11月11日、11時11分、祖母へ
たしか2001年だったか、祖母が、百歳でからだを脱いだのは。
日付は11月11日で、時間は11時11分だった。
祖母のことを思い出していた。祖母はひたすら働き者の明治生まれの女性で、お商売と家の切り盛り、気むずかしい夫の世話を淡々とこなしていた。
私が風邪をひき学校に行けず祖母の家で過ごしたとき、「この子は本さえあれば大丈夫だから」と、地味な和服に草履を突っかけて商店街の本屋へ出かけていった。
超現実的な世界でバリバリ生きていた祖母は、夢見がちで内向的な孫と、どんなふうに一緒に時間を過ごしたらよいか、きっとわからなかったろう。
彼女が本を読むことはあったのだろうか。どんな本がいい?とたずねられて「伝記」と答えたのはおぼえている。
その日、祖母が持ち帰ったのは小学館伝記シリーズの『クレオパトラ』だった。もしかしたら店員に何を買ったら良いかアドヴァイスを求めたのかもしれない。
地中海をめぐる血を血で洗う争いや、毒蛇に命を託すという想像を超えた自害シーンは、おばあちゃんの家の匂いとともに本のページに閉じ込められた。
その時の私には、古代エジプトの物語はずいぶん遠く感じたが、
今となってみると、祖母とは遠い過去に、あるいは未来に、ナイル川のほとりで一緒に洗濯している仲かもしれないと想像している。
今日は11月11日。なにかを決心をしたくなる。
98歳で施設に入る前までに、祖母が何日もかけて書いてくれた厚い手紙を読み返す。
「今日はふしぎとペンを持つ気になりました。と云うのは私はもう何年もペンを持たなくなっていたので頭も手も判らなくなって、ペンを持って見てもだめでした。あきらめていたのです。それが今日は書いて見る気になったのです」
「あなたの手紙、とても楽しいのです。第一私に見やすいような御心づかいの黒字を嬉しく見ていると、あなたが見えてきますので、何度でも見ています」
「あて先が判らないで困りましたが、年賀状をさがしたらありました。年賀状のことを思い出せたのだから、きっと次のお正月まで大丈夫だろうと、勇気がでました」
とりわけうれしかったのは、
わたしが結婚したとき、誰もが首を傾げるなかで「あなたが選んだ人だから、きっと立派なひとでしょうね」とまっすぐに私を信頼してくれたことだ。
ありがとう、おばあちゃん✨あなたも、わたしも、まちがっていなかったよ。
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