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💟⛩藤島神社-源家の誉れここに有り!(串呂哲学研究ノート第342号)

🟡源家のほまれここに有り!

串呂主宰神・天照大御神が構築された神風串呂には、日本民族の英雄たちを祭祀した神社が、実に見事に配置されています。

今回ご紹介する新田義貞を祭神とする「⛩藤島神社」もその一つです。

⛩藤島神社(福井市毛矢)

国家と民族の体現者である神皇正統の天皇であった後醍醐天皇の御負託にこたたてまつり、尊良天皇、興国天皇(守永)の三代にわたる神皇正統の天皇に仕え、

悠久の大義に生きた新田義貞を祀る「⛩藤島神社」は、串呂主宰神・天照大御神のご配慮によって、

源家ゆかりの⛩石清水八幡宮と、前号でご紹介した⛩金崎宮(摂社⛩絹掛神社)とを結ぶ、驚異的な神風串呂上に建立されたのです。

「⛩石清水八幡宮」-「⛩金崎宮」-「⛩藤島神社」

🎀源家の誉れここに有り!💖🥰💝😍💛😂

神国日本では、国家と民族の体現者である神皇正統の天皇の為に生命を捧げた者が一番尊く、神として神社に祀られるのです!

💝今号は、建武中興十五社のひとつ「⛩藤島神社」に祀られた日本民族の英雄「新田義貞」を讃えたいと思います。💖


🟡⛩石清水八幡宮と源家

京都府八幡市の⛩石清水八幡宮と源家げんけとは、深いゆかりがあります。

今回ご紹介する⛩藤島神社の祭神「新田義貞にったよしさだ」は、源家の嫡流のひとりであり、上記の「源家の誉れここに有り」で触れたように「⛩藤島神社を串線する神風串呂」に⛩石清水八幡宮が配置されているので、簡単に考察しておきます。

石清水八幡宮(京都府八幡市)

🟢⛩石清水八幡宮は源家の氏神として尊崇された

武士の台頭に伴い、清和天皇に繋がる源氏が(石清水八幡宮を)宗廟(氏神)とするに至り、代々の武家の棟梁とうりょうに手厚く遇されました。

はちまんさんの詳しいものがたり

🟢石清水八幡宮で元服した源義家

伝えられている話によると・・・
源頼義が石清水八幡宮に参籠したとき、社殿で三寸の霊剣を賜った夢を見ます。夢から覚めると枕元には小剣が置かれていました。この霊夢を見た月に妻が懐妊し、誕生したのが源義家でした。義家の生年は、はっきりとしませんが、1039年(長暦3年)という説が有力です。その後、7歳となった義家は、石清水八幡宮の神前で元服し「八幡太郎」と号したといいます。

石清水八幡宮で元服した源義家

🟢源氏略系図

源氏系図

🟡新田義貞(にったよしさだ)


新田義貞- Wikipedia

新田義貞についての詳細は、各自で『新田義貞- Wikipedia』を見て頂くことにして、主な項目だけ掲載します。

🟢源義家の子孫

新田義貞は、源義家の孫・義重から数えて8代目の子孫です。

🟢新田義貞の家系図

新田義貞の家系図を見てたらあの人とも血がつながっていた

🟢建武の新政樹立の立役者の一人

上野国新田荘の御家人であったが、元弘の乱(1331年 - 1333年)では後醍醐天皇に呼応して、足利高氏の名代・足利千寿王(後の足利義詮)を総大将とする鎌倉討伐軍に参加する。

義貞の軍はいち早く鎌倉に侵攻し、東勝寺合戦で鎌倉幕府・北条得宗家の本隊を滅ぼすという軍功を立てた。

【参照】『新田義貞- Wikipedia

🟢越前国藤島灯明寺畷とうみょうじなわてにて戦死

延元3年/建武5年(1338年)閏7月2日、義貞は越前国藤島(福井市)の灯明寺畷とうみょうじなわてにて、斯波高経しばたかつねが送った細川出羽守でわのかみ、鹿草公相の軍勢と交戦中に戦死した(藤島の戦い)。

【参照】『燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地- Wikipedia


🟡後醍醐天皇の御負託ごふたくに応《こた》えたてまつりし南朝大忠臣

🟢南朝大忠臣「新田義貞公」を称える言葉

🟠儲君を立て義貞に著けらるる事 付鬼切日吉へ進ぜらるる事
朕京都へでなば、義貞かえって朝敵の名を得つと覚ゆる間、春宮とうぐうに天子の位を譲りて、同じく北国へ下し奉るべし。天下の事小大なにとなく、義貞成敗せいばいとして、ちんかわらず此の君を取り立てまいららすべし。朕すでにに汝が為に勾践こうせんの恥を忘る。汝早く朕が為に范蠡はんれいはかりごとめぐらせ。」

『太平記』巻17の8

 🟠後醍醐天皇の宸筆しんぴつの勅書
朝敵ちょうてき征伐せいばつの事、叡慮えいりょむかう所、ひとえ義貞武功ぶこうに在り、選んで他に求めず、ことに早速之計略をめぐらすべき者なり。
朝敵征伐事、叡慮所向、偏在義貞武功、選未求他、殊可運早速之計略者也。

義貞自害事『太平記』巻20の9

🟠宸筆の勅書義貞に下さるる事
義貞朝臣あそん勅書を拝見して、源平両家の武臣、代々大功だいこうありと云えども、じき宸筆しんぴつの勅書を下されたるれい未だ聞かざる所なり。是れ当家超涯ちょうがいの面目なり。此の時命を軽んぜずんば、正にいずれの時をかすべきとて、足羽あすは合戦かっせんさしおかれて、先ず京都の進発しんぱつをぞいそがれける。

『太平記』巻20の3

🟠先帝崩御ほうぎよの
ちん則ち早世そうせいの後は、第七の宮を天子の位に即け奉って、賢士忠臣事をはかり、義貞義助が忠功を賞して、子孫不義の行いなくば、股肱ここうの臣として天下をしずむべし。之を思う故に、玉骨ぎよっこつたとい南山の苔にうずもるとも、魂魄こんぱくは常に北闕ほっけつの天を望まんと思う。若しめいを背き義を軽んぜば、君も継体けいたいの君に非らず、臣も忠烈ちゅうれつの臣に非じ。」

太平記巻21の4「先帝崩御事」

🟡⛩藤島神社を串線する神風串呂の事例

🟢⛩藤島神社

八幡太郎源義家みなもとのよしいえの嫡孫「新田義貞」を祀る元別格もとべっかく官幣社かんぺいしゃ

南北朝時代の武将・新田義貞を主祭神とし、義貞の子の新田義顕よしあき・新田義興よしおき・新田義宗よしむね、弟の脇屋わきや義助よしすけ、および一族の将兵を配祀する。 建武中興十五社の一社である。

『藤島神社- Wikipedia』

🟢⛩石清水八幡宮と⛩藤島神社とを結ぶ串呂

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第一章

⛩石清水八幡宮-⛩河合神社-⛩金崎宮-⛩藤島神社

現在の福井市毛矢に⛩藤島神社が建立されるまでに、下記のように再度遷座せんざされているのです。

福井市新田塚町  ➡  福井市牧の町  ➡  福井市毛矢

明治3年  (1870年)福井知藩事・松平茂昭は新田塚に祠を建てる。
明治9年  (1876年)藤島神社と名付けられて別格官幣社に列する。
明治14年(1881年)福井市牧の町に遷座。
明治34年(1901年)福井市毛矢に遷座。

🟢串呂主宰神・天照大御神の青写真に基づいて、串呂線上の現在地に建立されるよう二度までも遷座せんざされたという事です。

【参照】
🎀金崎神宮と尊良天皇の神風串呂
💟串呂哲学重要事項(リンク先一覧)


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)
🟡串呂文庫 コピーサービスのお知らせ 串呂哲学研究会


🟣串呂哲学研究ノートバックナンバー

🔴情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂や三浦芳聖伝の紹介記事のバックナンバーです。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。


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🟡前号(№341)
⛩絹掛神社-忠烈無比の日本魂
🟢次号(№343)
最後の尊良天皇祭-鎧を脱ごうとしない忠臣霊たち

🟠天照大御神の子育て-御子 三浦芳聖 の教導録 一覧

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