⛩皇大神宮内宮を起点とする神風串呂 (№110)
このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂(カミカゼクシロ)について記述したものです。
神風串呂(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神・天照大御神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。
元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれて来ましたが、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。
三浦芳聖師が生涯の精魂を込めて解明した串呂によって、元伊勢クシロとは、皇統正史を我が国の国土に埋め込んだ地文学「神風串呂」であることが判明したのです。
地名(地文)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問(皇霊学)が神風串呂(串呂哲学)です。
ここでは、「皇大神宮内宮と神風串呂について」ご紹介しています。
神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神・天照大御神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
串呂主宰神(天照大御神)が、長期間掛け苦心惨憺の末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになります。
神風串呂(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠の戦国時代(120年以上)に、無辜の民が味わった塗炭の苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。
1、⛩皇大神宮内宮と神風串呂
皇大神宮内宮は、皇祖天照大御神をお祭りするわが国二所の宗廟の一つで、八大串呂起点(超重要基点)のひとつです。
天照大御神様が、神風串呂の主宰神であることは、下記に詳述しました結界(元伊勢クシロ)を構築された御事績や、皇大神宮内宮を起点とした重要な串呂が解明されていることからも明らかです。
天照大御神様は、神風串呂を構築することに依って、神皇正統の天皇が誰であるかを明らかにされ、武力や謀略に依らず平和裏に、天照大御神様の嫡皇孫が高御座に登極されることを望んでおられるのです。
神風串呂は、天照大御神様からの、日本民族への目に見えるメッセージでありますので、皇祖皇宗の天佑神助のもと、日本民族の真価を発揮して世界に貢献する為には、神風串呂を無視あるいは敬遠することは許されないと確信しています。
2、崇神天皇、三種の神器を奉遷
三輪義熈 著『神皇紀』によれば、第10代崇神天皇の御代、「阿祖山太神宮」に納められていた「三品の大御宝」を大和朝廷に奉遷(移動)した事蹟が詳細に語られています。
阿祖山太神宮に伝わる「三品の大宝」を大和朝廷に奉遷後、崇神天皇の御代がどのようであったかは、日本書紀に詳しく出ています。『ウィキペディア』崇神天皇には下記の様に出ています。
以上の資料を総合して考察すると、崇神天皇の御代、富士阿祖山太神宮に納められていた「三品の大御宝」を大和朝廷の皇城に奉遷したところ、疫病が流行して人口の半ばが失われたので、「三品の大御宝」を皇城外に出すことにし、宮中には模造品を作製して納めた。
天照大神は豊鍬入姫命に託して笠縫邑(現在の檜原神社)に祀らせ、大田田根子に大物主神を市磯長尾市に倭大国魂神(大和神社祭神)を祭らせたところ国は治まった。大物主神、倭大国魂神は、阿祖山太神宮大宮司職で、富士王朝の神皇格の神であった。
「記紀」だけでは、崇神天皇の御代になぜ疫病が発生して人口の半ばが失われたのか、なぜ天照大神を笠縫邑にお移ししたのか根本原因が分からない。「記紀」には大和朝廷に都合の悪い事は記録されていないからだ。
崇神天皇の御代に起きた凶事の根本原因は、崇神天皇が富士阿祖山太神宮に納められていた「三品の大御宝」を、天照大神の遺勅を無視し、権力を行使して大和朝廷にお移しした事だと理解する事は、その後の日本史を理解する上で重要であると思う。
3、串呂の構築と元伊勢クシロ
この「クシロ」は串呂(くしろ)であり、当時の人々に串呂と言っても理解させることが難しかったのと、極秘で構築していた為、皇室守護の結界を張るためと言っていたのです。
第11代垂仁天皇の第4皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)が、八咫鏡を奉戴して、大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を巡回する道中で、京都府福知山市大江町の「内宮」(元伊勢神宮)、三重県三重郡菰野町の「御在所山」「田原市日出町・神戸町」などの重要な地文が命名された事蹟が明らかになっている。
また、重要串呂地文である滋賀県高島市の白鬚神社の社記によると垂仁天皇の25年(第11代・2000余年前)、皇女倭姫命が社殿を御創建(御再建とも)されたと伝承されている。
このように、倭姫命の各地巡行は、皇室守護の結界を張るためだけでなく、神風串呂を構築する為だった事は、倭姫命が、近畿地方のみならず、愛知県三河地方を巡回されたことからも明白と思われます。
愛知県岡崎市幸田町高力熊谷の「高力神明宮」の社伝には「垂仁天皇の御世・倭姫命が天照大御神を奉じて三河路巡幸の際、この地で休息された。その跡地に天照大御神を創祀した古社なり」とあります。
また、田原市神戸町の神明社の由来記には神明社の次に「遠江国浜松へ遷幸された」と記されています。天照大神は、倭姫命と共に各地を巡回して、地方の神々に串呂構築への協力を要請されたのだと推察致して居ります。
愛知県田原市 神戸の神明社(ゆるり♪のぼちぼちゆこう〜ꕤ*。゚)
以上の事から、神風串呂には、天照大御神を始めとする日本神界の神々が大きく関与(主宰)していることは明らかでありますし、神風串呂の構築が開始されたのは、今、分かっているだけで、この天照大御神の各地巡行の頃であると言えるかと思います。(およそ2000年も前の事です!)。
4、串呂の淵源「佐久クシロ」
この件については、下記を参照ください。
5、皇大神宮内宮を起点とする神風串呂
内宮の南側の神域である伊勢市宇治今在家町の神路山の神路は、「かむろ」と読むことが出来ます。
神路=かむろ=串呂です。
皇大神宮内宮は、串呂の一大拠点でありますので、串呂を別の言葉で表わした神路山が存在するのであります。
(1)二所の宗廟から牧平大門を鑑る!藤太夫島 と佐久島(№4)
(ア)内宮と牧平大門との神風串呂(№4-1)
(2)皇大神宮内宮から藤太夫島を鑑る! (№5)
(3)皇大神宮内宮から「佐久」を鑑る! (№6)
(4)御鏡は石鏡だった事を昭示する神風串呂(№17)
(5)北陸朝廷の存在を昭示する神風串呂 (№20)
(6)玉置山 伊勢の内宮 串すれば 我が日の本の 元ぞ知らるる(№27)
(7)皇大神宮内宮と応神天皇御陵とを結ぶ神風串呂(№34)
(8)縦横無尽にリンクしている神風串呂の世界(№35)
(9)「内宮」「外宮」「白鬚神社」の神風串呂 (№46)
(10)皇大神宮内宮と興国天皇御陵の神風串呂 (№59)
(11)皇大神宮内宮と船山御陵の神風串呂(№63)
(12)皇大神宮内宮と妙覚塚の神風串呂(№73)
(13)皇大神宮内宮と松良天皇御陵の神風串呂(№91)
(14)皇大神宮内宮と綾子姫命御陵の神風串呂(№96)
(15)武雄神社と皇大神宮内宮との神風串呂(№97)
(16)皇大神宮内宮と萩村寓居の神風串呂(№104)
(17)八尺鏡野と皇大神宮内宮との神風串呂(№111)
(18)運命の赤い糸・三浦芳聖結婚の神風串呂(№137)
(19)内宮と後村上院御陵とを結ぶ神風串呂(№187)
(20)天照と皇大神宮内宮の神風串呂(№223)
「天照」-「⛩松尾大社」-「⛩皇大神宮内宮」
(21)新発見-⛩元伊勢内宮と⛩皇大神宮内宮の神風串呂!(№373)
「豊岡市竹野町」-「久美浜町神谷」-「⛩元伊勢内宮」-「南丹市日吉町」-「⛩上賀茂神社」-「甲賀市信楽町」-「⛩皇大神宮内宮」-「的矢湾」
6、浅野和三郎の天照大御神宇宙神説
7、参考資料
神路山(かみじやま)、島路山(しまじやま)の麓、五十鈴川のほとりに鎮座する皇大神宮は、皇室の御祖神であり日本人の大御祖神である天照大御神をお祀りしています。
今から2000年前、皇位のしるしとして受け継がれる三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)をご神体として伊勢の地にお祀りし、国家の守護神として崇める伊勢信仰は平安末期より全国に広がりがみられました。現在でも全国の神社の本宗として特別に崇敬を集めます。
皇大神宮内宮の画像
『ウィキペディア(Wikipedia)』皇大神宮
8、御在所山の名の由来 文 郷土史家 佐々木
9、神明神社 旧鎮座跡
神明神社 旧鎮座跡【5】記録に残しておきたいメモ書き|福井県 (tukinohikari.jp) より転載
記録に残しておきたいメモ書き
「丹波の国から・・」という伊勢神宮遷宮伝承が残されている・・
穴馬の伝説と民話のコンテンツからの引用です。
↓一番よく伝承がまとめてあると思います。
伊勢三ケ村
九頭龍川の支流伊勢川の谷間にある。「越前国名蹟考」に「上中下三カ村本枝不知」とあり、三村に分かれていた。
上伊勢、中伊勢、下伊勢と通称される。
西の伊勢峠を越えて西の谷(現大野市)に通ずる穴馬道沿いにあり、峠下集落の機能を持っていた。
上流の字大伊勢にある神明社(祭神 天照皇太神)は、伊勢神宮が今の地に移る前に、一時この地にあったと伝え、村人は(皇太神宮)と呼ぶ。
本殿の神体は十一面観音で、室町後期の作であると云う。村は浄土真宗の門徒で、上伊勢、中伊勢、下伊勢に各道場があった。
そのうち下伊勢道場には天文六年(1537)八月付の画像本尊が伝えられた。
下伊勢には天正九年(1581)の教如書状があり、伊勢、下伊勢などの名が見えるが、偽文書との見方も多い。
中伊勢からは、縄文時代中期から後期に属する遺跡が発見され、磨製石斧、石棒、土器などが検出されている。
(伊勢皇太神宮にまつわる伝承)
► 昔、丹波の国からここへお伊勢さんが移って来た。そして全国の人が御参りに来た。当時は三十六社(又は46社)あって栄えていた。その後本社が三重の伊勢に移り、ここに奥の院、八幡様、薬師如来の三社が残った。
その他にも末社があったが、だんだんさびれたので、末社の神様は、お祓い杉の根元に埋めた。百年ほど前は、壊れたご神体を拝むことが出来たが、今はふさがって見えない。
► お伊勢さんには別伝がある。
ヤマトタケルのミコトの時代に、ヤマトヒメノミコトが戦乱を避けて五十年日本中を逃げ歩いていた。その時穴馬の伊勢にも数年滞在した。
► 明治維新までは、三重県の伊勢から二-三十年毎に大太夫がお参りに来た。大太夫は供を七人連れて来て、庄やの岸名(高橋次郎)の家に泊まった。宿にはチリメンの幕をはり、宿からお宮さんに参る道にはバラス敷き(あるいは盛砂をして)両側にアサガラを植えて、シバガキを作った。その道を大太夫は衣冠束帯で参拝、太夫(村にいる神主)達はエボシ姿で案内した。拝殿を昇り、奥の院の前の四角石、これを拝石という。その石の上にコモを敷き、その上に座ってノリトする。
拝石の上には他の人は昇らせない。今でも普通の人が、ここに座るとバチが当たるという。その夜はアワモチをついて、太夫やお供に祝いした。岸名には、今でも大太夫をごちそうした時のお膳がある。
► お宮さんには神様の御用金がいけてある。その場所は、歌で示されている。
「立てば前、座ればうしろ、朝日もさすが、夕陽もさす、白いつつじの下にある。」
どこにあるか夢にでも見たいと村の人が思うがなかなか見つからない。ある人が夢に見て、堀に言ったが何も出なかった。 朝日さし、夕陽さすところとあるから、山の手に違いない。
座れば後ろというのだから、斜面になったところだろう。
► 下伊勢の神田(しんでん)と云う所は、松原で、昔は神社がたくさんあったらしい。和泉式部が、ここに参って乳をしぼった。
その跡が(式部田)と云う田になっている。この田の稲株を煎じて飲むと、女の人の乳が良く出るようになる。
↑以上が穴馬の伝説と民話のコンテンツからの引用でした。
元伊勢伝承が残されている・・
元伊勢の原像(一) -廃村に立つ石碑-からの引用です。
どうやら倭姫命が日雲、坂田宮の後に遷幸されたとする美濃国の「伊久良河宮(いくらかはのみや)」の比定地のようだ。このような山間部に元伊勢伝承が残されているとは思いもよらなかった。
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この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。
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2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
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神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
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串呂哲学研究会 鈴木超世志
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