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超選択則と隠れた変数:量子力学における「実在」の否定について

「そこにモノがある」という局所実在性の考え方は、下記記事のようにベル不等式の破れが見つかった実験で現在では否定をされております。

そしてその局所実在性否定の成果は、2022年のノーベル物理学賞の対象となりました。

そしてこの「実在」の否定の実証により、量子力学は実在論的理論ではなく、情報理論の一種であることも、よりはっきりとしてきたのです。現在までの実験でも精密に成り立っているものにチレルソン不等式というものがあります。この不等式は量子力学の理論的な予言です。ですから実験は非決定論的で非実在論的な量子力学という理論の正確さを同時に示しているのです。

物理学での実在性の否定とは、隠れた変数が存在しないということを指しています。この「隠れた変数」とは、あらゆる物理量の背景には、実現可能な複数の値(多くの場合は連続的な値)の中から、各時刻にはっきりとした値をとる実在的な何かがあるとする前世紀の理論で論じられていたものです。そしてその変数の値の時間的変化は決定論的な法則で決まっていて、過去の初期条件だけから決まると考えられていました。つまり隠れた変数とは、古典力学での粒子の位置座標や速度などのような「実在」と呼びたくなる対象です。

ところがベル不等式の破れが実験で確認されたことにより、「そこにモノがある」という考え方の根拠だった局所的な隠れた変数の存在が否定をされたのでした。「実在」をそれでもまだ信じたければ、本当は決定論的なのに、敢えて宇宙の端と端で口裏を合わせて、自然界が人間を騙しているとするような非局所的な陰謀論としての実在論しか生き残っていません。仮にベル不等式の破れを許容する非局所的な実在論を考えても、量子力学を人類に信じ込ませるように、何故自然がチレルソン不等式を満たす振る舞いをするのかについての合理的な説明は、これまで一切ありません。一方で、量子力学自体を使わずとも情報因果律という局所性の性質だけからチレルソン不等式は導けることが知れられています。この事実をごく当たり前に受け止めれば、局所性こそが自然界の重要な法則であり、その結果として実験での局所実在性の否定は、そのまま実在性の否定であると理解できるのです。ある状態において、光子などのモノが存在するしないは、観測者や測定方法に依存するのです。それが情報理論としての量子力学の本質的な性質なのです。

でも我々は生まれてから現在まで「実在」というものを肌で感じてきました。量子力学はそれが「幻」だと言っているわけですが、それでは何故我々は「実在」を感じているのでしょう?それは原子数などの物理量の保存則の経験からきています。でもそれは先のnote記事の中で述べたように、正確なものではありません。多くの物理量の保存則はミクロの世界や高エネルギー領域では壊れています。ただし現時点までの実験で破れていない保存則が知られています。それはゲージ対称性に基づいて出てくるゲージ電荷の保存則です。ゲージ電荷の簡単な例としては、電気の源となる電荷があります。電子はマイナスの電荷をもち、陽子はプラスの電荷を持っています。この電荷は様々な素粒子反応の実験でもその合計量が保たれる保存則を満たしています。その意味では、電荷は「隠れた変数」になるのではないか?と考えるのも自然な問いかけです。しかしそれは少なくとも局所的な隠れた変数、つまり「或る値をもった電荷がそこに存在している」という局所的実在にはなれないことは、先のベル不等式の破れの結果から明らかになっています。ある有限空間領域の中にどれだけ電荷が入っているのかは、観測前には決まっていないのです。それは単に「知らない」のではなく、その測定前の電荷の値がそもそも存在していないのです。これが量子力学の帰結です。

しかし宇宙全体での全電荷量の値は保存しているはずです。電荷密度を全空間で積分した値は、はっきりとした値を常にも持ち続けます。それは確かに隠れてもいない「実在」とも言えます。そしてこの電荷保存則から、量子状態の線形重ね合わせに関して超選択則(superselection rule)という性質が導かれます。素粒子標準理論に現れるゲージ理論では、物理的な観測量は全てゲージ変換の下で不変なものに限られます。すると全ゲージ電荷量の値が異なる量子状態の重ね合わせの干渉効果を測定できる実験は存在しないことがわかるのです。電場を生む電荷ならば、宇宙全体の電荷量の合計が或る値、たとえば零となる状態だけで量子場の状態は記述可能だという意味です。例えば量子電磁力学(QED)という理論においては、下記の式のように、電子と陽電子の全電荷数が零の状態は書けます。

全電荷数が異なる状態との重ね合わせを考えてももちろん良いのですが、その効果は単に物理的には観測不能なのです。測定において全電荷量が特定の値をとる状態の重ね合わせだけが「選択をされる」というこの事実を、物理学の業界では超選択則と呼んでいるのです。このような状況では全電荷を実在的存在と見なしても良いのですが、その値は変えられないので「変数」とは実質的に見なせません。ですから超選択則を導くこの全電荷量は、いわゆる「隠れた変数」とは異なるのです。宇宙全体に与えられる、動かしようのない固定されたその1つの値を「実在」と呼んでも、特にそれ以上の意味は何もありません。「そこにある」というモノの実在性とは本質的に違うものです。

追記しておくと、ゲージ電荷には次のような面白い性質があります。たとえば電場の源となる電荷密度ρについて、次のガウスの法則がなりたっています。

これを全空間で体積積分をしてやると、次のように全電荷量が無限遠方の境界における面積分で計算できます。

つまり空間内にどのように電荷が分布をしていたのかは重要でありません。境界付近での電場分布がどのようになっているかを知るだけで、その全空間の中の電荷量Qは知れてしまうのです。全物質のエネルギー量が重力場の無限遠方での漸近的振る舞いだけで決められるのも、これと同じです。

古典的な電磁気学や一般相対論でも既に成り立っていたのですが、境界だけで全電荷量や全エネルギー量などが分かってしまうこの性質は、現代物理学では「ホログラフィ原理」と呼ばれています。全空間の情報はその境界に集まっており、そして逆にその情報を基にして低次元空間の中で意識をもった存在が広がる高次元空間を想起しているだけと言っても良いのだというのが、この原理の意味するところです。これは境界に溜まる量子情報が時空全体やその中の世界を創発しているという『万物は量子情報である』、つまり『It From Qbit』の考え方と非常にうまく整合をしているのです。

現在では『It From Qbit』という考え方に基づいた様々な理論が世界中で多くの物理学者により探求をされています。

なお量子ビットから量子力学の理論を現代的に構築していく現代的な教科書を、講談社サイエンティフィクから出しております。It From Qbitの精神がその構成の背景にある教科書です。


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