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💟扶余王率いる侵略軍!⛰️御正体山と👑行燈山古墳(崇神天皇陵)との神風串呂4-崇神天皇‐扶余王依羅説に挑む8

🎀串呂哲学研究ノート 第434号

💟西暦3世紀末、鮮卑せんぴ慕容廆ぼようかいとの戦争に敗れた高句麗こうくりの騎馬民族・扶余王ふよおう一行が、百済くだらを足場として倭国に侵入し、巧妙な宣撫せんぶ政策、融和ゆうわ政策によってヤマト王権を構築した歴史の一端を、神風串呂によって解明することが出来ました!
 
🔴これは古代史研究に於ける一種の奇跡ではないでしょうか!

🌈💖🌺🎯👑

ご案内

🔴このオンラインブックは「崇神すじん天皇 扶余王依羅説ふよおういりせつ に挑む」シリーズ(8)です!

🌺初めての方は、まず下記の記事をご覧頂くようご案内します。
(1)⛩️大依羅神社を発見!
(2)崇神王権の串呂解明!
(3)青龍レイライン発見!
(4)ヤマト王権の本質を昭示!
(5)青山レイライン発見!
(6)伊王島町を発見!
(7)瑞穂国の滅亡!

1、行燈山あんどんやま古墳は崇神天皇陵で確定!

行燈山古墳(ウィキペディア)では、「行燈山古墳の実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁では第10代崇神天皇の陵に治定じじょうしている。」と記載されています。

🌺これまで行燈山古墳の被葬者ひそうしゃについては諸説あり、上記のように「実際の被葬者は明らかでない」とされていますが、今回解明された下記の神風串呂により、行燈山古墳は、第十代 崇神天皇の御陵であると断定してもよいのではないでしょうか!👑🎯💟🍀🎀

第10代崇神天皇は、豊葦原の瑞穂国を滅ぼし、富士山麓でお祭りしていた瑞穂国の三品の神宝を、天照大御神の遺勅を守らず、三輪山 北西麓(奈良県天理市)の宮城に奉遷したため、神々がお怒りになり、たたりにわれた大王おおきみです。(「神皇紀」)

また「記紀」には初代王と記載されているように、我が国の歴史上、特別な大王おおきみですので、神風串呂が丁寧に明確に構築されています。

これは、ヤマト王権の初代王であることから特別に標本的に詳細な串呂が構築されているのだと思います。

東側の後円部先端から撮影された行燈山古墳(日本・史跡ナビ)

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🟣第426号 崇神天皇‐扶余王依羅説に挑む!-⛩️大依羅神社を発見!
🔴⛩️
皇大神宮内宮からの神風串呂です!

⛩️青龍神社境内社 崇神-🌺大阪市立依羅小学校-⛩️大依羅神社-🎯広陵町的場-⭕崇神天皇陵(行燈山古墳)-⛩️伊勢神宮 内宮

崇神天皇陵(行燈山古墳)と⛩️伊勢神宮 内宮の神風串呂(google.map)

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