地文学への招待-「南小松町」(串呂哲学研究ノート第284号)
💖このオンラインブックは、三重県四日市市の「南小松町」は、伊勢神宮の大神の叡智に基づく神経綸によって、真日本国再建のために用意周到、計画的に構築され命名された串呂地文である事を考察し考証した世界で最初の小論文です。
*三重県四日市市「南小松町」の地図 ⬇⬇⬇
💫真日本国再建のため、霊戦を開始しよう!
🔴真日本国再建のため、いますぐ霊戦を開始しよう!
私は、朝夕「大祓祝詞、太祝詞(斎鏡斎穂之神勅、十言神呪、神名奉誦、三種祓詞など)」を約40分ほど掛けて奏上し、真日本国の再建を熱禱祈願しています!
🔴残念ながら、今のままでは我が国は、異民族の隷属国(保護国)に甘んじつつ、終には亡国への坂道を転げ落ちる道しか残されていないように思えてなりません(満州国がその前例です)。
🔴この亡国の危機に瀕している日本国再建の大道は、わが国の守護神であり指導神霊である伊勢神宮の大神(天照大御神)に中心帰一して、日々惟神の生活を実践し、日高見国・縄文日本国として蘇えることであると確信しています。
🔴神風串呂(カミカゼクシロ)は、地文(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学で、真日本国再建のため皇祖神(天照大御神)によって構築されました。
🔴主権在民の我が日本国です!良きにつけ悪しきにつけ、現在の我が国については、われわれ国民一人一人に責任がありますし、悪政を放置した結果、痛い目に遭うのも我々一般国民です。真実に目覚め、真日本国再建の為には日々の研鑽・学習・戦いが必要です!
🔴真日本国再建のため、いますぐ霊戦を開始しよう!
著者 鈴木超世志
💖国家民族の改造改変が進行中!
我が日本列島が、外国軍と戦争をして敗北した歴史は他にもあると思いますが、現時点で判明しているのは、白村江の戦い(7世紀後半)と大東亜戦争(20世紀前半)の二つです。
そして、この二つの敗戦後には、敗戦国特有の相似現象が起きています。それは、戦勝国による敗戦国家民族の改造改変現象です。このような事は、いずれも占領軍の進駐、駐留なしには行われない事だと思います。
下記に両者の相似現象を思いつくまま列記して見ました。
(🟡白村江の敗戦~ 🟠戦後~現在)
1、占領軍の進駐・駐留
🟡多武峰は、占領軍の駐屯地であった。
最高司令官=唐将軍・郭務悰=藤原鎌足。坊さん=防さん=軍人。多武は多くの武器、武人を意味する。(鹿島史学)
【参考資料】
北京官話(普通話)/当時と同じ発音ではないと思うが。
多武=duōwǔ=どぅおう~⇒とう。あるいは、多武=たぶ⇒とう。
あるいは、唐の峰。
唐(táng)≒藤(téng)=とう。唐原=藤原
🟠GHQ(最高司令官=マッカーサー)、厚木基地、横田基地ほか130ヶ所に占領軍が77年間駐留中。
「北海道から沖縄まで、全国各地に130か所の米軍基地(1024平方キロメートル)があります。そのうち米軍専用基地は81か所で、他は自衛隊との共用です。」(各地の米軍基地)
2、属国主義を甘受
🟡唐を宗主国と仰ぐ、遣唐使・留学生の派遣、公用文=漢文。
則天武后・・・天武天皇、文武天皇、聖武天皇、桓武天皇
(正式名=武 則天)
*建国時の唐の元号=武徳
*白村江の戦い時(663年)の唐政府の実質的指導者は、655年に高宗の皇后となり、高宗に代わり垂簾政治を行っていた武則天であった。
(『武則天- Wikipedia』)
在位期間
則天武后 690年10月16日 - 705年2月22日
(実質的に唐政府を指導したのは655年から)
天武天皇 673年3月20日- 686年10月1日
文武天皇 697年8月22日- 707年7月18日
聖武天皇 724年3月3日- 749年8月19日
*諡号は、淡海三船によって天平宝字6年(762年)~同8年(764年)に一括撰進されたと想像されている。(『諡- Wikipedia』)
🟠GHQによる占領、禁書、信書の検閲、新聞記事差し止め、占領憲法、日米安保条約、日米地位協定、全国各地に軍事基地提供、思いやり予算、首都の制空権なし、日米合同委員会、総理大臣のワシントン詣で。
3、新政治制度の導入
🟡律令制、天皇を最高権威者とする中央集権貴族制、仏教の国教化(国分寺、国分尼寺)、良民と賎民。
🟠立憲民主制(象徴天皇、国民主権、基本的人権、法の下の平等)、信教の自由、政教分離、神宮・神社の宗教法人化。
4、金融財政制度
🟡公地公民、口分田、租庸調、班田収授法、墾田永年私財法、荘園、貴族優遇税制、和同開珎。
🟠新円切替、日銀、農地改革、所得税、住民税、健康保険税、年金税、消費税、介護保険税、大企業優遇税制、正規・非正規雇用、長時間労働、過労死、奨学金という名の教育ローン地獄。
5、戦勝国の文化の波が押し寄せる
🟡唐の文化ー仏教(白鳳、天平文化、東大寺大仏)、漢字の導入、漢籍の尊重、学校制度(大学寮、典薬寮、陰陽寮、雅楽寮)、日本紀(日本書紀)。
🟠西洋文化ー基督教(教会、学校)、学制改革(六三三四制)、公文書の横書き、個人主義、核家族化、大麻の禁止、石油製品、TV、芸術(絵画、音楽、踊り)、西洋料理、大量生産大量消費、飲料水の水道化、高学歴。
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🟢7世紀後半の白村江の敗戦によって、我が国古来の惟神道は唐の進駐軍と共にやってきた仏教の国教化よって抑圧排除破壊され骨抜きにされました。その後、神道は神仏習合思想でなんとか命脈を保ち、19世紀後半の明治維新になって神仏分離令で神社として分離独立することができました。
しかし仏教の国教化による後遺症は深刻で、一例を挙げると大祓詞の中間で唱える「天津祝詞の太祝詞」を忘却して唱えない状態が今も続いていて、真の惟神道は未だ復興されていないのです。
また、9世紀末に菅原道真が失脚した一番大きな理由は、遣唐使の廃止を建言して藤原(唐原)氏の親唐属国主義政策に逆らったからなのです。恐らく藤原氏は、遣唐使の廃止に伴い、遣唐使・留学僧派遣に関して、語学や地理などの事前ガイダンスを実施する役職や紹介状を書くなどの既得権益を失ったことと思われます。
こうしたことと同様に、現在進行中の国際主義と云う名の欧米化によって、深刻な日本文明破壊が起きている。我が国本来の霊性を忘却した根無し草の民族になりつつあることに目覚めなければならないと思います!
🟢足利氏による皇統簒奪背乗り事件についての必読書!
💫串呂哲学の理解を助ける予備知識
初めての方は、下記の記事を参照してください。
💖「南小松町」-地文学への招待 №19
🟡南小松(みなみこまつ)町について
三重県四日市市の南小松町は「みなみこまつちょう」と読みます。南小松(町)は国内に数ヶ所しかない数少ない地名です。
【地誌地歴】
「内部川中流域に位置する開析扇状地。地名の由来は、壬申の乱に大海人皇子に味方した采女の土豪馬手土師宿禰の子が天平期に田12町歩を開墾し長男の小松にこの地を支配させたことによるという。(中略)元は、三重郡小松村であったが、天明年間の内部川氾濫により南北2ヶ村に分離し鈴鹿郡に編入された。」
(角川日本地名大辞典)
⛩八幡神社と卍中山寺があります。
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*明治22年(1889年)4月1日、町村制の施行により、三重県鈴鹿郡久間田村の大字となる。
*昭和31年(1956年)9月30日 、村名変更で鈴鹿郡三鈴村の大字となる。
*昭和32年(1957年)4月15日、鈴鹿郡三鈴村から分村し四日市市に編入。
(『久間田村 (三重県)- Wikipedia』)
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国内「南小松」一覧
現在判明している「南小松」という地名は以下の3ヶ所です。
(1)長野県松本市里山辺 南小松(みなみこまつ)
(2)三重県四日市市 南小松町(みなみこまつちょう)
(3)滋賀県大津市 南小松(みなみこまつ)
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その他の南小松
*長野県長野市大岡丙 南小松尾(みなみこまつお)
*徳島県小松島市 南小松島(みなみこまつじま)
*愛媛県新居浜市 南小松原町(みなみこまつばらちょう)
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🔴三重県四日市市の南小松町は南朝の小松天皇を表わす地文です。北朝第百代・後小松天皇と区別するために南朝を表わす南が付いて「南小松」となったものと考えられます。
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🟡小松天皇と後小松天皇
明徳3年(1392年)の明徳の和約と呼ばれる「南北朝統一」のあと、吉野の南朝副統・第九九代「後亀山天皇」から吉野朝の神器を継承した後小松天皇(第百代)の名前はよく知られていますが、「小松天皇」は、まったくと言ってよいほど知られていません。
宇多天皇ー後宇多天皇
醍醐天皇ー後醍醐天皇
村上天皇ー後村上天皇
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小松天皇ー後小松天皇
というように、後小松天皇の前に「小松天皇」が存在しなければなりません。
特に、57年も続いた「南北朝争乱」の後に、南朝から皇位を継承した後小松天皇ですから、その前に南朝の「小松天皇」が存在したのです。
南朝の皇位を継承して皇位に就いた北朝第百代幹仁天皇の贈り名に「後小松」が選ばれたのは、偶然ではありません。
南朝正統家に「小松天皇」がいたことを暗示しているのです。一種の暗号です。知る人ぞ知る最高機密なのです。
【参照】小松天皇と後小松天皇(第252号)より再掲
🔴日本国再建の為の必読書!神風串呂の集大成!オンライン復刻版!
🟡浜松市浜北区の小松と船山御陵との神風串呂
三浦芳聖が解明した三重県四日市市の「南小松町」を串線する串呂の中から「浜松市浜北区の小松と船山御陵との串呂(№67)」をご紹介します。
各地文についての詳細はリンク先の記事をご覧ください。
(1)三浦-⛩松尾大社-南小松町-小松天皇船山御陵-小松(浜北区)(№67)
(2)天照-⛩松尾大社-⛩内宮(№223)
愛知県豊川市八幡町上宿の「船山御陵(⛩上宿神社)」は、三浦系図に記載されていた如く、神皇正統第九十八代小松天皇(興良)の菩提陵であることを⛩松尾大社の大神様が証明し守護されています。小松二串の確定立証の神風串呂です。
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🟡まとめ
上記の串呂図に、頭の中で、地文学への招待-「鏡」(第282号)でご紹介した下記の串呂図(№63)を書き加えてみて下さい。
(3)三浦(紀北町)-⛩内宮-船山御陵-鏡(№63)
⛩松尾大社と⛩皇大神宮内宮と小松天皇船山御陵の3点で交差(リンク)した串呂図が出来上がります。
(1)三浦-⛩松尾大社-南小松町-船山御陵-小松(浜北区)(№67)
(2)天照-⛩松尾大社-⛩内宮(№223)
(3)三浦(紀北町)-⛩内宮-船山御陵-鏡(№63)
さらに、地文学への招待-聖岳(第281号)でご紹介した下記の皇大神宮内宮と小松天皇御陵の神風串呂(№5)を書き加えますと、
(4)⛩内宮ー小松(浜北区)ー神増原御陵ー聖岳(№5)
(1)三浦-⛩松尾大社-南小松町-船山御陵-小松(浜北区)(№67)
(2)天照-⛩松尾大社-⛩内宮(№223)
⛩松尾大社と⛩皇大神宮内宮と浜北区の小松の3点で交差(リンク)した串呂図が出来上がります。
このように、串呂は次々とリンクして止まる事を知りません。
(1)三浦-⛩松尾大社-南小松町-船山御陵-小松(浜北区)(№67)
(2)天照-⛩松尾大社-⛩内宮(№223)
(3)三浦(紀北町)-⛩内宮-船山御陵-鏡(№63)
(4)⛩内宮ー小松(浜北区)ー神増原御陵ー聖岳(№5)
(5)長慶院埋葬地-船山御陵-神増原御陵(№66)
💖串呂の的確さに驚嘆いたしますね!まことに感激です!
串呂主宰神が、この四日市市の「南小松町」その他の串呂地文を構築するのに、どんなに苦心されたかは想像を絶する世界です。とうてい人間の力の及ぶところではありません。まさに神風串呂です。
直観力の優れた方なら、もうこの地文を見ただけで、日本の本質は神国であり、この串呂を構築された天照大御神の存在を認識できると思います。ぜひ、国土地理院発行の20万分の1の地勢図をつなぎ合わせて、実際にご確認いただきたいと思います。
🔴串呂地文学で皇祖神の存在を認識し、皇祖神からのメッセージに触れたなら、いますぐ行動しなければなりません。いま我が日本国は亡国、日本民族は滅亡の危機に瀕ひんしているのです。
💫国家民族を救済する光の霊戦士となりましょう!
🔴日本国再建のため、いますぐ光の霊戦士となって霊戦を開始しましょう!
🟢後醍醐天皇の皇位を継承したのは誰かについて、歴史資料を示し、さらに串呂で証明した串呂哲学の概説書かつ神風串呂の入門書!
参考資料
三浦芳聖『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(神風串呂講究所/1970年)
三浦芳聖『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版(串呂哲学研究会)
💖串呂は、実に神秘的に構築されている神道皇霊学であり、地図上ではありますが、視覚により実際に認識できる明確な世界であることが特徴です。
💝信念や想像の世界ではないと言う事です。
串呂クシロ(かんろ)とは
串呂クシロ(かんろ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。
元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだと言われていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。
神風クシロ(串呂)は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。
地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。
神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学び、天照大御神の御霊代みたましろである神宝(御鏡)を、富士山麓に奉遷ほうせんして同床共殿にお祭りすれば、いま危機に瀕ひんしている「日本国」を救済する道を切り開き、天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来ると確信しています。
神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。
🟠情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。
🟡前号(№283)
地文学への招待-上宿
🟢次号(№285)
地文学への招待-天地
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串呂哲学研究会 鈴木超世志
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