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尊良親王再現 三浦芳聖の神風串呂2(№26)

💟はじめに

このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。

串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

ここでは、「尊良天皇を表わす高良(福岡県久留米市北野町)と三浦芳聖降誕地(岡崎市牧平町大門)とを結ぶ神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。



1、母(元子)の祈念を表わす「一身田専修寺」

三重県津市に一身田町(いっしんでんちょう)という珍しい地名が有ります。国内唯一の、ここしか無い地名です。この一身田町には、高田山専修寺(せんじゅじ)という浄土真宗高田派の大寺院(本山)があります。

田+一身田+専修寺=(高)良親王再現を生み参らそうと一心(一身)専念(専修)に祈念を込めた崇な母(田)と解読いたします!

三浦芳聖の母「元子」の悲願(№24)でご紹介しましたように、三浦芳聖の母(元子)は、河合家に一子相伝に継承された後醍醐天皇ご自作の観音様(木造一寸五分・お厨子入り)を肌身離さず奉持して

5ヶ年半ひたすら祈念を篭め、一日の狂いもなく、明治37年(1904)9月17日、甲辰年(陰暦8月8日)午前6時、三浦芳聖を出産されました。正に尊良親王ご降誕6百年目の奇跡でした。

三浦芳聖の母「元子」が、観音様に一心専念に祈念を込めたことを昭示する神風串呂が解明されていますのでご紹介します!


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💫串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


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3、久留米市高良と三浦芳聖降誕地との神風串呂

三浦芳聖の母「元子」の悲願を立証する串呂の一つとして、三浦芳聖は、尊良天皇の諺文「高良」(久留米市北野町)と「三浦芳聖降誕地」(岡崎市牧平町大門)とを串線すると下記のような神風串呂になると述べています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第一章

高良(久留米市)-八幡(久留米市)-和気(松山市)-〽竜王山(まんのう町)-応神天皇御陵(羽曳野市)-卍一身田専修寺(津市)-三浦芳聖降誕地(岡崎市)

(同上著・第一章36頁、現住所に改めた。)

【地文のみ掲載】
高良-八幡-和気-〽竜王山-応神天皇御陵-卍一身田専修寺-三浦芳聖降誕地

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)高良(こうら、福・久留米市北野町)

高良は、「たかなが」と読めるので尊良親王(天皇)を表わす地文。

【参照】尊良天皇をあらわす地文
高長(こうちょう、兵庫県姫路市夢前町)
高良(こうら、福岡県久留米市北野町)
高甲良山(たかこうらやま、和歌山県田辺市龍神村龍神、日高川町寒川)

(2)八幡(やはた、福・久留米市田主丸町)

田主丸町八幡
福岡県久留米市田主丸町八幡 (地図マピオン)

応神天皇、その権現・尊良天皇=三浦芳聖が八幡大明神であることを昭示する地文。

三浦芳聖が、大宝天皇の祈念によって、神界からこの世に派遣された五皇一体の八幡大明神であることを昭示する串呂が解明されていますので、後日、ご紹介します。

【中級編】田主丸(たぬしまる)は、田(母)の主(ぬし・あるじ)=母の胎内の主=子供の意味を表わすと解釈できる。(6)一身田専修寺(三浦芳聖の母・元子が観音様を肌身離さず捧持して、一心専念に祈念を篭めたこと)とあわせると、「田主丸町八幡」は五皇一体の八幡大明神「三浦芳聖」のことを表わす地文と解釈できます。

(3)和気(わけ、愛・松山市)

松山市和気町
愛媛県松山市 和気(地図マピオン)

往昔、国体を変革せんとした弓削道鏡の企てを阻止した大忠臣・和気清麻呂公(護王大明神)の和気で、国体護持の護王精神を表します。

三浦芳聖は、天皇に関する串呂では「和気は正真正銘の天皇」を表わす。また、応神天皇の御名が「品陀和気(ほんだわけ)」ですから、之にも通ずることになると述べています。
(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第一章44頁)。

『古事記』では品陀和気、『日本書紀』では誉田別と表記される。

和気(わけ)は、国体護持のため活躍した和気清麻呂に象徴される地文。
弓削(ゆげ)は、臣下にして皇位を伺った弓削道鏡に象徴される無道の者、国体破壊者、権力者が勝手(不当)に擁立した天王を象徴的に表わす地文。天照大御神の御心に反するという意味にも解釈できます。

 和気=国体護持 弓削=国体破壊

(4)竜王山(りゅうおうざん、香・仲多度郡まんのう町宮田)

まんのう町竜王山
香川県仲多度郡まんのう町宮田 竜王山(地図マピオン)

辰年あるいは辰年の天皇をあらわす。三浦芳聖は、「辰年を表わす」と説明しています。

応神天皇(西暦320年庚辰)、尊良天皇(1304年甲辰)、三浦芳聖(1904年甲辰年)は辰年生まれであり、ここでは、辰年の王(天皇)をあらわすと解釈することもできます。竜顔、竜駕など、竜は天子に関係する事物に冠する語であります。

【参考資料】
竜王山(りゅうおうざん)は香川県と徳島県の県境に位置する標高1059.8mの山である。香川のみどり百選に選定されている。別名は鷹山。現在はふもとにある竜神を祭った神社がかつては山頂にはあったことから竜王山と呼ばれるようになったという。

竜王山_(讃岐山脈)- Wikipedia

(5)応神天皇御陵(おうじんてんのうごりょう、大・羽曳野市誉田)

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大阪府羽曳野市誉田 恵我藻伏岡陵

神皇正統第15代応神天皇(誉田別尊・ほむだわけのみこと)の御陵で、恵我藻伏岡陵(えがのもふしのおかのみささぎ)と呼ばれる。 

この串呂上に応神天皇御陵が存在するのは、尊良天皇再現「三浦芳聖」が五皇一体の八幡大明神であることを昭示している。

応神天皇御陵
大阪府羽曳野市誉田 応神天皇御陵(地図マピオン)

【参照】
御胴体埋葬地「金崎神宮」と尊良天皇御陵(御首塚)との神風串呂では尊良天皇と応神天皇の深い結びつきが見られる。
🟣金崎神宮と尊良天皇御陵とを結ぶ神風串呂 (№33)

(6)一身田専修寺(いっしんでんせんじゅじ、三・津市一身田町)

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三重県津市一身田町(地図マピオン)

三重県津市一身田町にある真宗高田派本山の専修寺のことで、ご本尊は、長野の善光寺からお迎えした一光三尊佛。

ここでは、三浦芳聖の母(元子様)が5ヶ年半、観音様を肌身離さず捧持して、一心専念に祈念を篭めたことをあらわす地文。「一身」=「一心」、「田」=「母」、専修=専念。高田は良親王を生み参らそうと一心に祈念を込めた崇な母を表わすと解釈できるので、

田+一身田+専修寺=(高)良親王再現を生み参らそうと一心(一身)専念(専修)に祈念を込めた崇な母(田)と解読いたします!

【参考】一身田は、古代、律令制の土地公有のとき、その人一代を期限として朝廷から租を免除されて賜った田地。いしでん。

(7)三浦芳聖降誕地(みうらよしまさこうたんち、岡崎市牧平町大門)

牧平大門
愛知県岡崎市牧平町大門(地図マピオン)

愛知県岡崎市牧平町大門
ア、大宝天皇蒙塵の地(享徳3年・1454年)
イ、三浦皇統家累代450年間の住居
ウ、三浦芳聖降誕地(明治37年・1904年)

大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。

三浦家の系図によれば、大宝天皇は、享徳3年(1454年)この地に移住し、皇后三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称しました。

牧平町大門は天照大御神が五皇一体の八幡大明神の降誕予定地として指定された「日本天皇蒙塵(もうじん)の地」であり、大宝天皇以降、三浦家累代 450年間の住居であり、三浦芳聖の降誕地であります。

【参照】牧平町大門(愛知県岡崎市)

【参照】三浦芳聖降誕地(牧平大門)を串線する串呂は下記を参照下さい。
🟣正統天皇が天の岩戸篭もりし三浦と名乗った!(№3)
🟣二所の宗廟から牧平大門を鑑る!藤太夫島 と佐久島(№4)
🟣牧平大門と三浦名との神風串呂 (№7)
🟣尊良親王再現・三浦芳聖の神風串呂1(№25)


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4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

高良-八幡-和気-〽竜王山-応神天皇御陵-卍一身田専修寺-三浦芳聖降誕地

🟡高良(尊良親王)
一身田専修寺(一心専念に祈念を込めた母)、高田(崇高な母)
三浦芳聖降誕地(尊良親王再現降誕地)

明治32年(1899年)愛知県岡崎市牧平町大門の三浦家に嫁いだ三浦芳聖の母「元子」は、観音様を肌身離さず捧持して一心専念に祈念を篭め、尊良親王降誕六百年記念日(明治37年9月17日、陰暦8月8日)に、一日の狂いもなく尊良親王の再現三浦芳聖を出産した。

そのひたすら祈念をこめたことが「一身田専修寺」に表れていると言いますと、「一身田専修寺」が建立されたのは、15世紀後半のことであり、三浦芳聖の母(元子)が祈念を込めたのは20世紀のことでありますので、

ここで、どうしてそういう解釈になるのかと頭をかかえてしまいますが、それは3次元の世界に住んでいる我々には高次元世界のタイムラインに関することが理解できないだけだと思います。

三浦芳聖は、大宝天皇の祈念による「神武、応神、後嵯峨、後村上、松良」五皇一体の再現・八幡大明神でありますので、応神天皇に関係する「八幡、和気、竜王山、応神天皇御陵」が串呂しています。

応神天皇は、宇佐八幡宮、石清水八幡宮の祭神であることから、「応神天皇=八幡大明神」と言い得ると思います。

三浦芳聖が大宝天皇の祈念による五皇一体の八幡大明神であることを昭示する串呂が解明されていますので、下記を参照して下さい。

🟣五皇一体の八幡大明神「三浦芳聖」立証の神風串呂(№45)
🟣尊良親王再現・三浦芳聖の神風串呂1(№25)


🔴天照大御神の子育て-御子 三浦芳聖 の教導録 一覧
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💟串呂文庫

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🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№25)
🟢次号(№27)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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串呂哲学研究ノート(鈴木超世志)
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