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地文学への招待-「上宿」(串呂哲学研究ノート第283号)

💖このオンラインブックは、愛知県豊川市八幡町の「上宿うえじゅく」は、伊勢神宮の大神の叡智えいちに基づく神経綸かみしくみによって、真日本国再建のために用意周到よういしゅうとう、計画的に構築され命名された串呂地文である事を考察し考証した世界で最初の小論文です。

愛知県豊川市八幡町上宿うえじゅく」の地図 ⬇⬇⬇

💫真日本国再建のため、霊戦を開始しよう!

🔴真日本国再建のため、いますぐ霊戦を開始しよう!
私は、朝夕「大祓祝詞おおはらいのりと太祝詞ふとのりと斎鏡斎穂之神勅さいきょうさいすいのしんちょく十言神呪とごとのかじり神名奉誦しんめいほうしょう三種祓詞みくさのはらいことばなど)」を約40分ほど掛けて奏上し、真日本国の再建を熱禱祈願しています!

🔴残念ながら、今のままでは我が国は、異民族の隷属れいぞく国(保護国)に甘んじつつ、ついには亡国への坂道を転げ落ちる道しか残されていないように思えてなりません(満州国がその前例です)。

🔴この亡国の危機にひんしている日本国再建の大道は、わが国の守護神であり指導神霊である伊勢神宮の大神(天照大御神)に中心帰一して、日々惟神かんながらの生活を実践し、日高見国ひだかみのくに・縄文日本国としてよみがえることであると確信しています。

🔴神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、真日本国再建のため皇祖神(天照大御神)によって構築されました。

🔴主権在民の我が日本国です!良きにつけ悪しきにつけ、現在の我が国については、われわれ国民一人一人に責任がありますし、悪政を放置した結果、痛い目にうのも我々一般国民です。真実に目覚め、真日本国再建の為には日々の研鑽けんさん・学習・戦いが必要です!

🔴真日本国再建のため、いますぐ霊戦を開始しよう!

著者 鈴木超世志



💖一次史料があかす正長元年(1428年)の皇統交替(斎藤 忠)

 万世一系ではなかった!? 神武天皇の血流が絶えて、新たな皇統が興っていた!? 現皇室は15世紀第2四半期に始まった!?

正長しょうちょう元年、1428年に神武天皇以来の皇統が絶え、ひそやかな易姓革命が成り、旧11宮家を含む現在の皇統が始まった──

①南北朝が合一されてすでに36年。私たちの〝常識〟として、衰微しつつも皇位の継承は安泰していたかに思われる時期に、まさにこの不可解事は起こったのです。

実は、北朝皇統の内に皇嗣(皇太子等の皇位継承予定者)たり得る皇族が絶えてしまっていたのです。渦中の人・貞成さだふさ王のある年の『看聞日記かんもんにっき』に、こう記されています、

たちまちにして御子孫ごしそん断絶、不思儀の事なり」と。

彼の手記『椿葉記ちんようき』には「我一流の絶えたる跡を興した」とあり、さらに『伏見宮家文書』の一書には、

およそ天照大神以来の一流の御正統、既に以て失墜しっつい(=亡失)す。言語に絶するものなり」と見えます。

万里小路までのこうじ時房の日記『建内記』にも、「後光厳院流御一流、たちまちにして断絶の儀」と見えます。

『応仁記』は応仁の乱を<皇統が絶えた>とする前提の歴史観で、戦国時代の幕開けを叙述しています。

そう、皇統のたねが断絶してしまった、というのです。そのため、天皇家の当主・後小松上皇(院)の猶子(成人の養子)となった貞成王さだふさおうに、神武以来の皇統を継ぐチャンスが巡ってきたのですが、しかしここに大きな問題が・・・

②伏見宮・後崇光院貞成王(1372~1456年)がにわかに親王宣下を受け、後小松院の猶子となって嫡流皇統の家督かとくを継いだのですが、彼の出自については、ずっと暗雲に覆われていました。

一次史料をどう読んでも、彼は北朝の持明院統の血流ではないのです。義子ぎしの関係でしかないのです。

彼の嫡男・彦仁王は登極して後花園天皇となり、次男貞常王の後裔こうえいも含めた旧11宮家共通の祖となるなど、現皇統の祖とされる人物ですが、神武皇統の血流でないとなると、尋常ではない問題が惹起じゃっきします。

明治10年刊行の皇室系譜書『纂輯さんしゅう御系図ごけいず』(元老院刊)は、編述作業の中でそうした状況に困ったようで、貞成王の項目は自家撞着じかどうちゃくの体にあります。そこに書かれる注記「父不詳」を巡って、論争が絶えません。

通釈は生母の父が「不詳」だとして言いつくろっていますが、貞成王の生母についてははっきりしていて、彼女の父が誰かも同様です。明治初頭の多くの学者も「父不詳」を認識し、扱いに困っていたのです。
上記書籍の【内容紹介】より転載


🟢足利氏による皇統簒奪こうとうさんだつ背乗はいのり事件についての必読書!


💫串呂哲学の理解を助ける予備知識

初めての方は、下記の記事を参照してください。


💖「上宿うえじゅく」-地文学への招待 №18

🟡上宿(うえじゅく)について

愛知県豊川市八幡町の上宿は「うえじゅく」と読みます。上宿は国内に数ヶ所しかない数少ない地名です。

豊川市八幡町の上宿うえじゅく以外は「かみじゅく」と読む場合が多い様です。

【地誌地歴】
この豊川市八幡町の「上宿」は、旧住所は宝飯ほい八幡村やわたむら上宿でした。上宿には「⛩上宿神社」(船山第一号古墳)があります。

船山第一号古墳は、愛知県東部(東三河)地方最大規模の古墳で、周辺には三河国府跡、三河国分寺跡、三河国分尼寺跡、⛩三河八幡宮などがあり、豊川市八幡町上宿付近は古代三河の国の中心地でした。

中世(14世紀)に三河吉野朝が存在したことを昭示する、望理郷もうりのさと(豊川市森、小田渕町)や、豊川市御津町の御所、加美、玉袋、剣、都橋、御馬などの地名が近くにあります。

豊川市御津町御所附近(地図マピオン)

🟡この豊川市八幡町の⛩上宿神社では、古来、春秋二季の祭礼時には「奉献天皇神社」の幟旗のぼりばたを立てるしきたりとなっていましたが、まことに残念な事に現在は引き継がれていないようです。😭😭😭😭😭

私が言うまでもなく、このようなしきたりには、後世の人々に伝える深い意味(暗号)が込められており、勝手に廃止していいものでは無いと思いますが、地元の人々は、このしきたりがあったことすら知らないのではないかと思います。

これは、国家民族の興隆・発展のために文化と伝統を大切にするという観点からも、まことに由々しきことで、その底流に我が国を亡国へ追いやるために情報操作している植民地政策が横たわっていることに気が付かねばなりません。

山口保吉著「三河吉野朝の研究」巻頭写真

【参照】
🟢4/25 上宿神社にて - 上宿だより
🟢麻生田町大橋遺跡 土偶A 17:菟上足尼の墳墓か
🟢『三河吉野朝- Wikipedia

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国内「上宿」一覧
現在判明している「上宿」という地名は以下の4ヶ所です。
(1)静岡県熱海市 上宿町(かみじゅくちょう)
(2)岐阜県大垣市墨俣町 上宿(かみじゅく)
(3)愛知県豊川市八幡町 上宿(うえじゅく)
(4)兵庫県丹波篠山市 上宿(かみじゅく)

その他の上宿
東京都板橋区大和町 上宿(かみじゅく)バス停
東京都葛飾区亀有上3丁目 上宿町(かみじゅくちょう)町会名
東京都町田市忠生 上宿(かみじゅく) バス停

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🔴豊川市八幡町⛩上宿神社の春秋二季の祭礼時に「奉献天皇神社」の幟旗を立てるしきたりがあったことから、串呂地文学では

上宿うえじゅく=かみじゅく=神宿=皇陵 と転化します。

三浦皇統家の系図(古記録)には次の様に記されてあったと云います。

「長慶院法皇、応永十六己丑年つちのとうしどし秋、播州ばんしゅうに崩御、寿六十七歳、河野左衛門尉こうのさえもんのじょう播州西山に葬る。後、松良天皇、御父小松天皇と長慶院法皇共に、三州さんしゅう五井ごい一本木いっぽんぎに遺品を納めて陵となす

(三浦芳聖著『日本歴史の誤謬を正す』第8章10頁、1968年)

🟡三州五井一本木=⛩上宿神社=小松天皇と長慶院法皇の御陵

三河吉野朝の研究者、山口保吉 氏の著書には、⛩上宿神社(船山第一号古墳)は長慶天皇の御陵と考証されており、また三浦皇統家の系図には、小松天皇と長慶院法皇の菩提陵であると記録されていたことを考慮しますと、豊川市八幡町の「上宿」は天皇御陵を昭示する串呂地文であると断言しても良いと思います。

豊川市八幡町「⛩上宿神社」=皇陵=小松天皇と長慶院法皇の菩提陵

🟡この説を裏付ける資料として、三河吉野朝の研究者、山口保吉氏の著書の一節をご紹介します。文中の「天皇山」は、⛩上宿神社(船山第一号古墳)のことです。新漢字に改めました。

『愛知県宝飯郡八幡村大字八幡字上宿に俗称天皇山又は船山、小船山あり、其傍そのかたわら久保の地内字社地しゃちと称する所に妃塚ひめづかあり、天皇山を囲繞いにょうして修験宗しゅげんしゅう十三ヶ寺ありしを証する古帳簿を保有す。小船山は智教院、智教北院の両院の守護するところなり。妃塚は供女そばめの奉仕せし陵にして久保地内には南朝の忠臣等の住せし所なり。あんじ奉るに、天皇山は畏くも 長慶院(大宝天皇)の御陵にして、小船山は皇子海門かいもん和尚の御墓なるべく、妃塚は 寛成ひろなり親王(大宝天皇)の妃檜御前局ひのきごぜんのつぼねの御陵と推臆すいおくし奉る。御陵の所在地は三ヶ所共宮地郷みやちごうに属し、八幡宮本記に記載せらるゝ文意に合致す。八幡宮境内には荒御魂あらみたまを拝する(西方)遙拝所ありて明かに其因そのもとを悟ることを得るなり。 

八幡宮本記 拔章
 三州宝飯郡宮地郷形原、小山起建於新宮可斎祭干吾矣

右の文章は密語なり、然共しかれども熟読玩味すれば判明し易し。』
(山口保吉『三河吉野朝の研究』34頁/山口究宗堂/1940年)

(1)天皇山は畏くも 長慶院(大宝天皇)の御陵にして・・・
昭和15年(1940年)に刊行された書物ですので長慶院を大宝天皇と同一視していますが、天皇山(⛩上宿神社・船山第一号古墳)を長慶天皇の御陵と明記しています。

(2)天皇山を囲繞して修験宗十三ヶ寺ありし・・・
船山に御陵を築造した当時の人々が、船山御陵を最高に敬い重要視していたことが分かります。それは、長慶院は三河で降誕した唯一の天皇であるからです。(「青木文献」

🟡さらに山口保吉 氏は『芳花鶴水園の聖地』で船山の意義を説明しています。

「船山は仏説より起因し神代の天の浮橋の義なり。世界をすくふの道は彼岸に達せざるべからず、船なくして聖徳をあまねく弘通する能わず。依て天皇の御功徳おんくどくは仏徳と同ふし釈尊にたとへしを以て。鎮寿ちんじゅし奉り御山を船山と尊称し奉る。」(山口保吉著『芳花鶴水園の聖地』86頁)

(3)船山という名称そのものが、仏教からきている、貴人の陵墓に対する最高の尊称であるということが分かりますね。

【参照】
船入ふないりは、貴人の納棺式のうかんしきのことで、「船・舟=ふな」には「棺おけ」の意味があります。(コトバンク舟入

「船山」には、帰幽したあとも霊界に於て、古代からの運輸手段である船に乗って、ご活躍頂きたいという祈りが込められているのです。

🟡船山=天皇陵または貴人の陵墓
🟠妙覚塚=皇后陵または女性天皇陵

以上の山口保吉 氏の考察・考証の情報源は、羽田野敬雄、小林覚法などの三河地方の先哲・国学者により口承されたものだと思いますが、山口保吉 氏が5万分の1の地図を用いて解明した、船山御陵を中心とする縦横斜めにわたるマイクロ串呂がありますので、その中から3本紹介します。
(山口保吉『三河吉野朝の研究』/山口究宗堂/1940年)

🟢東西線
〽御堂山(豊川市)ー⛩兎頭神社ー⛩船山御陵ー⛩砥鹿神社ー卍長慶寺(豊川市当古町)ー〽吉祥山(豊橋市)
🟢南北線
⛩上賀茂神社(豊川市萩町)ー⛩船山御陵ー望理郷(日落)ー⛩熊野神社-卍長慶寺(豊橋市)ー卍長仙寺(豊橋市賀茂町)
🟢傾斜線
⛩伊勢神宮-⛩廟社神明宮(大塚町)-〽天皇山(相良町)-国府町(豊川市)-⛩船山御陵-〽本宮山(新城市)-〽宇連山(新城市)-〽聖山(山梨県)-卍長慶寺(都留市)

以上の考察から、⛩上宿神社(船山第一号古墳)は、小松天皇と長慶院法皇の御陵であるという三浦皇統家の記録は間違い無いと断言してよいと思います。


🔴日本国再建の為の必読書!神風串呂の集大成!オンライン復刻版!


🟡神増原御陵と船山御陵との神風串呂

三浦芳聖が解明した豊川市八幡町の「上宿」(船山御陵)を串線する串呂の中から「小松天皇御陵と播州西山との神風串呂」(№66)をご紹介します。

地文についての詳細はリンク先の記事をご覧ください。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第四章

長慶院崩御埋葬地(青野🔴町西山)-広野-青野🔴川-青野🔴ダム-小松-神戸-船山御陵-小松天皇神増原御陵

(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』151頁、新住所に改め一部研究成果を盛込んだ)

長慶院崩御埋葬の地・西山、小松天皇と長慶院の船山御陵、小松天皇神増原御陵が一直方向線上に串呂する「青野三串」の実に神秘的な神風串呂です。

長慶院🟡埋葬地-小松🔴天皇長慶院🟡の船山御陵-小松🔴天皇神増原御陵

豊川市八幡町上宿の船山御陵(地図マピオン)

・・・・・

🟡まとめ

下記の串呂図は、地文学への招待-聖岳(第281号)でご紹介した
「⛩皇大神宮内宮と小松天皇御陵との神風串呂」(№63)と、
今回ご紹介した
「小松天皇御陵と播州西山との神風串呂」(№66)が、
小松天皇神増原御陵で交差(リンク)している串呂図です。

⛩皇大神宮内宮小松🟡原町ー小松🟡小松🟡天皇神増原御陵聖岳🔴ー前聖岳🔴

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章

長慶院🟡埋葬地-小松🔴天皇長慶院🟡の船山御陵-小松🔴天皇神増原御陵

*⛩皇大神宮内宮-小松🔴天皇神増原御陵ー聖岳ー前聖岳

この串呂図に、頭の中で、地文学への招待-「鏡」(第282号)でご紹介した下記の串呂図を書き加えてみて下さい。

*三浦(三野瀬)-🟡皇大神宮内宮-🟡廟社神明宮-大塚町天皇山-国府町-小松🔴天皇船山御陵🟡上宿神社)-市川大門町-川浦-日之出-鏡

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第四章

「⛩皇大神宮内宮」と「船山御陵」と「神増原御陵」の三地点で交差(リンク)している三角形の串呂が構築されています。驚異的な神業ですね!!

これを三角論法と言います。
AはBなり、BはCなり、ゆえに、CはAなり。

(1)三浦(三野瀬)-🟡⛩皇大神宮内宮-🔴船山御陵-鏡
(2)🟡⛩皇大神宮内宮-🟢小松天皇神増原御陵ー聖岳
(3)長慶院埋葬地・西山-🔴船山御陵-🟢小松天皇神増原御陵

💖串呂の的確さに驚嘆いたしますね!まことに感激です!

串呂主宰神が、この「⛩上宿神社・船山御陵」その他の串呂地文を構築するのに、どんなに苦心されたかは想像を絶する世界です。とうてい人間の力の及ぶところではありません。まさに神風串呂です。

直観力の優れた方なら、もうこの地文を見ただけで、日本の本質は神国であり、この串呂を構築された天照大御神の存在を認識できると思います。ぜひ、国土地理院発行の20万分の1の地勢図をつなぎ合わせて、実際にご確認いただきたいと思います。

🔴串呂地文学で皇祖神の存在を認識し、皇祖神からのメッセージに触れたなら、いますぐ行動しなければなりません。いま我が日本国は亡国、日本民族は滅亡の危機に瀕ひんしているのです。

💫国家民族を救済する光の霊戦士となりましょう!
🔴日本国再建のため、いますぐ光の霊戦士となって霊戦を開始しましょう!


🟢後醍醐天皇の皇位を継承したのは誰かについて、歴史資料を示し、さらに串呂で証明した串呂哲学の概説書かつ神風串呂の入門書!


附録

✅支援打ち切りから6年7ヶ月、新潟の自主避難者は戻らず (12/17)

🔴特異的に汚染されている福島

「支援打ち切りから6年7ヶ月、新潟の自主避難者は戻らず」より転載
🔴「支援打ち切りから6年7ヶ月、新潟の自主避難者は戻らず」より転載

参考資料
三浦芳聖『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(神風串呂講究所/1970年)
三浦芳聖『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版(串呂哲学研究会)
藤原丸山『南朝正統皇位継承論』(南朝史学会/1988年新版)
藤原石山『三河に於ける長慶天皇伝説考』(南朝史学会/1979年)


💖串呂は、実に神秘的に構築されている神道皇霊学であり、地図上ではありますが、視覚により実際に認識できる明確な世界であることが特徴です。
💝信念や想像の世界ではないと言う事です。


串呂クシロ(かんろ)とは

串呂クシロ(かんろ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだと言われていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

神風クシロ(串呂)は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学び、天照大御神の御霊代みたましろである神宝(御鏡)を、富士山麓に奉遷ほうせんして同床共殿にお祭りすれば、いま危機に瀕ひんしている「日本国」を救済する道を切り開き、天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来ると確信しています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。


🟡串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№282) 
地文学への招待-鏡
🟢次号(№284)
地文学への招待-南小松町

💖地文学への招待一覧(マガジン)

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