な暮らしを心がけています:)