炒飯 2
10分後、不愛想な店員さんによって運ばれてきたのは黒光りする四角い重箱でした。
うな重ですかと。
チャーハンは丸い皿、なんなら、ちょっと洗い残した米の跡がこびりついている皿、という私の概念はここで壊されました。
ロシアでチャーハンと言えば重箱なのです。
見るからに重々しいその器
たじろぐ私でしたが、テーブルに置かれた重箱の真上から見たチャーハンはチャーハンそのものでした。
米や細かいブロック状に切られた野菜とチャーシューは天井から釣り下がる照明の光を浴びて乱反射するほど油に包まれていました。
このいじらしく感じるほどのB級グルメ感。
皿が重箱に変わっただけで一体何を驚いているのか。
湯気とともに立ち昇る香ばしい香りに思わず笑みを浮かべていました。
ですが、まだまだ私の中の既成概念は音をたてて崩れてゆきます。
チャーハンを食べるのに店員さんが置いていった食器。
それは、箸、でした。
これは何かの冗談でしょうか。
こんな油にまみれたチャーハンを食べるのに箸を持ち出してくるとは。
まるで箸の国から訪れた者として試されているかのような仕打ち。
いや、いたずらでしょうか。
厨房でスタッフがこちらを笑っている姿が想像できます。
あの外国人、今から箸でチャーハン食べるぞ。
突き付けられたこの課題に対し、しかし私はテーブルをばんと両手で叩きつけて立ち上がり、厨房に向かって声を大にして叫びました。
なめないでいただきたい、と。
絹ごし豆腐を震える箸で食べて育ってきた私を甘く見ないでいただきたい。
箸とはいわば日本のお家芸であり、ある種国技といっても過言ではありません。
そう、これは国のプライドをかけた戦いであり、いたずら相手とはいえ国旗を背負って挑む者としてここで
「すみません、スプーン下さい」
とは口が裂けても言えないのです。
私は箸を持ち、眩く光を照り返すチャーハンの海に箸を投入し、一口すくうことを試みました。
結果、ただ油を引っ付けた箸だけが帰ってきました。
箸にまるで抵抗がかかりませんでしたよね。
箸と米の間に働く摩擦、ゼロ。
野菜とチャーシューにも摩擦ゼロ。
「指の間を砂がさらさらと~」という命の儚さを表現する言葉がありますけど、「指の間を砂が」を「箸の間をチャーハンが」に変換して使うのもいけるな、いやむしろチャーハンのほうが庶民的で生活に寄り添っている感あるから儚さ際立つかも、儚さの極みかも、だって実際目の前のチャーハン食べられんもん、と思い至りました。
果たして私は遊ばれているのでしょうか。
妙にイラっときたのは、この箸、少しこだわった箸なのか、先端にざらざらとした滑り止めが施されているんです。
思いっきり滑ってますけど!
米に翻弄されてますけどー!
この時点で私のかなり狼狽している姿は想像に難くないでしょう。
チャーハンに箸。これは良くないです。
この言葉自体、どこかパラドックス気味た崩壊を起こしているように思えます。
ですがロシアではチャーハンと言えば箸なのです。
崩れる音の原因はこれです。
つづく
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