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明治天皇の神風串呂9(矢田の天王と明治天皇御陵)

💟このオンラインブックは、串呂哲学の創始者・三浦芳聖師が解明した「明治天皇の神風串呂」を分かりやすく解説したもので、「明治天皇の神風串呂8(美星町明治と明治天皇御陵)」の続きです!

明治天皇

1、過ちを改めれば日本国再建は必ず出来る!

日本神界(串呂主宰神)は、明治維新以降の日本の歩みを「水蛭子みずひるこ淡島あわしまを生んだ」と厳正な判定を下し、日本帝国はおよそ80年で滅亡してしまいました。

国生み神話で失敗した諾冉なぎなみニ神は、失敗の原因を探求し反省してやり直し国生みに成功しましたが、戦後75年が経過する今日、日本国が未だに米国の保護国状態であるという事は、日本の政権担当者が反省していない証拠であります。これではいつまで経っても日本の再建は出来ません。

国生み神話が語るように、日本を滅亡に導いた原因を探求し、過ちを改めれば国生み・神生みは必ず出来るのです。

では日本を滅亡に導いた間違いとは何だったのでしょうか。

光良親王の王孫・大室寅之祐を擁立して王政復古に成功した明治政府は、明治4年(1871)12月23日、欧米諸国に岩倉使節団を派遣しました。

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2年後、使節団が帰国するや、政府指導者らは国家経営路線をめぐって対立し、明治6年(1873)10月、西郷隆盛(陸軍大将・近衛都督)、板垣退助
(参議)、後藤象二郎(参議・左院議長)、副島種臣(参議・外務卿)、江藤新平(参議、司法卿)らは袂を分かって下野しました。

その対立の底流には、岩倉・大久保・木戸らが、維新が南朝王孫を擁立しての南朝革命であった事実を隠蔽して人民解放戦争の荊冠旗けいかんきを降ろし、北朝系官僚勢力と妥協して欧米列強にならい、近隣諸国を侵略する帝国主義路線を選択した所にありました。(鹿島史学)

これは南朝革命を旗印に天地神明に世直しを誓い、天佑神助を仰いだ神々と国難に身命を挺して英霊となった維新の志士たちに対する裏切り行為であり、これこそが国生みに失敗した原因でありました。

明治新政府は人民解放戦争の荊冠旗を掲げて南朝革命を貫徹し、南朝正統家を世に出し(開鏡維新)、アジア諸国をはじめ欧米列強により虐げられていた世界の人民を解放救済する所まで突き進むべきだったのです。

今回も明治天皇の神風串呂をご紹介して、明治維新以降、我が国の政府が国生みに失敗した原因を探求し、日本国再建の大道を提示して参りますので、最後までご一読下さるようお願いします。

開国前後、日本の統治者としての武士階級は、三つの陣営に分解した。
*西洋サタニスト・イルミナティーに身も心も捧げつくした極悪売国奴。
*西洋は文明に非ず、西洋は野蛮なり。この西洋蛮族の侵略に対して神国日本の國体を死守すべしとした愛国派。
*大多数の時局を傍観し、時代に流されて行く日和見派。

(太田竜著『長州の天皇征伐』296頁・要約/2005年/成甲書房)

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、矢田の天王と明治天皇御陵の神風串呂

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