読解力の謎をスピリチュアルに考える #4
今回の記事は、過去の記事「読解力の謎をスピリチュアルに考える #3」のつづきです。文章の長さ(文字数)に触れて意識を拡張しました。
もともとテレパシー能力がある私たちが、テレパシーを忘れた地球人として転生しているのです。地球人が五次元以上の意識とつながれるようになるまでは、その代替品としての言語で意思疎通を図らねばなりません。
地球に何度も生まれている人なら、言語の記憶が潜在意識にあります。しかし、今回初めて地球に生まれる人にはそれがありません。言語社会に対する潜在的な免疫力を持たずに生まれているのです。本来ならば、相手の波長を読んで相手を識別するのに、それができないので、相手の名前を覚えるために、虚構のイメージを何度も結びつける訓練をしなければなりません。
新参者には名前を覚えるだけでも苦痛となるのです。
上手く言語化できない人は、エネルギーが頭(マインド)に停滞して、苦悩が増幅します。さらに追い討ちをかけるのが、言語で人々を支配しようと悪態をつく人の存在です。上手く言語化できる人ができない人を言語社会から排除したり搾取したりするのです。
スピリチュアルな見解も併せた言語観の大枠はこんな感じでしょうか。
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今、日常生活に、対話できるAI(人工知能)が現れつつあります。前例に基づく人の判断よりも、ビッグデータに基づくAIの判断の方が、頼れるようになります。そんな将来に求められる人間とは、基準がないところで決断する人間です。決断する人間は、AIにとっても貴重なサンプルです。
また、AIの言語能力を体験すれば、一部の学者が主張するような、言語の普遍文法なるものが遺伝子や脳に内蔵されている、なんてことはないと分かるでしょう。それでいて、人間の決断を支える遺伝子および身体のものすごさに、改めて、スピリチュアルに、気づくことになります。
遺伝子操作は、スピリチュアル的にも慎重であるべきです。
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『アルクトゥルス人より地球人へ』によると、人類の遺伝子は、既に、何者かによって、不当に、操作されているようだけれど・・・。
以上、この記事のつづきはまた別の機会に。