光は強すぎると前が見えない

「理想の大人を目指して大人の振りをしてそれを積み重ねてきただけです。きっと私は死ぬまで大人の振りを続けるでしょう。」

「葬送のフリーレン」  第3巻  P.39



2024年  2月

気づけば1月はとうに去っていて、2月も後半戦へと差し掛かろうとしている。

「今年こそは!」と意気込んだあれこれは、手付かずのまま散乱している。


それでも時間は無常で、周囲の色んな話を聞いては私だけが取り残されていくような気持ちになる。

こんなにも社会に染まるものなのかと、怖いようで嬉しいような、少なくとも澄んだ色はもう持ち合わせてはいない。


1つ言えるのは、別に大人になった訳じゃないということ。多少分別がつくようになっただけ。
そしてこの分別も、どの環境に属するかでいとも簡単に変わってしまうような気さえする。

それほどまでに、慣れというものは怖い。



環境による慣れといえば。

昨年に話題となった宝塚劇団の騒動。
詳しく調べずに書くことを許してほしいけれど、いわゆる悪い形の「しきたり」のようなものがあったのではと。

これはフィクションでもよく見る話で、「私はこのようなことを経験してきて今の立場があるのだから、ここに来たければ我慢しなさい。嫌ならやめれば?」というような。

もしかしたらこんな話は往々にしてあるのかもしれない。
そして、今まではそれぞれの圏内で起こっているだけだった。


それらが今、SNSを通じて世界へと発信されているように感じる。
今までは受けてきた対応を、自身の正義を次の世代に向けるだけだった。
それがSNSという媒体を通して、特定の、あるいは無作為に抽出された個人に、または世の中の大勢に送り付けることが容易になった。言葉による正義の押し付け合い、戦争にさえ見える。
みんな疲弊するんじゃないかと思う。



実際はどうかは知らない。

でも怖いくらい、粗探しをしているような世界で。



私は、自分が何よりも正しいなんてことは思わない。

だけど、だからこそ正しくありたいと、かっこいい大人でありたいと、そんな風に聡くあろうとすればするほど、自分の感覚こそが基準値であるといとも簡単に錯覚してしまう。

私が出来ているかは別として、社会に生きる「素晴らしい人間」という理想像はみんなの理想でもあるはずだと思い込んでいるから。

そうして自我が腫れ上がって、「できていない」を見つけては排他的になる。


そんな気持ちにさせられるから、私は多様性という言葉が大嫌いだ。
もちろん大事なことではある。
ただ、「多様性」とひとくくりの言葉にされていることが嫌いなのだ。
それはさながら球体のようで、すべて表になっている。

世の中は多面的で、表があって、裏があって。
どちらにとってもいい世界を作ろうとすれば、今度は側面が表れる。
いまだに言いたくはないけど、全ての問題を解決する方法はないだろう。
それなのに、「多様性を受け入れよう」だなんて。
わかってる。わかってるんだけど。

それこそ「じゃない方」を生み出しているような気がして。


という、価値観。
段々と感情的な走り書きになってきた。
こんな文章でも、一文一文の内容、流れを気にしては何日も経過している。
「そんな時間をかけずにさっと書ききってしまえ完璧主義者め」と、「もっと他にためになることができたんじゃないか?」と、そんなことさえ脳内で発声される。

誰からも否定されたわけではない、むしろ肯定してくれるほどだったのに。気長に続けようとする私を、虚栄心に満たされた私が卑しめる。

 

 

この腫れ上がった自我をどうしようかと考えながらも、友達と遊んだり初対面の人と話してみたりといった3連休を過ごして火曜日。

職場で、とある失敗をした。

別に誰かに迷惑をかけたわけでもなく、ただただ私が恥ずかしくなるような失敗。
最近の私なら「なにやってんだよ」とか「こんなはずじゃ…」とか考えながら、デバフがかかったような時間を過ごすはずだった。

ただ、その日は違った。とてもすがすがしい気持ちで、そこにいたのは等身大の私だった。

 

この心境の変化は、なにがきっかけだったのかはわからない。
ただこの曖昧さが、今はとても心地よくて。



きっと私はこれからも、大人の振りを続けるだろう。
大人の振りを続けるということは、自分が思う素敵な人間であろうとすること。

大事なのは、それは自分の価値観であって、かつ、自分そのものではないということ。

誰かに押し付けるものでもなく、虚栄を張るためでもない。
目の前の大切な人たちと生きていくために、私は今日も大人の振りをする。





とまあ、なんか堅い感じの内容を行き当たりばったりに書いていたら何が言いたいのか分からなくなってきた。ここが私の現在地点だと、こうやって認めることにする。

ここまでを読み返していると、言葉ってなんだろうなと思う。「言葉は刃物だ」とよく言われるが、言葉に救われることだって、包まれることだってある。トゲトゲしていて、それでいて丸くて、ゴツゴツしていて。色も着いている。いつか私なりの解答を見つけたいような、曖昧でいいような。


さすがに膨らみすぎた。
「葬送のフリーレン」の感想とか、ペルソナ3リロードの新曲が良すぎるとか、もらったケーキが美味しかったとかも書きたかったけど、さすがに一区切りつけよう。



久しぶりにカリンバを鳴らす。
ぽーん。ぽろろーん。
暗闇の中で童心に帰るように鳴らした音は、眠りにつくのにもってこいだった。

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