係り結びの法則
未熟な自我だが言挙げするゾ、という意志が係り結びに表れている。言語化したら実現してしまうことを恐れながら、それでも、自我は一文をこじ開けようとしているのだ。係り結びは、単なる強調ではない。
そして、
係り方を重視すると、前置詞を発達させ、修飾語は文末へ投げ出し、
結び方を重視すると、後置詞を発達させ、修飾語は文頭へ投げ出す。
だいたい、そんなところであろう。
大野晋『日本語の教室』で、係り結びが、タミル語の古典(紀元前二〇〇~紀元二〇〇年頃)にもあると、軽く触れられていますが、それはさておき、次のような記述があります。
学生の深い質問に対して、先生は「分からない」と言って、重荷を下ろしたらどうだろう。より適切な答えが見つかりそうな学問を紹介したらどうだろう。国語科は、助けを求めるように、諸学と連繋したらどうだろう。
以上、言語学的制約から自由になるために。