「通勤夫婦」
今しがた読んでいる『フリーエージェント社会の到来』(ダニエル・ピンク)で、”通勤夫婦”という言葉を見つけました。
この言葉は現代社会を風刺しており、ほろ苦い現実を表していますグサッ
朝の通勤ラッシュ時の外出をなるべく避けるためにアポイントを調整している私ですが、昨日久しぶりに東京の満員電車に揺られました。
この経験はどれだけポジティブに言い換えても、「ストレスの源」でしかありません!
通勤時間が長くなるほど、家庭との時間が犠牲になります。まさに、現代人にとって諸悪の根源でしょう(笑)
首都圏以外に勤務する同僚は、初めて満員電車に揺られ具合を悪くしていました。満員電車に揺られてる方は、毎日それほどの偉業を成しているのです。学生時代から首都圏の満員電車に揺られて育った方には頭が上がりません。
少し満員電車に話題が逸れましたが、来る日も来る日も満員電車に揺られ、通勤にかける時間が長くなればなるほど、「通勤夫婦」化していきます。
人々はいつから通勤を覚えたのか
肉体的にも精神的にもダメージがあり、家族との時間を遠ざける、まさに諸悪の根源「通勤」。
果たして、人類はいつからこの愚行を覚えてしまったのでしょうか。
実のところ、”通勤史”はそこまで長くないようです。
居住の場所と仕事の場所が別々になったのは産業革命以降のこと
それまでは生産の基本単位は核家族で、農業でも工房でも、夫と妻、それに子供たちが一緒に働いていた
工場が登場して初めて、労働者と労働は家庭の外の職場に引っ張りだされ、残りの家族は家に取り残されるようになった
通勤が必要な社会となり、1960年~1986年の間に、両親が子供と過ごす時間は白人家庭の場合は週に10時間、黒人家庭の場合は週に12時間減った
通勤は人類史に登場したばかりということです。産業革命期から登場したとしても、200年くらいですかね?どうりで不慣れなわけです(;´Д`)
裏を返すと、現代社会において夫婦で事業を営まれている方は、産業革命前から続いていた「本来の生活リズム」を実現しているといえるでしょう。
「通勤夫婦」を辞めて、人間らしさを取り戻そう
『フリーエージェント社会の到来』では、通勤夫婦を避けるべく、企業に雇われないフリーエージェントになることを推奨しています。
驚くべきことに、米国では、全米の労働者4人に1人がフリーエージェントという労働形態です。そのため、徐々に社会保障もフリーエージェントに対応する形式に改良されているそうです。
日本においても、2023年にフリーランス新法が施行され、少しずつフリーエージェント社会が形成されつつあります。
企業で働くサラリーマンにとって救いの兆しは、日本の労働市場が完全に売り手市場であることです。「共通サイズの服」を着せる企業は淘汰され、「自分サイズの服」を認める企業が生き残るでしょう。
最後に、私が最近大切にしている言葉は”人間らしさ”です!
満員電車で通勤をしていて、「うわ~、人間らしくない行為だぁ」と疲弊していたところに、「通勤夫婦」という言葉が目に入りました。
私自身、(特に朝の満員電車による)通勤は絶対にしない!と改めて誓う機会になりました。
通勤によって家庭生活がおろそかになるとき、「通勤夫婦」というパワーワードを思い出し、人間らしさを取り戻すよう努めていきましょう!