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大宝天皇の御製を昭示する神風串呂 2(串呂哲学研究ノート№10)

このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。
 
神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。 
 
ここでは、三浦家の系図に記録されていたという、神皇正統第百代 大宝天皇の御製を表わす歌垣山うたがきやまを通る)神風串呂をご紹介し、詳しい解説をしています。

 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう! 
 
串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。



1、大宝天皇御製の神風串呂(歌垣山)

大宝天皇の御製(大御歌)は、三浦家に一子相伝に伝承された古記録(系図)に記録されていたものが、二首紹介されています。

この二首の御製の内の一首は、昭和6年(1931)文部省から『歴代天皇御製集』が発行されることになった時、三浦芳聖が元宮内大臣の田中光顕伯爵に嘆願して「長慶天皇の御製」として掲載されたという経緯があります。

そのひとつ目の御製(大御歌)は、「九重ここのへみぎりをめぐる三河水住み越し末は絶えじとぞ思ふ」という御製です。

その二つ目の御製(大御歌)は、「ほのぼのと明けゆく空を眺むれば月ひとりすむ西の山かげ」(真弓月)という御製です。

愛知県豊田市黒田町仲根の正寿寺しょうじゅじには、大宝天皇が念書した「大般若経だいはんにゃきょう600巻」のうちの3巻と、

上記「真弓月」という題の大宝天皇御製の宸筆しんぴつの短冊が、御愛用の硯石すずりいしと共に現存しています。

串呂地文で御製を表わすと思われる地文としては、大阪府豊能ほうのう能勢のせ倉垣くらがきに「歌垣山」という標高554mの山があります。

この歌垣山は、『歌垣山- Wikipedia』に、『万葉の時代より男女が集まり「歌合わせ=かがい」が行われた山で、関東地方の筑波山つくばやま、九州地方の杵島岳きしまだけと並ぶ歌垣三山のひとつであるとでています。

不思議なことに、この歌垣三山のひとつである能勢町の「歌垣山」が、今回ご紹介する「真弓月」という題の御製を表現していると思われる串呂上に存在しているのです。

神皇正統家の最後の天皇の現存している御製であるがゆえに、串呂主宰神の特別なる御配慮があったものと思われますが、串呂は、三次元の世界に住んでいる我々には、とても神秘的で不思議な世界ですね。


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3、大宝天皇御製の神風串呂(2)

題 真弓月
ほのぼのと明けゆく空を眺むれば月ひとりすむ西の山かげ

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大宝天皇ご愛用の硯とご親筆の短冊 クリックで拡大します。
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』318頁2の写真版より)

三浦芳聖は、大宝天皇の御製「ほのぼのと明けゆく空を眺むれば月ひとりすむ西の山かげ」の御製が下記の串呂に昭示されていると述べています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章

西山聖地歌垣山西明寺御在所山福江町日向松長岩戸山
(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』318頁、地文の住所は現住所に改め「地文の解釈」に記載しています。)

【地文の解釈】(地名に地図がリンクしています。)
(1)西山聖地(にしやませいち、兵庫県加西市青野町)

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兵庫県加西市青野町 (地図マピオン)

加西市青野町にある古代古墳跡地で、地元のこの山を霊山として信仰していた人々の間では「西山」と呼ばれていた小さな山ですが、実は、長慶院法皇(寛成親王)の崩御埋葬の地であります。

長慶院法皇は、応永16年(1409年)秋、駐留していた播磨国の城山で地元の武士団の襲撃を受け傷つかれ、河野左衛門尉に負われて西山まで逃げ延びられましたが、御創傷は殊の外に深く、河野左衛門尉の介抱もむなしく、この地にて崩御され埋葬されました。

青野の青を分解すると、主+月です。西山の主(ぬし、あるじ)は「月」と解読します。「月」は長慶院法皇です。「(7)月」をご覧ください。

西山聖地についての詳細は、下記を参照ください。
【参照】播州西山聖地(兵庫県加西市青野町)

(2)歌垣山(うたがきやま、大阪府豊能郡能勢町倉垣)554m
この地名は、歌、和歌、大御歌を表わす地文です。ここでは、「正壽寺」に現存している神皇正統第百代大宝天皇の御製を表わす地文として解釈します。国内唯一の地名です。

🟢「西山聖地-歌垣山-御在所山-月」

🟢上記の串呂は、大宝天皇の御製の「月ひとりすむ西のやまかげ」を表現していると解釈します。

🟢「地文の解釈」を最後まで読まれますと、下記が解読されると思います。
「西山=長慶院法皇の御陵=長慶院法皇の御在所」
「歌垣山=御製」
「御在所山=住む」
「月=長慶院法皇」

🟢長慶院法皇は天才的歌人で有名な方です。
「若年から和歌に優れ、天授元年(1375年)の『五百番歌合』、同2年(1376年)の『千首和歌』(322首が現存)がある他、『新葉和歌集』に「御製」として53首が入集している。」(『長慶天皇- Wikipedia』)

歌垣山
大阪府豊能郡能勢町倉垣(地図マピオン)

(3)西明寺(さいみょうじ、滋賀県蒲生郡日野町)
西明寺は「西を明らかにする」の意を表わす地文です。この串呂では、長慶院法皇崩御埋葬の地「西山」を指す地文と解釈します。西明寺と長慶院法皇の関係は、下記を参照してください。

【参考】愛知県豊川市八幡町の「大宝山西明寺」には大宝天皇がお祀りになったと思われる、松良天皇の明光院成徳大士と長慶院法皇の金剛心院皇夫大士の霊牌が残っていました。現在は三浦家に仕えた中西家が保管中。

(藤原石山著『三河に於ける長慶天皇伝説考』南朝史学会、1979年、61頁)

日野町西明寺
滋賀県蒲生郡日野町 西明寺(地図マピオン)

(4)御在所山(ございしょやま、三重県三重郡菰野町)標高1212m。
 御在所山は、何がおわしますかを鑑定する串呂起点です。別名御在所岳。何がおわしますか?(何がございますか?、どなた様のどのような行在所ですか?)を鑑定する地文で、八大串呂起点のひとつ。

全国各所にある御在所山の中で、鈴鹿山脈にあるこの三重県三重郡と滋賀県東近江市にまたがる御在所山が、歴史(地誌・地歴)的にも霊的にも地文(三重県三重郡)の上からも、名実ともに日本最高の御在所山であります。

地元の菰野町は、元伊勢伝承ゆかりの地で、天照大御神の御霊代である御鏡が駐留されたことから御在所の名前が付いたという伝承があるそうです。御在所山についての詳細は下記を参照ください。

【参照】御在所山の神風串呂

🟢この串呂では、「御在所山=住む」と解釈します。

三重県御在所山
三重県三重郡菰野町 御在所山(地図マピオン)

(5)福江町(ふくえ、三重県桑名市)
副統・吉野朝の皇統、後村上天皇(義良)、長慶天皇(寛成)、後亀山天皇(熙成)をあらわす。
なお、南西に隣接して「大福町」が存在する。ここでは、西山聖地で崩御された長慶院法皇を指すと解釈します。

三重県桑名市 福江町(地図マピオン)

(6)(さかえ、愛知県豊明市)
副統・吉野朝の皇統をあらわす。串呂哲学解明上の経験則で理由はよく分かりません。更に研究を要す。ここでは、西山聖地で崩御された長慶院法皇を指すと解釈します。(5)福江町を参照のこと。

下記の「(7)月の住所」が「東町」になっていることに注意!

愛知県豊明市 栄(地図マピオン)

(7)(つき、愛知県北設楽郡東栄町) 旧村名「御殿みどの村」
ここでは南朝副統の天皇であった長慶院法皇をあらわす隠語。「月」は、全国で2ヶ所しかない地名。

🟢この串呂の中心は、「西山-御在所山-月」で、「月ひとりすむ西のやまかげ」というところです。月=長慶院法皇。

神皇正統の天皇は天津嗣ゆえ「大」「大山」「向」などで表わされます。皇子は「星」で表わされる。睦仁親王を表わす地名は、岡山県 井原市「美星町明治」です。

【参考】山口保吉著『 芳花鶴水園の聖地』71頁に、興国3(壬午)年11月15日の満月の日に降誕の故を以って長慶院法皇を「月」で表わす。また、同頁に午年生まれの守り本尊が月天子(勢至菩薩)であることから、長慶院法皇を「月」で表わす。と出ています。

【参照】青木文献では、興国3(壬午)年8月13日生まれと記録されていますが、長慶天皇の仙洞御所が「望王里」にあったことから、15日が正しいのではないかと思います。望=満月=15日。生まれた月は分かりません。

山口保吉の著書
『三河吉野朝の研究』 山口究宗堂 昭和15年
『芳花鶴水園の聖地』 山口究宗堂 昭和18年 

月という地名は、現在2ヶ所確認しています。
🟢静岡県浜松市天竜区月

東栄町月
愛知県北設楽郡東栄町(地図マピオン)

(8)日向(ひなた、静岡市葵区)
「あけゆく空」(日の出)を表わす。

ここでは、神武・応神・後嵯峨・後村上・松良五皇一体の八幡大明神が降誕する天運循環の時をいいます。

静岡市葵区 日向(地図マピオン)

(9)松長(まつなが、静・沼津市)
松長は、神皇正統第99代松良天皇をあらわす地文です。
松長(まつなが)=松良(まつなが)、同音異字語の隠文おんもんです。加西市青野町の西山に埋葬された長慶院法皇は松良天皇の養父です。

【参照】皇大神宮内宮と藤太夫島の串呂の「松長」と同じ。串呂は縦横無尽にリンクしています。

沼津市松長
静岡県沼津市 松長(地図マピオン)

(10)岩戸山(静岡県熱海市伊豆山)734メートルの山。
神皇正統の天皇が蒙塵中であることをあらわす地文。

🟢この串呂では、兵庫県加西市青野町の西山に長慶院法皇の玉体と共に、長慶院法皇が奉持していた御鏡がここに眠っていたことを表わします。

西山で、超常現象が発生した記録が、瀧川宗勝著『勅語信仰の体験』に記載されています。

静岡県熱海市伊豆山 岩戸山(地図マピオン)

4、この神風串呂の解釈と哲学的考察

ほのぼのと明けゆく空を眺むれば月ひとりすむ西の山かげ

西山聖地垣山-西明寺-御在所山-福江町-栄--日向-松長-岩戸山

この串呂は、大宝天皇の「ほのぼのと明けゆく空を眺むれば月ひとりすむ西の山かげ」の御製を昭示していると共に、その「月」であり、和歌の天才であった長慶院法皇の崩御埋葬の地は、兵庫県加西市青野の「西山聖地」であることを昭示している実に神業としか言いようのない神秘的な実証の神風串呂であります。

この御製について三浦芳聖は次のように解説しています。

「ほのぼのと明けゆく空をながむれば」即ち御父君の「松良天皇」はやがて「五皇一体の八幡大明神芳聖」として「天之岩戸」を開いて御降誕されるけれども、外祖父の「長慶院法皇」は「月ひとり住む 西の山かげ」とお歌いなされた御製の神風串呂であります。(同上著319頁)

「大宝天皇」には十六年間の熱祷祈願が成じて、「後世直系皇孫に、神武・応神・後嵯峨・後村上(興国)・松良五皇一体の八幡大明神芳聖を御降誕せしめて必ず天下を平定せしめる。」と云う掛巻も綾に畏き
「天照大御神」の御神示を受けられましたので、「御父君松良天皇はやがて神武・応神・後嵯峨・後村上・松良五皇一体の八幡大明神芳聖として御降誕になるけれども、御母の父長慶院寛成親王は月であるから、ひとり西山に御在します。」ことを御製にされたものと思います。(同上著318頁)

この串呂が神秘的であるのは、歌垣三山のひとつである能勢町の「歌垣山」と八大串呂起点である三重県三重郡の日本一の「御在所山」とをむすんだ串呂線上に、御製にある「月」「西山聖地」などの地文が串呂していることであります。

神皇正統第百代・大宝天皇の宸筆の短冊が残されている御製を昭示するために、天地神明がご苦心されて、このような串呂をお作りになったことを思うと、厳粛な気持ちにならざるを得ません。


5、なぜ西山聖地なのか!

三浦芳聖は、「西山聖地」と呼んでいますが、その理由はこの兵庫県加西市青野の「西山」では信じられないような超常現象が起きたからであります。瀧川宗勝著『勅語信仰の体験』にも出ていますので、興味のある方はぜひ読んでください。(京都府立図書館蔵)

勅語信仰の体験
瀧川宗勝著『勅語信仰の体験』

超常現象が起きた理由は、畏れ多くて、ここでは申し上げられませんが、「岩戸山」という地文がそれを表しています。

いずれ改めて詳しく述べるつもりですが、今回は、長慶院法皇の御製を掲載してお茶を濁します。

星うたふ 声にもしるし ちはやぶる 神の鏡は ただここにます      「南朝五百番歌合・天授元年(1375)」

【参照】三浦芳聖伝 25、西山聖地を発見(№140)
【参照】三浦芳聖伝 57、長慶院法皇と御鏡(№180)


🟢後醍醐天皇の皇位を継承したのは誰かについて、歴史資料を示し、さらに串呂で証明した串呂哲学の概説書かつ神風串呂の入門書!


🟡串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い

 この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
 三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)

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