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💟初田レイライン(串呂)の神秘公開!新串呂解明21-鈴木超世志 入門時の思い出(№408)

🌷鈴木超世志 入門時の思い出

新串呂解明が20本に達したのを記念して、ここでコーヒーブレイクということで、鈴木超世志が三浦芳聖師の門人(御弟子)となった時の思い出をご紹介いたします。

私の母親(鈴木はつ/大正11年・1922年生まれ)が、昭和32年(1957年)三浦芳聖師に「鈴木富美子ふみこ」と改名して頂いた事が機縁で、三浦芳聖師(串呂哲学)のファン(fan・支持者)であったので、私は小学6年の頃から、三浦芳聖師の著書(「串呂哲学第一輯だいいっしゅう 絶対真理の解明」など)を読む機会に恵まれました。

三浦芳聖著『絶対真理の解明 串呂哲学第一輯』 表紙
昭和31年(1956年)大竹書店より販売された
三浦芳聖著『絶対真理の解明 串呂哲学第一輯』より転載

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🌷私が、花の中学一年時の昭和39年(1964年)1月15日のことです。

この日は火曜日でしたが、祝日(成人の日)だったので、私は母親に連れられて、三浦芳聖師の道場兼住宅で挙行された「月次報恩祭つきなみほうおんさい」に参列いたしました。

月次報恩祭とは、三浦皇統家に奉斎ほうさいされている天津神・国津神・皇祖皇宗のご神霊に日頃のご守護・こ教導を感謝する神道式の祭礼で、「門人または準門人」及びその家族でないと参列できませんでした。

🌷三浦芳聖師にお会いしたのは、この日が二度目の事で、小学校入学前後の幼年時(1957年頃)に、愛知県高浜市在住の門人宅(高浜道場支部)に出張・講義中の三浦芳聖師(当時53歳)にお目に掛かって以来、7年ぶりのことでした。

神前で祝詞を唱える三浦芳聖師(昭和46年)

🌷三浦芳聖師が祭主となり、およそ一時間ほど掛けて挙行された月次報恩祭のあとは、三浦芳聖師のご講話となりました。

三浦芳聖師は、初めて道場を訪れた私のために、神風串呂とは如何なるものかを説くために、前方に大地図を吊りかかげ、係の門人に指示棒で話題となっている地名を指示させるなど、中学生の私にもよく分かるように丁寧にご教示くださいました。

その地図は講義用に作られた大地図で、北は福島県南部から南は北九州までの地勢図を貼り合わせ、主要な串呂(線)を墨書ぼくしょし、重要地名を大きく朱書しゅしょしたものでした。
(地勢図=国土地理院発行の20万分の1の地図)

この日の、三浦芳聖師のご講話の主旨は「我が国の南北朝時代以降の皇統正史が地文に秘められている!この地文学(串呂哲学)で、三浦芳聖家が南朝正統家である事を証明できる!」という神秘的かつ驚異的なものでした。

南朝の始祖王・後醍醐天皇(1288年-1339年)

この日のご講話で私は、日本歴史が興味深いドラマに満ちていることに開眼せしめられたばかりでなく、神風串呂という南朝正統家の秘伝により、日本皇統史の真実を解明できることを理解して心底感激いたしました。

三浦芳聖師が、長時間にわたり、中学一年生の私にもよく分かるように熱意を込めて講義して下さったお蔭で、この日、神風串呂の世界に魅せられた私は、帰宅後、母・富美子ふみこから「三浦先生の弟子になりたいか?」と問われた時に、即座に「先生の弟子になりたい!」と答えました。

💟満令で13歳、今世こんぜ立志りっしの瞬間でした!

いま当時を振り返ると、三浦芳聖師の道場へ、私を導いて下さった母の恩愛に感謝するばかりであります。🌷🌈💖😂

たらちねの 母の御教導みおしえ 有難し
 御弟子みでしとなりぬ 十三の春

たらちねの 母のみいのち 我がうちに 
 生きますがごと 今日も記事書く

記事書けば 母のまぼろし 現われて 
 微笑み給う 尊きろかも

たぐいなき 御弟子みでしとならん 恩愛の
 母の御教導みおしえ とうとかりせば

🌷🌈💖🌷🌈💖🌷🌈💖


🔴三浦芳聖師の門人を昭示する地文「御弟子みでし
御弟子集落(みでししゅうらく)は、山梨県南巨摩郡身延町の廃村集落。折八地区に位置する。(「御弟子集落(廃墟検索地図)」)

山梨県南巨摩郡身延町折門(YAHOO!JAPAN地図)
御弟子集落(廃墟検索地図)

🎀御弟子(下部町) (aikis.or.jp)


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