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💟第16話 関東大震災に遭遇-臨死体験で人生観が一変(天照大御神の子育て)

🟡明治法科大学に入学

京都での5年間にわたる学生生活を終えることになった芳聖は、母・元子に、末寺の住職となり母と弟妹を引き取ることを提案したのですが、母・元子がこの話を受け入れず更に進学するよう勧めたので、芳聖は東京の明治法科大学に進学することになり、大正12年(1923年)3月上京しました。

同年4月、東京都千代田区神田駿河台にある明治法科大学(現在の明治大学)に入学した芳聖は、東京都文京区本郷にあった恵比寿館に下宿して通学していました。この時、芳聖は、数えの20歳(満齢で18歳)でした。

その当時芳聖は、28才までに文学博士と法学博士の二つの博士号を取得して、将来は学者となって身を立てることを目標に学問に励んでいました。明治法科大学では憲法学を専攻しました。

当時の芳聖の生活費は、京都の専門学校時代に出版した受験参考書『三浦の英語訳学やくがく解析法かいせきほう』の印税で賄われていました。


🟡関東大震災に遭遇

大正12年(1923年)9月1日(土)、生活費を節約する為、芳聖は文京区本郷の恵比寿館から墨田区本所の陸軍省被服廠ひふくしょう跡地あとち近くにあった家賃の安価な下宿に引越しました。

その日は蒸し暑い日で妙な風が吹いており、芳聖は、引越しの道中、かぶっていたカンカン帽が風のために吹き飛ばされて墨田川へ落ちたことを記憶していました。

そして、本所の下宿先まで荷物を運び終え、引越しを手伝ってくれた仲間と氷水を取って食べている時に大地震が発生したのです。よりによって引越しの日に地震が起きたのです。

この関東南部を襲った大地震は、午前11時58分発生、マグニチュード7.9、焼失戸数447,128戸、死者99,331人、罹災りさい人口340万余人という日本史上未曽有みぞうの大惨事で、のちに「関東大震災」と名付けられました。

🟡被服廠跡ひふくしょうあとで仮死するも5日後に蘇生

当時は殆どの家庭が炭火で煮炊きをしていて、丁度お昼前で食事の用意をしている時間帯でしたので、次々と火事が発生して大惨事になりました。

皆が避難していたので、芳聖たちも近くの空き地であった陸軍省被服廠跡ひふくしょうあとへ逃げて行きました。すると途中で、相生署(現在の本所警察署)の巡査が抜刀して「被服廠跡ひふくしょうあとへ行け!被服廠跡へ行け!」と叫ぶように交通整理をしていました。

この被服廠跡は広い空き地だったので、そのほぼ中央部にいた芳聖は、ここなら大丈夫と思いましたが、皆が荷物を一杯持って続々と逃げて来たので、人と荷物で一杯となり、そのうち荷物に火がついて周囲は火の海となったのです。

芳聖は、熱風にあおられ煙に巻かれ、そのうち息が苦しくなって窒息しそうになったので、その場に伏せたところ、あとから避難してきた人々の下敷きになって、足を踏まれ頭を踏まれ背中を踏まれ、遂には人事不省じんじふせいおちいり仮死状態となったのでした。

それから5日後の9月6日、死体処理に来た係りの人達が、山のようになっていた死体を、その外側から順次焼却して行った時、一人だけ芳聖の体に蛆虫うじむしが湧いていなかったので、不思議に思って焼却するのを後回しにしてくれたお蔭で、芳聖は奇跡的に蘇生して九死に一生を得たのでした。

これはもう、奇蹟としか言えない事で、とても信じられないと思いますが、当時の新聞に報じられたので記録が残っているはずです。

5日間の仮死状態から奇跡的に蘇生した芳聖は、始めのうち、殆ど目が見えず、全身の皮膚の皮が一枚むけました。目の玉の皮までむけたのですが、どこも悪い所はありませんでした。

これは、大御神の偉大なる神力しんりきのお蔭ですが、芳聖の若さも大きかったと思います。この時、芳聖は満齢で、18歳と11ケ月半でした。

富永老師を通して伝えられた中学を2年で終える事は、御子教導計画を進める上で深い意味のあることだったのです。

🟡臨死りんし体験で人生観が一変

この全く奇蹟としか言いようのない臨死りんし体験によって、芳聖の人生観が一変したのです。

それまで芳聖は28才までに文学博士と法学博士の二つの博士号を取って学問で身を立てようと考えていたのですが、この臨死体験によって芳聖の人生観は、そうした世俗的なものから精神的・霊性的なものへと大転換したのです。

当時僧籍にあった芳聖は、「自分は一切衆生を救済する為にこの世に生まれて来た菩薩に違いない!」という自覚を得たというのです。

この時、それが何なのか具体的には分らなかったのですが、この臨死体験で、大きな天与の使命を持ってこの世に生まれて来たことを肌で感じ取ることが出来たので、芳聖は、それまでの世俗的な目標を放擲ほうてきして、新たな大使命を自覚して進んで行くことになったのです。

最愛の御子・芳聖をこの世に派遣した大御神は、芳聖が学者になる道を望んでいなかったのです。芳聖を関東大震災に遭遇せしめたのは、臨死体験によって芳聖の人生観を一変するのがねらいだったのです。

💟天照大御神の御子教導計画に基づく神謀援慮しんぼうえんりょにより、芳聖は、大震災による臨死体験で、衆生を救済する菩薩の使命を自覚したのでした。

💟第17話 渥美勝先生に邂逅-日本的生命観に目覚める
🟢天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録


🍀祈り
全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします!


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🟡バックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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