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大君とありし日の三浦芳聖家との神風串呂(№221)

これは、神皇正統家極秘伝 神風串呂(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

ここでは、京都府舞鶴市の大君ありし日の三浦芳聖家の神風串呂をご紹介しています。

神皇正統嫡皇孫「三浦芳聖」が解明した串呂哲学(神風串呂)の分かりやすい解説書です!

神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

1、小笠原孝次氏が予言し渇仰した救世主天皇

平成28年(2016)、日本神道界、日本言霊学の最高峰を極めたと言われる、小笠原孝次氏の著書が弟子の七沢賢治氏の監修で新装版となって出版され、言霊学の普及が推進されつつあるのは喜ばしいことだと思う。

小笠原孝次氏といえば、『世界維新への進発』(第三文明会/1975年)、『日本皇室は存続し得るか(神倭皇朝の没落)』(皇学研究所/1960年)を読んだ記憶がある。

後者の『日本皇室は存続し得るか(神倭皇朝の没落)』は、皇学研究所から昭和35年(1960年)発行された手書きガリ刷り25頁の小冊子で、書名副題の如く、神武天皇を初代とする神倭カムヤマト皇朝は、昭和21年(1946年)元旦の昭和天皇の神性放棄宣言の結果消滅した事を論証し宣言した稀有の書である。

上記の著書は活字にもなって居らず埋もれたままだが、私はこの著作こそ小笠原孝次氏の最も重要な論文だと確信している。その理由は、この著書の結論部分を読めばすぐに理解される。下記に引用しよう。

繰返して言う。「弥陀五劫思惟の本願をつらつら按ずればひとへに親鸞一人がためなりけり」、親鸞が云う弥陀の本願の実体は我が皇祖皇宗の神の御経綸であると自分は思う。自分はこの道を行く。やがて間もなく自分の他に、自分と同じ様に、皇祖皇宗の神の恩寵をしかも最高に受け、その責任をしかも完全に遂行する一人が現われる。その人こそ自分が渇仰かつぎょうする日本の皇統を正しく継承する救世主天皇、皇孫命すめみまのみことである。
 〔同上著25頁、現代仮名遣いに改め、読み仮名を補った。〕

上記のように、小笠原孝次氏が出現を予言し渇仰かつぎょうした「皇祖皇宗の神の恩寵を最高に受け、その責任を完全に遂行し、日本の皇統を正しく継承する救世主天皇、皇孫命すめみまのみこと」こそ、三浦芳聖であった。

私は、この両者が霊界で出会い、日本の行く末を案じておられるのを直観し恐懼きょうくに堪えない思いがする。

今回は、小笠原孝次氏の予言を証明するが如き、舞鶴市の大君と三浦芳聖の晩年の住所とを結ぶ神秘的な神風串呂をご紹介します。

最後までご一読ください。


2、小笠原孝次先生の全体像。その三つの段階。その正統な発展的継承者が存在しない理由。(太田龍の時事寸評  第2490回)

公開日時:2008年07月21日 23時07分
更新日時:2008年07月22日 01時22分

平成二十年(二〇〇八年)七月二十一日(月)(第二千四百九十回)

◯小笠原孝次(一九〇三年=明治三十六年~一九八二年=昭和五十七年)先生。
◯小笠原孝次先生は、日本神道界、日本言霊学(ことたまのみち)の最高峰を極めたひとである。
◯筆者は、小笠原先生の最晩年、ご逝去の二年ほど前に、二度、お会いして直接、教えて頂いたことがある。

◯小笠原孝次先生の本質を以下の如く要約する。
(1)主観的シャーマニズム時代。
「シャマニズム」については、小笠原孝次著「言霊開眼」
(昭和五十五年刊)、六十三頁以下「シャマニズム」の項参照。
(2)敗戦直後。
昭和二十一年元旦の昭和天皇の神性放棄宣言の結果、神武天皇を初代とするカムヤマト皇朝は消滅したとの境地に到達するまでの(敗戦後二十数年)時代。
(3)言霊学(ことたまのみち)研鑽の時代。
その最高の発展段階は著者最後の著作「言霊開眼」
(昭和五十五年=一九八〇年)に公開されて居る。

◯以上、三つの発展の段階を経た。
◯小笠原孝次先生が逝去されたあと、その系統の継承者は存在しない。
◯それは何故か。
◯第2の段階が問題である。 
◯日本人、とりわけ、いはゆる保守派日本人、日本の神道界関係者は、敗戦後もずっと、
◯明確に、昭和二十一年元旦を以て、神武天皇を初代とする「カムヤマト皇朝」は、自滅した。
それは消滅した。
それは断絶した。
天皇は、存在しない。
天皇と自称するものはニセモノである。

◯と、確信を以て明言することが出来ない。
◯ここに問題がある。
◯小笠原先生は、敗戦後二十五年間の思想的苦闘を通じて、昭和三十五年前後、その境地に到達された。
◯この第2段階をあいまいにし、それをなかったことにして、
◯第3段階に進もうとしても、それはダメだ。
◯小笠原説によれば、そもそも、日本の真実、日本の真面目は、高天原(たかあまのはら)時代である。
◯神武天皇に始まる皇統(カムヤマトイワレヒコに始まる皇朝)、これはニセモノの日本であるに過ぎない、とされる。
◯このことを明言しない者は、小笠原孝次先生の弟子、などではあり得ない。
◯「世界維新への進発」(昭和五十年刊)
◯これは、昭和三十年代から昭和四十年代に至る、十数年に亘る小笠原先生の機関誌上の論説を集大成した、これは、今、どうやっても入手出来ないきはめて貴重な宝物である。
◯いやしくも小笠原孝次先生の思想に近付こうとするものにとって必読の書である。
◯我々は、そのコピー本を希望者、研究者に配布している(一冊四千円)。
◯ところが、あるひとは「四千円」では予想を絶するほど高い、と言って、注文を取り止める、と言う。
◯小笠原先生は、今の日本人のすべてにとって、価値はゼロであるだろう。
◯否、ゼロどころかマイナス無限大であるかも知れない。
◯筆者は、この状況が腐朽して腐臭を放つ現代日本では或る意味では歴史的必然であることを良く、理解して居る。
◯筆者は、時機が来たら、「小笠原孝次先生著作全集」の編纂出版の企画を公表して日本民族有志の協力を呼びかけたいと念じて居るが、
◯その時機はもう少し先と成るようである。
(了)

【参照】太田龍の時事寸評  第2490回「小笠原孝次先生の全体像。その三つの段階。その正統な発展的継承者が存在しない理由。



3、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

串呂があるから正統ではない。神皇正統ゆえ串呂が構築されているのです。


4、大君と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂

三浦芳聖は、大君(舞鶴市)と、ありし日の三浦芳聖家(豊川市)とを串呂すると下記のようになると述べています。

大君(舞鶴市)と、ありし日の三浦芳聖家の神風串呂(google.map)
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大君(舞鶴市)と、ありし日の三浦芳聖家の神風串呂

和田(豊岡市)-神谷(京丹後市)-大呂( 京丹後市)-大君(舞鶴市)-伊久智神社神谷家(東浦町)-ありし日の三浦芳聖家神ヶ谷町(浜松市)

(三浦芳聖『開鏡の神風串呂』19頁/1960年5月/現在の住所に改めた)

地文のみ掲載します。
和田-神谷-大呂-大君-⛩伊久智神社・神谷家-三浦芳聖晩年の住所-神ヶ谷町

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)和田(わだ、兵庫県豊岡市竹野町)
和田は松良天皇の串呂上の符号。松良天皇の御父・小松天皇(興良)の符号は大和田。

ここでは三浦芳聖が、神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の再現・八幡大明神である事から、和田=松良天皇=三浦芳聖と解釈します。

【参照】天王(新見市)-和田(豊岡市竹野町)-三浦(石川県白山市)

和田・竹野町
兵庫県豊岡市竹野町(地図マピオン)

【参照】山崎町御名と木曽岬町松永の神風串呂(№84)
和田和田-天王-和田北-多賀-御名-松永-京丸
松良天皇の符号が和田であることを昭示する神風串呂です。

【参照】⛩多賀大社と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂 (№29)
和田野-卍正善寺-和田-阿弥陀山-⛩多賀大社-松永-天皇-⛩上地八幡宮-卍願成寺-松良天皇御陵・三浦家墓地-三浦芳聖晩年の住所-和田辻和田地区

【参照】和田について

(2)神谷(かんだに、京都府京丹後市久美浜町)
神が住んでいる谷(所)を意味する地名。門人神谷家、神ケ谷町とで神谷三串(-〇-〇-〇-)の絶対確証の神風串呂を構成している。

神(かみ)には多くの意味がありますが神風串呂は皇統正史ですので、ここでは「偉大な存在である天皇をたたえていう語。天皇の尊称」と解釈します。

例、現人神(あらひとがみ)、大君は神にしませば赤駒の腹ばふ田居を都となしつ〈万・四二六〇〉

【参照】京丹後市久美浜町神谷

神谷・久美浜町
京都府京丹後市久美浜町(地図マピオン)

(3)大呂(おおろ、京都府京丹後市峰山町鱒留大路)
大呂は、大きな串呂(重要な串呂・天皇の串呂)を表わす地文。

現在は大路(おおろ)となっていますが、大呂は大路の旧地名で、古い地図には「大呂」という地名が印刷されていた。

現在、行政では大路を使用しているが、大呂も通用している。
大路=大呂。
「大呂鉱山」が有名だった。

【参照】小松天皇御陵と香取との神風串呂(№64)
大呂-行永-甘呂町-香取-桶狭間古戦場-小松天皇御陵

大路・峰山町鱒留
京都府京丹後市峰山町鱒留大路(地図マピオン)

(4)大君(おおきみ、京・舞鶴市)国内三ヶ所の地名。
日本における天皇、皇子、皇女に対する尊称。

串呂では主として天皇を表わす地文です。大君=大王(おおきみ)=天皇。古代の天皇に対する敬称「おおきみ」のことで、天皇を表わす。

舞鶴市大君
京都市舞鶴市(地図マピオン)

【参照】元伊勢内宮と金崎神宮との神風串呂(№21)
上村上-天王-三浦-⛩元伊勢内宮-大君-⛩金崎神宮

【参照】坂出市天皇と坂井市正善との神風串呂(№50
我拝師山-八幡-天皇-甲生-大門-諏訪-日月の滝-竜ヶ岳-天照-大君-成生-国見岳-八幡-卍善正寺-正善-八幡-和気町-雨晴

【参照】舞鶴市大君と浜松市京丸の神風串呂(№89)
正法寺-大君-世継-明徳-一色-産場-京丸-正島-無双連山

この他、国内には、下記の大君が有ります。
🟡広島県江田島市大柿町大君
🟡福岡県遠賀郡芦屋町大字山鹿字大君

【参照】竜巻現場を基点とした神風串呂2(№49)
大君(江田島市)-三浦-⛩湊川神社-小松-小松-小松

(5)伊久智神社・神谷家(いくち神社、愛知県知多郡東浦町生路)
⛩伊久智神社と三浦芳聖の門人・神谷氏の住所がこの串呂線上の東浦町生路にあった。神谷、神ケ谷町とで神谷三串(-〇-〇-〇-)の絶対確証の神風串呂を構成している。

このように三浦芳聖の門人の住所や氏名が串呂の解明を促進する標本となるケースは多々あった。

東浦町生路森腰には三浦佐姫を木花之開耶姫命として祀る⛩伊智神社、神后庵があり、この伊久智神社近辺に三浦芳聖の門人が数名住んでいた。

伊久智神社
愛知県知多郡東浦町生路(地図マピオン)

【参照】三浦佐久姫(大宝天皇皇后)の神風串呂

伊久地神社
伊久智神社(愛知県知多郡東浦町森腰)

(6)ありし日の三浦芳聖家(愛知県豊川市諏訪二丁目)
三浦芳聖は、昭和25年(1950)8月13日より昭和46年(1971)3月30日に帰幽するまでの約20年半、豊川市市田町諏訪林37番地(豊川市諏訪2丁目)に居住し、神風串呂講究所を開設して、神風串呂を解明し公表した。三浦芳聖終焉の地でもある。

【参照】ありし日の三浦芳聖家の神風串呂

三浦家
愛知県豊川市諏訪二丁目(地図マピオン)

(7)神ケ谷町(かみがやちょう、静岡県浜松市西区)
神が住んでいる谷(所)。詳細は(1)神谷をご覧下さい。神谷、門人神谷家とで神谷三串(-〇-〇-〇-)の絶対確証の神風串呂を構成している。

神ヶ谷・浜松市
静岡県浜松市西区(地図マピオン)

✨この神ヶ谷町にある佐鳴湖(さなるこ)を撮影し、Facebookに投稿している風景写真家の平山さん(串呂哲学研究Gメンバー)によると、

💫神ヶ谷町に多い井嶋姓は、南朝皇子・宗良親王の子孫・井伊松千代の後裔である。(宗良親王と南朝に味方した井伊道政の女・重子の子孫)
💫伊松千代は、井伊家の再興を目指したが叶わず、神ヶ谷町に土着し、名を嶋五郎兵衛忠道と改め家紋は井伊家と同じ橘紋とした。
💫神ヶ谷町にある卍天龍山洞雲寺は井伊家ゆかりの寺院である。

詳細は、天龍山洞雲寺のHP(洞雲寺紹介)をご覧下さい。

✅浜松市在住の平山さんの情報提供により浜松市西区神ヶ谷町は南朝遺臣にゆかりの深い町であることが判明しました。
✅伊久智神社のある東浦町は、三浦佐久姫の臣下・三浦一族ゆかりの町であり、三浦芳聖の門人数名が住んでいた町です。
✅神風串呂の世界は奥が深く、研究を進めれば更に神秘的な事項が解明されると思います。神風串呂講究所の再興を願わずにはおられません。

5、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

和田-神谷-大呂-大君-三浦久姫奉斎 久智神社・神谷家-ありし日の三浦芳聖家-神ヶ谷町・井家子孫井嶋家・卍天龍山洞雲寺・鳴湖

愛知県豊川市諏訪2丁目の三浦芳聖晩年の住所は大君(天皇)の住居であった。三浦佐久姫を祀る⛩伊久智神社は、この神風串呂の守護神である。この串呂線上の知多郡東浦町と浜松市西区神ヶ谷町は南朝ゆかりの寺社が有り、南朝遺臣が住んでいる南朝ゆかりの町である。

小笠原孝次氏が出現を予言した「皇祖皇宗の神の恩寵を最高に受け、その責任を完全に遂行し、日本の皇統を正しく継承する救世主天皇、皇孫命」は、三浦芳聖である事を昭示する神風串呂を7本だけご紹介します。

(1)皇大神宮内宮とありし日の三浦芳聖家との串呂(№27)
玉置山玉置神社-皇大神宮内宮ありし日の三浦芳聖家天地-瑞竜

(2)石清水八幡宮とありし日の三浦芳聖家との神風串呂(№28)
国府町地区-的場-天王加賀美-大門-石清水八幡宮-国府町・天王山-玉垣町-国府町-ありし日の三浦芳聖家

(3)多賀大社とありし日の三浦芳聖家との神風串呂 (№29)
和田野-卍正善寺-和田-阿弥陀山-多賀大社-松永-天皇-⛩上地八幡宮-卍願成寺-松良天皇御陵・三浦家墓地ありし日の三浦芳聖家-和田辻-和田地区

(4)御在所山とありし日の三浦芳聖家との神風串呂 (№30)
倭文神社-御冠山-由良-御在所山ありし日の三浦芳聖家

(5)御正体山とありし日の三浦芳聖家との神風串呂(№31)
大和名-神生-大和地区-八王子市-御正体山天子ヶ岳-勘行峰-京丸-新開-大和地区-ありし日の三浦芳聖家-新田-高甲良山

(6)八尺鏡野とありし日の三浦芳聖家との神風串呂(№32)
八尺鏡野石鏡町ありし日の三浦芳聖家古真立-両神山-天神-如来堂バス停-天神町-明神-大平山

(7)五皇一体の八幡大明神「三浦芳聖」立証の神風串呂(№45)
大明神岬-大宮-三重-由良-白鬚神社-伊勢八幡宮-尾張八幡宮-神宿・戸田家-卍萬松山大通寺薬師堂-三河八幡宮-天王ありし日の三浦芳聖家三浦湾

【参照】詳細は「ありし日の三浦芳聖家の神風串呂」をご覧下さい。


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🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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