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「人と向き合う」の先にある「恋人を自分の一部にする」

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くじらです。

土日はあまり外出しないマンです。

昨日の定期マガジンでは恋愛と年齢に関する真実を書いた。キモいおじさんおばさんが出来上がるまでの工程と言ってもいいだろうか(笑)

見た目気持ち悪くても喋ってみるとキモくない人。見た目身持ち悪くなくても喋るとキモい人。

嫌われるのは圧倒的に後者なんだよね。しかも思いのほか多いイメージがある。

コレは昨日の定期マガジンに書いたことによって仕上がってしまうんだよね。

見た目だけじゃごまかせない真実がそこにはある。

これ以上書くと内容に踏み込んでしまうので興味ある方は読んでみてください。

話は変わりますが、恋人と長期間に渡って生活していくこと、結婚生活なんてまさにそうだけど、これは言い換えたら相手を自分の一部にしていくことだ。

良いことばかりではない。「借金がある」「連れ子がいる」「病気がある」など、中々受け入れがたいこともあるだろう。

初めのうちはこれは相手だけの問題だ。

しかし、共に人生を歩んでいくと決めたら、これらの要素も全て自分自身の一部となる。

共に抱えて生きていく。

これらの問題でパートナーが苦しんでいたら、同じように自分も苦しい。

これが「人と向き合う」の先にある、「相手を自分の一部にしていく」ということだ。

もうこの頃には向き合ってるのではなく、同じ方向を向いているのだ。

「相手のためを思って」とかではない。

もうすでに自分のことなのだ。

相手を守ることは自分自身を守ることでもあるのだ。

何度でも二人で乗り越えていく。

止まない雨はない。過ぎ去らない嵐はない。

いっときの嵐だけを見ず、長い日常を思い出す。

退屈で、エネルギーを持て余していたあの日々が、いかに幸せだったのかを感じさせてくれる。

健康のありがたみは風邪をひいた時にしかわからないのだ。

オレは常々言っているが「事実=感情」ではない。

コロナが流行って「この世の終わりだ」と考える人もいれば「せっかくだから、おウチ時間を楽しむか」と考える人もいる。

事実は同じでも解釈の仕方で感情は変わってくる。

感情は、事実に対してその人がした解釈についてくるものってだけだ。

事実をやたらと悲観的に解釈してはいけない。

無理に楽観的に解釈する必要もない。

ただ、そういうこともあるってくらいだ。

川の流れのように受け流すのだ。

生きるとはそういうことなのだ。

恋人と共に人生を歩んでいけば、様々なことが起こるだろう。

物事を解釈する過程を「認知」と呼ぶ。

認知の幅を広げるのだ。

あなたの人生に起こることは同じでも、認知の仕方で悲劇にも喜劇にもなる。

悲劇のヒロインになれる人は喜劇王にもなれるのだ。

どうせならあなたの認知で、現実を喜劇にしてやれ。

オレはそう思っちゃうんだよね

恋愛マスターくじら

【解説】

これは恋愛に限ったことではないんだけどね。

物事を悲観的に解釈するのがクセになってしまってる人がいるんだよね。

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