三浦芳聖伝 45、近松敬次郎氏との出会い(串呂哲学研究ノート№167)
近松敬次郎氏との出会い
1、近松敬次郎氏とは
近松敬次郎(ちかまつ けいじろう)氏は、滝川宗勝著『勅語信仰の体験』の中に、実名で出ている方で、明治15年(1882 年)壬午年生まれ、西山聖地の所有者の一人、加東市滝野町上滝野の闘竜灘のほとりで鮎料理・丸八旅館を経営していた。霊媒能力や霊視能力を有する超能力者。
大津市の出身で日露戦争に砲兵一等兵として出征し、旅順、奉天で奮戦し、目出度く凱旋し、勲章と恩賜金を頂戴し、商売を始めた。
大正8年(1919年)の秋、病気に罹り、医者に掛ったが治癒せず、生駒山の聖天さまで滝行をして病気平癒を祈ったが、なかなか良くならず、「能勢の妙見山へ行け」というお告げを頂いた。
そこで、能勢の妙見山の奥の院で滝行する内に、様々な不思議や出会いがあり、病気は殆ど治り、たまたま加東市社町から来ていた岸本久太郎という方と懇意になり、岸本氏に誘われて社町に行き、そこで生活している間に、加西市青野町の西山聖地に導かれ、西山聖地の所有者の一人となる。
2、西山聖地の管理を任される
芳聖が神勅奉戴改祭復古維新で81軒の祭り替えを完了した後の昭和23年(1948年)4月、萩村上近久の寓居で修行中、後醍醐天皇の御神霊が御降臨になり、
「兵庫県加東郡(現在加東市)滝野町上滝野に近松敬次郎氏という人がいるから会いに行くように」という霊示がありました。
芳聖が往復はがきで連絡すると返事が来たので、門人3名と共に近松敬次郎氏を訪問することになりました。この時、芳聖は数えの45才、近松敬次郎氏は67歳で奥さんと二人でアユ料理旅館を経営しており、子供はありませんでした。
芳聖が、丸八旅館に近松敬次郎氏を訪ねると、近松氏は挨拶もそこそこに神棚に向かっては礼拝されました。その様子は「2拍手し、ハイッ!ハイッ!」と唱えると、後醍醐天皇が近松氏に懸かって「西山へ来い、西山で話がある!」という霊示がありました。
そこで近松氏は、芳聖らと共に加西市青野町の「西山」に行きました。
すると近松氏の霊眼に「西山聖地」を中心に、菊のご紋章の入った紫色の幕が張られ、天照大御神を中心に歴代皇霊が両脇に整列しておられる映像が霊視されました。
近松氏は「この霊地に関与して以来、このような高貴な霊視を見せて頂いたのはこれが初めてだ。一体貴方はどういう方ですか!」と驚かれました。
更に後醍醐天皇から「近松敬次郎!長い間西山を守ってくれてご苦労であった。功績により日敬皇子の称号を与える。以後この西山の事はすべて朕の嫡皇孫である三浦先生にお任せてしてくれ!」という霊示があり、芳聖は、近松氏から、この「西山聖地」の管理を任されることになりました。
3、長慶院法皇の540年祭を厳修
近松氏から「西山聖地」の管理を任された芳聖は、後日、お社を建てて長慶院法皇をお祭りし、定期的に参拝していました。
芳聖が「西山聖地」参拝の為「社町駅」に到着すると、必ず明治帝(睦仁)が、白馬に乗ってお迎えに来られました。
西山聖地参拝の日程について、芳聖は次のように述べていますので、参考のために掲載させて頂きます。
芳聖は、この「西山聖地」で、前日の昭和23年(1958年)11月15日から徹夜祭を厳修し、16日「長慶院法皇540年祭」を厳修しました。
大著にその時の写真が載っていますが、まことに不思議な事にその写真には、傷つかれた長慶院法皇が河野左衛門尉に負われてこの西山に入られた時の御神霊が写っています。
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』280頁-3)
4、播州西山聖地(兵庫県加西市青野町)
播州西山聖地(兵庫県加西市青野町)については、下記を参照ください。
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神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。
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串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
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