Note 113: 「少年の名はジルベール」も面白かった!(本題)
Note 111, 112の続き。
萩尾さんの「一度きりの大泉の話」(以下萩尾本と略す)という本が出て、ぼくは飛びつくように読んだ。
なにしろ大好きな萩尾望都さんの本であるし、話題騒然の本であったので、読まずにおれるか、という気持ちだった。
初読の感動を失いたくなかったので、ネットの書評は見ずに読んだ。
(※くだくだしく書きませんが、萩尾望都さんの「一度きりの大泉の話」、竹宮恵子さんの「少年の名はジルベール」のネタバレを含む内容で、興味のあるかたは同書を先に読まれることをお勧めします。)
ふたたび萩尾本について
どういう本であるかはすでにさんざん書いたが、同時代を代表するもう一人の作家、竹宮恵子さんとの決別の経緯と、竹宮さん・萩尾さんを中心とした「大泉サロン」「花の24年組」という物語を、自分はあんまり認めていないし、自分をそのくくりに入れて欲しくないという内容だ。
実務上の必要としては、「大泉サロン」「花の24年組」(<=萩尾さんはこの言い方を認めていないが、便宜上カギカッコ付きで書きます)という幻想の物語を美化するために、竹宮・萩尾対談を行うとか、萩尾本が出る直接の契機となった竹宮さんの著書「少年の名はジルベール」(以下竹宮本と略す)をテレビドラマ化する、という企画の話が再三持ちかけられるが、それには一切協力できないのでもうオファーしないでください、ということである。
萩尾さん抜きで、と言われても、それはキムタク抜きでSMAP一代記を作れみたいなもんだから、実質上不可能である。
(このたとえ必要か?>自分)
それだけであれば公開私信、宣言文であって、ペライチのニュースリリースを出せばいいのかもしれないが、それではファンが納得しないし、萩尾さんとしてもファンの気持ちに答えたい、そして自分としてもあの時代を総括したいという気持ちがあったのか、マンガ家としての歩みと竹宮さんとの出会い、別れを軸に、共同生活していた大泉のボロアパートに出入りした少女マンガ家たちの群像、自分の目から見た少女マンガ史を活写している。
どうしようもなく面白い。
萩尾さん、竹宮さん、そして山岸涼子さんたちを中心に、急に少女マンガがパワーアップした時期は、間違いなく存在した。
それは萩尾さんも認めざるを得ないだろう。
だから、多くの人から「あの時代」について語ってくれという質問が、萩尾さんの心中を知ることなく、50年間繰り返されたのであろう。
それに対して、萩尾さんは、実録と、エンタメと、私信が入り交じる風変わりな本になったけれども、きちんと答えている。
また萩尾本の話が長くなってしまうけど、萩尾本で面白かったのは、「花の24年組」というくくりがいかに自分にとってピンと来ないかを語るために、少女マンガ史を概説した一章を設けていることだ。
こういう萩尾さんの生真面目さ、論理的なところが、たまらなく面白い。
同時代の少女マンガ家には、一条ゆかりさんもいたし、里中満智子さんもいたし、美内すずえさんもいた。
こういう人たちは、間違いなく巨匠であるが、「花の24年組」には、どういうわけか、入らないようだ。
「花の24年組」というのは、萩尾さん、竹宮さんを中心に、昭和24年生まれの少女マンガ家の中から、共同の知人であってのちに竹宮さんのブレーン的な存在となった増山法恵さんによって、増山さんのお眼鏡にかなった人を適当にセレクトしたグループらしい。
もしかしたら「おモー様(萩尾さん)とケーコタン(竹宮さん)はどっちも昭和24年なのね」「花の24年組ね」みたいな冗談口が、なんとなく盛り上がってしまったんじゃないか。
「大泉サロン」というタームもそんな冗談口だったんじゃないか。
でも、萩尾さんと竹宮さんがあまりにもブレイクしてしまったために、この2つのフレーズがあまりにもクローズアップされてしまって、神話化したんじゃないか。
で、竹宮さんはノリノリで(まあ「大泉サロン」伝説を企画として盛り上げるために)ポンと自分の本に入れたんじゃないだろうか。
よく知らないけど……。
(余談だけど、50年前は「花の24年組」(まだ二十歳!)みたいなコピーがキャッチーだったかもしれないけど、本来は女性の年齢を書くなんて失礼な話だ。パンパネラは歳を取らないのである)
萩尾本の評判
萩尾本があまりにも面白かったので、他の人の感想が知りたくて、検索した。
面白い本を読むと、どうしようもなく検索したくなる。
自分が面白かった本を、他の人も褒めているとうれしいし、自分が読み落としていたことを誰かが気づいていると勉強になるのである。
ところが、多くの人が「読まないほうが良かった」「読んでいて苦しかった」「わざわざ書かなくても良かったのでは」と書いていて、驚いた。
そうかー……。
でも、そういう感想を書いた人も、読みたいと思って読み始めたわけだろう。
そういう人は、ほとんど、萩尾さんの作品と竹宮さんの作品と、両方のファンであって、二人の物語について知りたい、楽しい話を読みたいと思っていたはずだ。
しかし、本の中身は、そうではなかった。
その気持ちは分かる。
若貴兄弟どっちもファンで、二人仲良くしてるのが好きだったのに、貴乃花があまりにも若乃花を攻撃するので辛くなったみたいなことだろう。
(だからわざわざたとえなくてもいいって……>自分)
ぼくは「少年愛」と言われるものが苦手で、竹宮さんの作品を読んだことがない。
あと、どうしようもなくゴシップ好きだから、萩尾本は楽しめた。
それに、作者と作品は本来別物だとも思っている。
だから、情報たっぷりの、そして萩尾さんが持つ天性のユーモアがどうしてもにじみ出てしまう文章を堪能したし、この読書体験を共有したいと思った。
(末尾の、感情が隠せなくなるところは少し違和感を感じたけど……)
本当に面白い本だから、おすすめする気持ちは変わらない。
困ったのは、萩尾本の内容を受けて、竹宮さんを個人攻撃する人が出ているらしいということだ。
今やインターネットの時代であって、まあこのNoteもそうだけど、一般庶民は好きなことを言うメディアを持っている。
それを使って、「悪者」である竹宮さんを人格批判する動きが出てきた。
これは竹宮さんが気の毒だ。
そして萩尾さんにも迷惑なのである。
萩尾さんは、もうそっとしておいて欲しい、のだから、そこで萩尾さんをことさらに弁護するのも困るだろう。
「萩尾さんをそっとしておいてあげてください」と書くのもやめた方がいい。
(だったらこの一連のぼくのNoteも書かない方がいいのかもしれないが……)
竹宮本も読んだ!
本項で竹宮本と略記する「少年の名はジルベール」は、本来読まないつもりだった。
自分は竹宮さんの読者ではなかったし、それこそゴシップの「検証」のためにわざわざ本を買って読むのはどうかなと思っていた。
でも、Noteに萩尾本の感想を書く上で、どうしても確認したいことが増えてきたので(萩尾さんは「ここは自分の記憶がおぼろげです」「ここは私の記憶がおかしいようです」という意味のことをわざわざ書いていることが何箇所かある)買った。
ザッと読んだが、面白かった。
こっちはこっちで、読まないと損だ。
そう思ったのである。
Noteに萩尾本の感想を書いた日から、次の日にかけて、ポツポツと「いいね」「スキ」をいただいたので、病院の廊下で待ち時間にもういちど竹宮本を読んだ。
こういうとき電子書籍って便利だね。
そして、あらためて竹宮さんの文章の世界に引きずり込まれた。
竹宮さんは「少年の名はジルベール」を、最初から書きたくて書いた。
自分のマンガや、萩尾さんを中心にした「あの時代」のマンガの読者、「あの時代」について聞いてくる多くの人たち、そして大学の教え子たちに、自分と自分にとってのマンガの歴史を語るために書いたのである。
萩尾さんは、自分を守るために、マネージャーの城章子さんの勧めで重い口を開き、萩尾本を著した。
最初は映画監督の佐藤嗣麻子さんにインタビューアーになってもらって、その聞き書きを全面的に改稿したそうだ。
それに対して、竹宮本は、最初から自分で、自分の文体で書いている。
内容は、萩尾本と合わせ鏡のようになっている。
竹宮さんのマンガ家としての自分史、萩尾さんとの出会い、共同生活の始まり、「大泉サロン」(竹宮さんはこのキャッチーなフレーズをフィーチャーしている)に集まるマンガやファンたちの群像劇、ヨーロッパ旅行、萩尾さんとの別れ、「風と木の詩」発表までの苦闘を描いた自伝である。
竹宮さんは、あれだけ一時代を築いた巨匠であるから、間違いなく天才であると思うけど、自分が得意なのは「力業」であると言っているようだ。
そしてそれは、分かる。
何かで(たぶん小説家の小林信彦さんが)書いていたが、竹宮さんは「努力型の天才」なのだと思う。
作品を読まずになぜ分かる、と言われそうだが、竹宮本の書きぶりが、いい意味で泥臭いのである。
分かりやすい。
数多くの困難があったけど、遮二無二に努力して、友達にも恵まれて、栄光を勝ち取った、そういう少年ジャンプ的な、読者に分かりやすい物語を描き出している。
それは、竹宮さんの感性が泥臭いと言うわけではなくて、こう書けば分かるでしょ、盛り上がるでしょ、というプロの感覚を感じる。
大学で教鞭を取った経験も生かされていると思う。
萩尾本が、あちこちで拾い集めたキレイな石を「そういえばこんなの拾ったんだ……」と、パラパラッと見せられるようなエピソードの連続であるのと違って、竹宮本は骨太な物語のうねりを感じる。
これは執筆の動機や目的が違うから、当然だろう。
萩尾さんへの尊敬
萩尾本の中で、竹宮さんは自伝本の中で私のことを褒めてくださっているようです、などと、ことさらにそっけなく書いているが、竹宮本の中でかなりの分量を締めているのは、萩尾望都という作家に対する驚嘆、尊敬、そして羨望、嫉妬である。
「大泉サロン」伝説を美化したいとか、「大泉サロン」企画のために萩尾さんと関係を良くしたいとか、そういう感じで、ためにする文章であるとは、思えない。
竹宮さんの「私だけが知っている、萩尾さんの本当のすごさを皆さんに教えましょう」という熱が伝わってくるのである。
そして、それだけに、萩尾さんへの嫉妬心と成果が出ない自分への焦燥感に苛まれる共同生活の末期は、辛かった。
が、「大泉サロン」アパートの契約更新をせずに共同生活を解消した後も、萩尾さんは竹宮さんと同じ街に住み続け、竹宮さんが入り浸っている増山さんのマンションに訪れては、増山さんと談笑していた。
(増山さんはもともと萩尾さんのペンフレンドだった)
萩尾さんに当然悪意はなく、竹宮さんもそれは分かっているのだが、自分では制御できない感情から、萩尾さんに「距離をおいて欲しい」と言わざるを得なかった。
これは、竹宮本にもはっきり書いている。
「盗用疑惑追及」の有無
「完全に私の独り相撲だった。自家中毒とも言える。……どうしようもなくなった私は萩尾さんに、「距離を置きたい」という主旨のことを告げた。それは「大泉サロン」が本当に終わりになることを意味していた」
これが竹宮本の中の、決別に関する記述である。
しかし、ここが書きづらいところだけど、萩尾本によれば、決別の経緯とは、増山さんのマンションにおける、増山・竹宮さんによる「盗用疑惑」を追及する詰問であり、その後の竹宮さんの「この間のことは忘れて欲しい、ただし増山さんのマンションには来ないで欲しい、自分のクロッキーブックも読まないで欲しい」という謎の多い手紙の手渡しである。
2人の人間が、数年に渡る出来ごとを書いた以上、すべての出来事を最大漏らさず書くことは不可能だ。
記憶が違うし、視点が違うし、受容が違う。
しかし、上記の2つの記述のへだたりには、無視できない大きさがある。
増山さん、竹宮さんによる「盗用疑惑追及」はあったか、なかったか。
どうしようもなく、ここが最大の争点だ。
前回のNoteにも書いたが、まず、萩尾さんによる「盗用」はなかったことは間違いないと思う。
萩尾さんが「11月のギムナジウム」「鳥の巣」「トーマの心臓」を描いた中で、「寄宿舎における少年同志の交情」を描き、学校は川のほとりにあり、温室がある。
それは、竹宮さんが温めていた「風と木の詩」の下書きからの盗用ではないか、というのが盗用疑惑の骨子である。
しかし、萩尾さんと竹宮さんは、増山さんに連れられて「悲しみの天使(寄宿舎)」という映画を見ており(学校には温室も出てくる)、萩尾さんはそこから一連の作品の着想を得た。
だから、2人が同じモチーフを作品化することは当然のなりゆきであり、竹宮さんにも、ここに争いはないと思う。
問題は、増山・竹宮さんによる、萩尾さんにとって耐え難かった追及があったかどうか。
ここははっきりと、両者の言い分に食い違いがある。
まあ、どちらも争いは起こしていないから、歴史の謎として封印されていくことになるだろう。
そして、この謎がある以上、「大泉サロン」伝説が無責任にエンタメ化されることはないだろう。
増山法恵さんの評価
ぼくにとって面白かったのは、萩尾本を一読した印象では、竹宮さんとは一心同体のような存在であり、竹宮さんの正式なプロデューサー、参謀であると思っていた増山さんという人が、竹宮さんの中でも評価が難しい、説明が難しい人という微妙な感じで表現をされていることだ。
まあ、心からの親友であり、同志であるから、遠慮しないでズケズケと書いている、ということかもしれないが。
まず、彼女の肩書きであるが、プロデューサーという言葉で伝えて欲しいというのは増山さんの希望であったが、竹宮さんとしては、マンガ家のプロデューサーと言っても通じないし、でもマネージャーと言うと軽く見られるし、彼女のプライドがそれを許さないことも理解できるけれども……ということだったらしい。
また、増山さんの名前を「原作者」としてクレジットしたいと言っても、増山さんは「マンガ家・竹宮恵子の価値が下がる」としてそれを拒否した。
その当時は原作付きのマンガは格が落ちるとされていて、それは竹宮さんも認めている。
(また、萩尾本にも、原作付きには原作付きの良さがあるのに、なぜ認められないかという主旨の論考がある)
今では「変奏曲」(萩尾本にたびたび出てくる、増山さんがマンガになることを熱望していた「ヴィレンツ物語」)や、「神の子羊」という作品が、「原作 増山法恵」とクレジットされている。
増山さんの困った側面としては、とにかく激しい性格で、編集者との打ち合わせに同席し、強い言葉で差し出口をしたり、舌打ち(!)をしたりして、竹宮さんを相当苦慮させた、ということだ。
これは相当キョーレツだ。
しかし、それを上回る美点としては、とにかく有能だったということだ。
「少年愛の美学」や、該博な文化的知識を竹宮さんたちに伝えたということだけではなく、本当に竹宮さんのことをプロとして、親友として考え抜いていた。
竹宮さんが編集者のMさん(毛利和夫さん)に、今は「風と木の詩」を受け取る編集者はいないが、一本人気漫画を作ってアンケートで一位を取れば、どんなネームであっても通る、と言われた時、最初は増山さんは、「なにうまい話に踊らされてんのよ」という態度だったらしい。
しかし、竹宮さんがあまりにも熱心にアイディアを求めるので、ポツリと「貴種流離譚がいいよ」と言う。
竹宮さんは「え?キシュリューリタン?なにそれ?」と聞き返す。
ここから、アンケートで1位を取るためだけの作品(最終的には2位だが、「風と木の詩」発表にこぎつけた)「ファラオの墓」が始まる。
このへん、Mさん、竹宮さん、増山さんの火花が散るようなアイディアの飛ばし合いが本当に面白い。
ぼくは、竹宮さんの作品も読んでいないし、竹宮本を買ったのも、萩尾本の感想をNoteに書くから、そして、ゴシップ的な興味が動機であった。
何なら、ぶっちゃけて言うと、自分は「萩尾側」の人間だし、「アンチ竹宮」だと思っていた。
だから、萩尾本については、最初から好意を持って紐解いたのに対して、竹宮本については、マイナスからのスタートだった。
でも、この増山さんとの共同作業のくだりを読むあたりになると、完全に竹宮さんガンバレ、1位を取って「風と木の詩」を通せ、と応援していた。
そして、萩尾さんについても、竹宮さんについても、増山さんについても、当然ながら、相当偉大な人たちであって、簡単には人格批評めいたことは出来ないな、と思ったのである。
Yさん(山本順也さん)登場
萩尾本と竹宮本は共通点が多いが、一番面白いのは別冊少女コミックの副編集長であり、萩尾さんと竹宮さん、地方から出てきてマンガ家になろうと思っている二十歳の小娘の「東京のお父さん」的な立ち位置だったとおぼしい、山本順也さんのキャラクターである。
竹宮本ではYさんと書かれているが、Mさん同様、巻末では本名が明かされている。
萩尾本でも山本さんの登場場面はいちいち面白かったが、竹宮本では完全にコメディ・リリーフの役回りであり、少年愛は理解できないが竹宮さんのことは心から心配し、応援している情に厚いオッサンみたいな感じだ。
一番面白いのは(<=2回目)ヨーロッパ旅行に最初は反対していたが、最後は紙テープを持って横浜港に見送りに来たところだ。
ウケる。
話が前後するが、山本さんは萩尾さんと竹宮さんの共同生活を反対していた。
「同じ作家が共同生活なんて、絶対ダメだ」
「(竹宮さんはトキワ荘のことを言うが)トキワ荘はアパートで、それぞれ個室があるし、トキワ荘の作家たちも色々あったんだろうよ」
ということだ。
なるほどねー。
ぜんぜん関係ないけど、YMO散開(解散のこと)直後に坂本龍一さんが「細野晴臣さんとの人間関係は、YMO末期は、村上龍と村上春樹が同じ部屋で小説を書いているような状態だった(のが耐えられなかった)」みたいなことをなんかのインタビューで話していたのを思い出す。
でも、地方出身の萩尾さんと竹宮さんがお互いを支え合ったこと、特に両親の激しい反対があった萩尾さんが両親を説得したことに、共同生活がプラスに働いたことは間違いない。
そして、登場人物が「パリだわ……」とつぶやけばそこがパリになると思っていたような、竹宮さん(と萩尾さん)に、増山さんが伝えた圧倒的な知識は大きかったと思う。
上京したての20歳という、最もあらゆることを吸収する時期に、共同生活がなかったら、萩尾さんも竹宮さんも、あの爆発的なブレイクはなかったかもしれないし、作家としてのあり方も変わっていたかもしれない。
近くにアパートを借りて行き来するぐらいにしても良かったかもしれないが、お金がなかったかもしれない。
まあ、こんな風に「かもしれない」ばかり言っててもしょうがないかもしれない。
山本さんとのやり取りなどを見ていても、竹宮本と萩尾本ではタッチがまったく違う。
竹宮本に出てくる竹宮さんは、欠点だらけの人間だが、本当に可愛らしい。
だから竹宮本のドラマ化希望、みたいな話がアマゾンのレビューに載ったりするのだろう。
それを竹宮さんが最初から構想していたかは分からない。
竹宮さんという人のサービス精神がそうさせるのかもしれない。
ということで……。
まとめに入る。
まず、最大の争点であり、「どちらかがウソをついている」盗用疑惑については藪の中、黒澤映画「羅生門」的な話になっている。
50年も生きていれば、そんなことぐらいあるだろう。
この件が明らかにならなくても驚かないし、封印されたままでも仕方がない気がする。
とりあえず、萩尾さんの心の平安、そして、竹宮さんの悪役化の回避がなされることを祈りたい。
(誰目線だよ!>自分)
そして、萩尾本、竹宮本、どちらも、抜群に面白い。
読まないと損をする読書体験だ。
そして、萩尾さんや竹宮さんの「人間と作品に対する評価」と、「ネットでの両者の本を巡る言い合い」には、まったく関係がない。
また、竹宮さんの妹さんや元アシスタントのマンガ家さんによる「まあまあ萩尾さん落ち着いて」みたいな仲裁工作ブログは、本当に良くなかった。
まあ、どちらも書いてすぐ削除という状態なので、さっさと忘れてあげよう。
萩尾さんは、あの時代のことはそっとしておいて欲しいと思っている。
そして、竹宮さんも、萩尾本が出た以上、そう思っているんじゃないか。
ぼくは、前回のNoteで、「ポーの一族」と「風と木の詩」を何回も編集者に提出し続けた萩尾さんと竹宮さんは、距離を取り合いながら、実は共闘していた、みたいなことを書いた。
50年の時を経て、今、二人は、「我々のことは作品で評価して欲しい。50年前のゴシップについては、もうそっとしておいて欲しい」という、同じ気持ちを共有しているのではないか。
で、ファンはその気持ちに答えて、語り得ぬことには口をつぐむべきではないか、と思うのである。
(だいぶ語り過ぎてしまったが……)
あと、この両者の本を読んでスゲエなと思うのは、両者の壮健ぶりである。
2016年には、なんと、40年の時を経て「ポーの一族」が再開している。
これからも萩尾さん、竹宮さん、それぞれの活動を応援したい。
(だから誰目線……>自分)
(この項終わり)