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綾姫御陵(上臈塚)発見譚(徹底的に日本歴史の誤謬を糺す復刻版 №16)串哲255号

💞日本国救済の大道

🟡神風クシロ(串呂)は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章

🟡残念ながら、今のままでは我が国は、異民族の隷属れいぞく国(保護国)に甘んじつつ、ついには亡国への坂道を転げ落ちる道しか残されていないように思えてなりません(満州国がその前例です)。

🟡この危機にひんしている日本国救済の大道は、わが国の守護神であり指導神霊である伊勢神宮の大神(天照大御神)に中心帰一して、日高見国・縄文日本の民としてよみがえることであると確信しています。


🟠寛成親王息女綾姫、遠州光明寺村落つ

長慶院法皇(寛成親王)王女「綾子姫」に関する記録が「青木文献」に

寛成親王ひろなりしんのう  息女綾姫そくじょあやひめ  宮路左太夫みやじさだゆう  ともに  遠州えんしゅう 光明寺村落こうみょうじむらおつ

と記載されていたことをヒントに昭和2年(1927年)9月、三浦芳聖が現地調査したところ、静岡県浜松市天竜区船明ふなぎらに「上臈塚じょうろうづか」を発見。

帰宅後、串呂で研究した結果、三浦家の系図に記載されていた松良まつなが天皇の皇后「綾子姫」の御陵であることが判明しました。

浜松市天龍区船明「上臈塚」(日本伝承大鑑)

綾子姫の最期(ご自害)の状況は、「日本伝承大鑑・上臈塚」に記載されていますので、一部転載させて頂きます。

南北朝時代も終わりの頃。皇室祈願所となっていた光明寺に、身なりの良い若い女性とその供侍が訪れ、しばらくこの寺に参籠さんろうしたいという。寺の者は、それなりの身分相応の者であろうとうかがい、それに応じることにした。

何日間かは何事もなく過ぎたが、ある日、一人の武者が光明寺にやって来て、若い姫とその供侍の二名が立ち寄っていないか尋ねてきた。そしてそれらしき者が参籠したことを聞くと、急ぎ戻っていったのである。

翌日、大勢の武士が光明寺に押し掛けてくると、姫と供侍が参籠していたお堂に押し入った。しかし既に二人はその場を退去しており、寺の者への感謝をしたためた書き置きが残されているばかりであった。

それから数日後、光明寺からほど近い船明にある薬師堂で、姫は自害して果てていた。もはや逃げおおせぬと観念したのであろう。憐れに思った村人は墓を築き、一人残された供侍はその墓を守るように七日の間いたが、やがて同じように自害したのであった。村人はこの侍のためにも墓を築いてやったという。

結局、この逃げてきた主従が何者であったかは分からずじまいであったが、村人はおそらく追ってきた武士は北朝の手の者であり、姫は南朝の身分ある者の子女ではなかろうかと推察した。そしていつしか、この姫は長慶天皇の第一皇女・綾姫とされ、言い伝えられることとなったのである。この姫の墓とされるのが上臈塚である。なお供侍の墓も“下賤塚”と呼ばれてあったが、既に取り壊されて現存していないという。

崩御ほうぎょ後、およそ500年は経過していたと思われます。もし、「青木文献」が無かったら、発見は大幅に遅れた事でしょう。これは一種の奇跡です。

🟡この劇的な「上臈塚」発見譚はっけんたんが、三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 №16「第六章 松良まつなが天皇顕彰の神風串呂(第2分冊)」に記載されています。

この三浦芳聖による「綾子姫の御陵(上臈塚じょうろうづか)」発見譚は、是非とも読んで頂きたい記事のひとつです。

浜松市天龍区船明「上臈塚」(地図マピオン)


🟢第六章 松良まつなが天皇顕彰の神風串呂(全2分冊)

🟢内容の一部を紹介します。
🟡全10節(串呂図31、写真7葉)
🟡降誕地「都留つる法能ほうのう」の神風串呂
🟡長慶院ちょうけいいん法皇ほうおうの最期
🟡皇大神宮内宮こうたいじんぐうないくうと天地の神風串呂
🟡亀山市加太かぶと神武じんむ」の神風串呂
🟡木曽岬町「松永まつなが」の神風串呂
🟡玉置山たまきやま玉置たまき神社の神風串呂
🟡皇后綾子姫あやこひめの御陵(上臈塚じょうろうづか)の神風串呂
🟡松良天皇の神霊写真、など


串呂クシロ(かんろ)とは

串呂クシロ(かんろ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだと言われていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

神風クシロ(串呂)は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学び、天照大御神の御霊代みたましろである神宝(御鏡)を、富士山麓に奉遷ほうせんして同床共殿にお祭りすれば、いま危機にひんしている「日本国」を救済する道を切り開き、天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来ると確信しています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。

🟡前号(№254)  🟢次号(№256)

串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)

情報拡散のお願い

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)

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串呂哲学研究会 鈴木登志正
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