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龍の見え方

人の視覚の網膜は、光の粒子、一粒一粒の変化に反応しています。そして、その刺激の量が一定以上になると、「見た!」という信号を発します。

さて、ここからが本題です。

龍は透明なエネルギーの流れですから見えません。しかし、龍の輪郭に注目してください。輪郭部分では光の屈折が微妙に異なります。そこにある微妙な変化に、網膜は反応しています。が、見えない。

視覚したことを見たことにする仕組みが邪魔して、見えない。

哲学者なら、純粋視覚の内容を分析し、龍のようなものを立体的に組み立てようとするだろうが、霊能者なら、龍を見る前から、龍の兆しを純粋視覚に発見するだろう。私自身は、違和感に気づいたり気づかなかったり。

いわゆる霊感というものには、「見た!」という感覚に先駆けて感じる能力があります。たとえば、全身の細胞が、落雷する直前の磁場にも反応しているので、敏感な人は、細胞から、落雷するタイミングを知ります。

さて、私が見たい龍は、見えない龍です。

龍の仕業とされる自然現象を見るとき、聖なる四大元素の個性を見ているのではなかろうか。描かれた龍を見るとき、描いた人の個性を見ているのではなかろうか。見える龍は、龍の抜け殻ではなかろうか。

一方、見えない龍を見ようとする私自身は、どんな心境にあるのか。

その心境に映る龍は、私の何なのか。

・・・スピリチュアルな探究はつづく。