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スピリチュアルに『ことばへの道』を読む

この書名の「ことばへの道」は、次のように使われています。

日常言語のうちに詩を発見し、日常言語によって詩を創造することは、根こぎにされた人間存在が人間の本質にかえっていく試みのひとつに数えていいはずである。ことばへの道が、「われわれの関係するところに、われわれのすでに滞在するところに、到達させるものだ」と定義されていたことを思いあわせるなら、日常言語のうちにかろうじて鳴りひびく詩の呼び声に耳かたむけるとき、わたしたちはまさにことばの本道をあゆんでいるといえるだろう。詩の存在には、たしかに、わたしたちがすでにそこに滞在していながら、しかしそこに到達してはいないと感じさせるような性格がつきまとっているのだ。――pp.213-214

何か、熱いものがあるけれど、私の興味は、言語の共同性にあります。その特徴を、この書物の用語を使って、次の図の右側に配置しました。

この図は独学の具体例の一つにすぎません。

一、共同の感覚

食糧をさがしもとめていた原始人がふと他者の目に気づくとき、食糧をさがすという現実の行為は一瞬中断される。同時に、その行為によって結ばれていた現実世界との関係に、瞬間、かすかな亀裂が生ずる。

二、共同の思惟

そして、もし、出会ったふたりの人間のあいだに、意識主体としての関係がさらに展開するとすれば、その関係は最初にできた亀裂の内部に住みつき、その亀裂を押しひろげるようにして展開していくほかはない。――p.102

三、言語活動

他者が他者としてあらわれた瞬間に、意思疎通の活動の端緒がひらかれる。観念的共同の可能性があたえられる。が、意思疎通や観念的共同の出口と入口には自然的身体が位置していることに変わりはない。――p.105

四、共同規範

共同規範の総体は、人間を超えた神や「存在」によって生みだされるものではなく、まさしく共同存在としての人間の言語活動によって生みだされ、維持されるものであって、歴史の進展のなかでそれ自体が有為転変をかさねていく。――p.204

五、共同幻想

人間の思考の長い歴史は、個我の殻にとじこもった孤独な思考をもゆるすほどの幅ひろい思考形態を開拓してきたが、ことばによる思考は、それがどんなに独自なものに見えても、その独自性はことばの共同性との、逆にいえば、共同規範としてのことばとの、はげしい格闘のなかではじめて獲得されることにあきらかなように、自然的な世界での身体行為を停止して思考による観念世界の構築にむかうとき、わたしたちはその観念世界がつねに共同性に根を張っていることをどこかで意識せざるをえない。――p.107

スピリチュアルな見解を避ける学者は、共同幻想という言葉を使いますが、その共同幻想と呼ぶ階層こそ、意思疎通が実現する階層です。

以上、言語学的制約から自由になるために。

今回の記事は、次の二つの記事とよく似た作りになっています。