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伝法と萩村寓居との神風串呂(串呂哲学研究ノート№163)
これは、神皇正統家極秘伝 神風串呂(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。
ここでは、伝法(静岡県富士市)と三浦芳聖の萩村寓居(愛知県豊川市萩町上近久)との神風串呂をご紹介しています。
神皇正統嫡皇孫「三浦芳聖」が解明した串呂哲学(神風串呂)の分かりやすい解説書で、串呂哲学研究会「鈴木」が、半世紀以上にわたって研究してきた成果を公開しています!
神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
伝法と萩村寓居との神風串呂
1、伝法とは
静岡県富士市の伝法(でんぼう)は、神界から秘法や霊示が伝授されることを表わす地名です。おそらく国内二ヶ所のユニークな地名です。
今回は、戦後の約5年間、愛知県宝飯郡音羽町萩村上近久5-2の寓居に於て修行中の三浦芳聖に、神界より様々な霊示・伝法があったことを昭示する神風串呂をご紹介します。
2、串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。
3、伝法と萩村寓居との神風串呂
三浦芳聖は、伝法(静岡県富士市)と三浦芳聖の萩村寓居(愛知県豊川市萩町上近久5-2)とを串線すると、次の神風串呂になると述べています。
![伝法](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/32670322/picture_pc_d12d1928ff85c70f114794f7316d02a1.jpg?width=1200)
「神武天皇畝傍御陵」(奈良県橿原市)-「三浦芳聖の萩村寓居」(愛知県豊川市萩町上近久)-「無双連山」(静岡県島田市)-「伝法」(静岡県富士市)
(三浦芳聖著『神風串呂』第141号4頁/1967年8月、現住所に改めました。)
【地文のみ掲載】
「神武天皇畝傍御陵」-「三浦芳聖の萩村寓居」-「無双連山」-「伝法」
【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)神武天皇畝傍御陵(神武天皇うねび御陵、奈・橿原市大久保町)
![神武畝傍御陵](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/32674659/picture_pc_c57b2b962a37697a440064dde9c1327d.jpg?width=1200)
神武天皇御陵は、明治時代に串呂主宰神の計画通り現在地に制定されました。神武天皇は、この串呂の守護神であると同時に、伝法(霊示)が、皇祖皇宗の御神霊からのお導きである事を昭示しています。
![畝傍御陵](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/32672638/picture_pc_dcf064a1c9cdeb0dc4770ac43565ab58.png?width=1200)
(2)三浦芳聖の萩村寓居(愛知県豊川市萩町上近久)
昭和20年(1945年)1月3日の名古屋空襲により焼け出され着のみ着のままとなった三浦芳聖は、妻子を伴い、2月4日、愛知県宝飯郡音羽町萩村上近久5-2のトタン葺きの番小屋(元温室・8畳一間)に疎開移住しました。
当時は、四周山で囲まれた僻村で、裏に山陰川(加茂川)が流れていて、芳聖が修行と祭祀をする為に作られているようでした。下記を参照下さい。
私「三浦芳聖」は、此の「松良天皇」御隠棲地跡に偶然建てられたトタン葺の小屋に、昭和二十年一月より昭和二十五年八月十三日迄五ヶ年半余り家族と共に隠棲し、此処で全身全霊を傾け修行し、且つ此の串呂上の兵庫県多可郡加美町岩座神の「日月の滝」に此の五ヶ年半に三十六回参籠禊祓(一回が平均五日間)を致しました。之皆「玉依姫命」の御導きでありました。
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』248頁)
現在は、平成15年に介護施設が出来、回りの風景が一変してしまいました。
![画像3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/32671106/picture_pc_6b6376efea30ff78e257d175323857f7.png?width=1200)
(3)無双連山(むそうれんざん、静岡県島田市)国内唯一の地名。
無双=二つとないこと。並ぶものがないほど優れていること。連山は、その数が多いことを表わします。
静岡県榛原郡川根本町文沢と島田市の境界に存在している。
ここでは、神界伝法の霊示が「並ぶものがないほど優れていて、数が多かったこと」を表わします。
![無双連山](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/32671378/picture_pc_41ea89b50873025b123078c8e7042ec9.png?width=1200)
(4)伝法(でんぼう、静岡県富士市)
仏教で師から弟子へと仏の教えを伝えることを表わします。ここでは、神界から「秘法」や「霊示」が伝授されたことを表わします。
![伝法](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/32718382/picture_pc_f1979a5d2270c5554ef6aba160a233c8.png?width=1200)
実際、三浦芳聖は、この串呂線上の「萩村上近久」の寓居で修行中、皇祖大神をはじめとする神々から数々の霊示による御導きがありました。
特に、下記の神風串呂があるせいか、後醍醐天皇が毎日のように御降臨になられて、色々なことを教えて下さったそうであります。
「吉野神宮」(奈良県吉野郡吉野町吉野山)-「萩村寓居」(愛知県豊川市萩町上近久)-「高天原」(茨城県鹿嶋市)
例えば、興国天皇(守永)が、延元3年(1338年)女官の藤原茂子と共に逃走中、岐阜県飛騨市神岡町森茂(もりも)に潜伏していた事を知らされたのもその一つです。
![森茂](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/32772146/picture_pc_9cf8d6432e3c627c3931448d3e7fdd08.png?width=1200)
延元3年(1338年)閏7月、新田義貞が戦死した後、興国天皇は、女官の藤原茂子と共に越中の神保安芸守の守山城に入り、守山城陥落後は、岐阜県飛騨市神岡町の森茂(もりも)に潜伏していた。
神界伝法の霊示の中で特筆大書すべきものが「姓名数理学」の伝法でした。
昭和20年(1945年)12月のある日、祭祀中の芳聖の霊眼に次々と文書が見えたので、重要な霊示だろうと思い、8日間にわたってノートに筆記した所、「姓名数理学」の伝授でした。
その姓名数理学に基づき、芳聖が、様々な日本人の姓名鑑定をした所、その的中率の高さに驚き、その情報に接した人々に請われて、昭和30年8月に出版したのが『神界伝法ー姓名鑑定秘法』でした。
【参照】大阪府大阪市此花区にも伝法という地名があります。
4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察
「神武天皇畝傍御陵」-「三浦芳聖の萩村寓居」-「無双連山」-「伝法」
戦後の昭和20年(1945年)10月下旬から昭和25年(1950年)8月12日までの間、愛知県宝飯郡音羽町萩村上近久5-2の寓居に於て修行中の三浦芳聖に、神界より様々な霊示・伝法があったことを昭示する神風串呂です。
就中、特筆大書すべきは、昭和20年(1945年)12月の姓名数理学の伝法でした。その姓名数理学は、昭和30年(1955年)8月に『神界伝法ー姓名鑑定秘法』として出版されました。
この書物が機縁となって、多くの人々が芳聖による改名・命名で祝福されたばかりでなく、芳聖に師事する門人もありました。
【参照】三浦芳聖伝 41、スメラミコトの復活(№162)「2、神界伝法の姓名数理学」
串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)
情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖の伝記及び三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
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串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)
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