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静岡県内の南朝皇陵について(串呂哲学研究ノート№264)
💞はじめに
静岡県内に存在する南朝正統(内伝の皇統)の四ヶ所の皇陵についての簡単なご紹介です。
南朝正統(内伝の皇統)とは、延元元年(1336年)比叡山に於て、後醍醐天皇から三種の神器を継承した尊良天皇の流れの北陸朝廷系の皇統の事で、
神風串呂(串呂哲学)の集大成である三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(神風串呂講究所)によれば、この皇統が後醍醐天皇の嫡皇孫(神皇正統)家であります。
尊良天皇や北陸朝廷については、下記の「神皇正統の皇統略系図」および【資料】を参照して下さい。
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【資料】
「太平記(巻17の8)」
「尊良(南朝東山)天皇」
『北陸朝廷 - Wikipedia』
「北陸朝廷について」
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最後までご一読下さり、コメント欄やメールで、ご質問なり、ご批評なりして下されば幸いです。
静岡県民の皆様方の益々のお幸せを祈念いたします。
著者 鈴木超世志
静岡県内の南朝正統(内伝の皇統)の皇陵
(1)小松天皇の神増原御陵
南朝正統第九八代小松天皇(御名興良/おきよし)は、文中2年(1373年)秋葉城の戦いに敗れたあと京都に連行され、武家方による拷問にあい、幽囚の内に、無念の獄死という非業の御最期を遂げました。
小松天皇の御所(行在所)が、磐田市神増原に存在したため、崩御後、静岡県磐田市神増原台上(磐田原)に遺品を納めて御陵が築造されました。
詳細は下記の【資料】小松天皇 (興良・おきよし) を参照下さい。
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💞皇大神宮内宮と磐田市神増原の小松天皇御陵との神風串呂
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三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版より
高御座に登極した事を表わす「聖岳」、行在所のあった「小松(浜北区)」、「小松原町(豊橋市)」で、小松二串 -🟠-🟠- で小松天皇の神増原御陵(神増=神蔵=皇陵)を串線する実証の神風串呂です。
「松長(沼津市)」は、小松天皇の御子で後継者の松良天皇(御名正良)を表わす。藤太夫島は、松良天皇の御子・第百代大宝天皇の後称。「高松町(田原市)」は、尊良天皇と松良天皇を合わせた符号であり、その再現且つ嫡孫である三浦芳聖の符号でもある。
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【資料】小松天皇 (興良・おきよし)
(2)小室門院元子内親王の御陵「妙覚塚」
北陸朝廷(内伝の皇統家)の御所(隠れ城/富士谷御所)は、山梨県富士吉田市の「大明見」周辺、仝県都留市の「玉川」周辺に存在した。(三輪義熈 著「長慶天皇紀略」)
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この富士谷御所は、元中5年(1388年)、足利義満率いる大軍に急襲され壊滅したため、皇族方は、側近の者らと共に、いったん各地へ落ち延び、後日静岡県浜松市天竜区春野町小俣の京丸に集結する約束になっていました。
小室門院元子内親王は、何らかの事情で京丸にたどり着くことができず、側近の者らと共に静岡県牧之原市大寄萩間に落ち延び、言語に絶する艱難辛苦に遭遇し、応永元年(甲戌/1394年)非業の御最期を遂げ、崩御後、静岡県牧之原市大寄部ヶ谷の通称「妙覚塚」に埋葬されました。
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💞小室門院元子内親王御陵の神風串呂
小室門院元子媛命が、実質的に女性天皇であったことを表わす「大神」「鏡池」を通る、皇大神宮内宮と小室門院元子媛命御陵「妙覚塚」との神風串呂です。
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三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版より
愛宕山は皇后を表わす。大己屋山は大物を表わす。小松は小松天皇を表わす。大神は天皇を表わす。鏡池は女性天皇(あるいは天津日嗣の皇后)を表わす。
三河各地を踏査し口碑による民間伝承を収集した藤原石山の著書に、小室門院の事を「南朝正統第九八代長慶院小松天皇(元子内親王)」と記述し、日嗣の御子 天照大神の再現、東海の女王と尊崇されたと考証している。
*「南朝正統皇位継承論」(1988年新版/藤原石山)
*「三河に於ける長慶天皇伝説考」(藤原石山)
御子の正良親王が幼少であったため、夫の興良親王が京都へ連行されたあと、小室門院元子内親王が実権を握っていたと思われる。
【資料】
地文学への招待-「鬼女新田」(第265号)
小室門院元子内親王
天母妙覚の大神 小室門院元子媛命
三浦芳聖伝 46、小室門院の御陵発見
三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第五章
(3)松良天皇皇后綾姫御陵「上臈塚」
およそ応永10年(1403年)頃、静岡県浜松市天竜区春野町小俣の京丸の御所(隠棲地)に危険が迫ったので、京丸に行在していた松良天皇および皇后綾姫らは側近の者らと各地へ落ち延びた。
皇后綾姫(長慶院法皇息女)は、遠州光明寺村(現在の静岡県浜松市天竜区船明)に落ち延び、この地で崩御(ご自害)したため、船明に皇后綾姫の御陵「上臈塚」が存在する。
地元の人々のお世話(奉仕)で、毎年7月24日に祭礼が行われています。詳細は、下記の「綾子姫命(松良天皇皇后)」や「日本伝承大鑑」を参照下さい。
【資料】
綾子姫命(松良天皇皇后)
(4)京丸の皇太后御陵
富士谷御所が壊滅した時に各地に落ち延びていた皇族方は、その後、静岡県浜松市天竜区春野町小俣「京丸」に集結していた。ここで、皇太后が崩御したため京丸に皇太后の御陵が存在する。(三浦芳聖)
京丸に残っていた藤原氏の住居が火事で焼失したため詳細は不明であるが、小室門院元子内親王の御母、藤原茂子(花山院大納言師賢の女)ではないかと思われる。(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』)
【資料】三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第六章
参考資料
三浦芳聖『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(神風串呂講究所/1970年)
三浦芳聖『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版(串呂哲学研究会)
藤原丸山『南朝正統皇位継承論』(南朝史学会/1966年)
藤原石山『三河に於ける長慶天皇伝説考』(南朝史学会/1979年)
🔴神風串呂の集大成、三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』は、国立国会図書館、豊川市立図書館、京都府立資料館、京都大学文学研究科図書館、九州大学附属図書館にありますので、誰でも読むことが可能です。
串呂(かんろ)とは
串呂(かんろ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。
元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだと言われていますが、その結界とは、神風串呂(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。
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神風クシロ(串呂)は、地文(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学で、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。
地名(地文)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。
神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺の末に構築された神風串呂に学び、天照大御神の御霊代である神宝(御鏡)を、富士山麓に奉遷して同床共殿にお祭りすれば、いま危機に瀕している「日本国」を救済する道を切り開き、天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来ると確信しています。
神風串呂(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜の民が味わった塗炭の苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。
串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)
情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。
🟡前号(№263)
天母妙覚の大神 小室門院元子媛命
🟢次号(№265)
地文学への招待-「鬼女新田」
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串呂哲学研究会 鈴木超世志
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